表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/34

.15 市民と権力者

 白馬を操る少年は、少女と共に城下町へと続く街道の中央を駆け抜けた。


「ねえ、アレブ。街道の真ん中を走ったら目立っちゃわない?」


 メーニャが心配する。つい今しがた彼らは既に街道を通る商人と思しき人を追い越したばかりだった。


「構いやしないさ。僕はこの国の王子だぞ。道の端を行けとでも言うのかい」

 アレブは鼻を鳴らした。


 王子アレブは面白くなかった。魔女の小屋でのやりとり。

 女性陣からのけものにされ、馬から唾を吐きつけられ、魔女にも「いやらしい」となじられたことが。


 そのうえ、彼の初めての友人から一晩にして信用を勝ち得た魔女コニアは、その友人には名を名乗ったが、彼には名乗らなかったのだから。


「ねえ、スケルス。アレブに何かあったの?」

 小声で白馬に訊ねるメーニャ。

『……さあ。私は人間の子供の気持ちはちょっと』

 駆ける白馬も小声で返す。


「聞こえているぞ。というか、聞こえないわけがないだろう。あいだに僕を挟んでいるのだから。それに、僕はもうじき十五だ。大人だ。王位も継げるんだぞ」

 生まれ持った血筋を誇る少年。


「どうどう」

 荒れる少年の頭を撫でる娘。


「やめろって!」

 少年がもう少しハリネズミ的であれば、メーニャは落馬していただろう。


 城下町へ近づく一行。

「こっちから町を見るのは久しぶりだ」

 メーニャが呟く。


「僕は初めてだな」

 アレブは自国の辺境を目の当たりにする。


 ――厳しく、寂れて、それでもどこか忙しないような。


 白いかたまり。冬を前にして、少しでも財産を太らせようと躍起になる羊飼い。

 その近くには、武器を持った男が盗人や野犬に目を光らせている。


 石で作られた塀に護られた農場。隙間から寒さに強い作物への植え替えを進める農夫が姿が伺える。


 そして巡回する兵士。遠巻きに見たが、城で仕事をする兵よりも厳しい顔つきをしているようだ。


 街から離れた土地は、治安や利便性が損なわれる。だが土や草が少しでも豊かならば人々は好んでそこへ移り住むのだ。


 人の気配のない場所は荒れ果て、寒げで寂しげな西風が砂を運ぶ。


 風の強い気候。この国には石造りの風車小屋が点在する。

 これは城の管轄する施設で、地下水をくみ上げるのに使われていた。この国の伝説では、神鳥が風車の技術を伝えたとされている。


 神樹のあった頃であれば、何もかもが潤い、畑は乾燥よりも水害やぬかるみに気を付けねばならなかったし、川や井戸へ行かずとも木の蔓から水をすすることだってできたという。


 今や、人間と植物は水を奪い合っていた。


「くちびるが乾くな」

 王子が呟く。

「髪に砂がついちゃうよ」

 森の娘も不満を漏らす。


『ずいぶんと荒れてしまっていますね。昔はこうではなかったのに……』

 白馬もため息。


「嫌味か? 政治家が無能で悪かったな」

 王子が吐き捨てるように言った。


 街に着くまで、それきり誰ひとり口を利かなかった。



 翼の国城下町。大きな城と多くの建物。そのすべてではないものの、街は西側を大きく石の壁で覆われている。

 この国の遠く西方には砂漠がある。そこから運ばれてくる砂を避けるための防砂璧だ。


 街へ入り、白馬から降りるふたり。

 ありがちな容姿をした娘はともかく、身なりの良い少年と、至宝のごとき毛並みを持つ白馬だ。人々の注目を集めないはずがない。


 それでも王子が睨みを利かせ、剣の飾りの翼を光らせれば近寄るものはなかった。

 他者を遠ざけ、街を闊歩する王子。娘はのろのろとそのあとをついて歩く。


「ねえ、アレブ」

 申し訳なさそうな声をあげるメーニャ。

「なんだ」

 短く返すアレブ。眉間にはしわ。


「おなか空いた」

 腹の音。


 彼らは魔女の家で朝食をとってから何も口にしていなかった。日はもう天辺を過ぎている。


「城で何か出させるよ」

 王子が言った。


 メーニャは彼の横へ並び、顔を盗み見た。苦虫を噛み潰したような顔で街を睨んでいる。


 娘は彼の前に躍り出て、くるりと一回転すると、笑顔でこう言った。


「私、いいお店知ってるの!」


 友人の手を取り、走り出す娘。相手が何か言ったがお構いなしだ。白馬はこっそり笑うとふたりのあとを小走りでついて行った。



 街の広場。

 多くの露天商が仕事に精を出し、人々が行き交い、噂が流れ、広場から伸びる通りに面した宿や酒場が呼び込みを行っている。

 城から国民へと新たな御触れを伝えるときも、この広場が使われる。この国の大動脈だ。


『人がいっぱい。私が通っても平気でしょうか……』

 広場は人がごった返している。馬が入り込めば迷惑必至だ。


「怒られたら謝ろ。こっち!」

 メーニャは広場から伸びる道を駆ける。


「おばさん、こんにちは!」

 メーニャはとある商店に向かって元気良く挨拶をした。


「あら、アルメちゃんこんにちは」

 店先で暇そうにしていた女性が顔をほころばせる。


「肉串しふたつください!」

 銀貨を一枚振る娘。


「ふたつ? ……おやまあ」

 肉屋のおかみはメーニャの連れに気付く。


「ちょっとアルメちゃん。あの男の子は誰だい? いいとこ出のぼっちゃんに見えるけど……」

 声を潜めて訊ねるおかみ。


「お友達だよ。良いでしょ!」

 歯を見せるメーニャ。多くは語らない。


「友達。ふうん。まあ、いいけど……うちの肉串しを食べたら、しかめっ面も治るから。ちょっと待ってなさい。お昼時過ぎちゃったから作り置きは全部売れちゃっててね。すぐ焼いたげるから」

 おかみが店内へと消える。


「鳥と羊と馬、どれがいい?」

 奥から声が張り上げられる。


「おばさん、イノシシは無いのお?」

 聞き返す娘。


「ごめんね。イノシシは今日のぶん、みんな出ちゃったんだよ」

「えー。じゃあ、馬!」

 不満そうに声をあげるメーニャ。

『えっ』


 程なくして店の奥から香ばしいにおいが漂い始める。


 引きずられて来た王子も腹が減っているのか、いち早く鼻を鳴らすと店の奥をちらと見た。

「ほかに客が居ないみたいだけど」

「おばさんのお肉屋さんはお昼と夕方が忙しいの。私も薪を売りに来て、よく買って食べてるんだよ」

「そうか。繁盛してるならいい」

 そっけなく言う王子。


「はい、お待たせ」

 おかみが肉串を持って出てくる。数日前に嗅いだにおい。

 ウサギと馬の違いがあったものの、いつか王子が森で迷ったときにありついた肉と同じにおいだった。


 メーニャは店先で肉をかじりながら、肉屋の自慢をした。

 ここは彼女が街に住んでいた頃からの行きつけで、今では薪の買い付けのお得意様だそうだ。

 祖母とふたりで悪い暮らしをしていたときも、くず肉や余った“がら”を譲ってもらっていたらしい。


 メーニャが森に移り住む際には、猟の仕方を教えたり、こっそり秘伝のたれの調合を教えてくれたのだと言う。


「なあ、アルメちゃん。森ではちゃんとやっていけてるのかい?」

 おかみは言葉通りの表情で訊ねる。


「おばさん、来るたびに言うんだよ! 私、ちゃんと暮らせてるよ」

 口を尖らせるメーニャ。


「彼女はよくやってますよ。僕もちょっと前に世話になったくらいですから」

 肉を平らげた少年が口添えする。


「そうかい? それならいいんだけど。あたしゃ、この子の事が心配で。だってほら、この子の家はすぐ人にものをあげちゃってたし……」

 おかみは眉を八の字にした。


「おばさんも私にたくさんくれたじゃない。大丈夫だよ。本当にちゃんとやっていけてるから。森もけっこう住みやすいんだよ」

 笑顔を向ける娘。


「まあ、街も今じゃ住み良いとは言えないからねえ。広場のほうじゃ、伝手(つて)の無い露店は商売しづらくなってるし。うちは肉の仕入れも夫がやってるから、伝手を切られてもなんとかなるけど」


「伝手?」

 アレブが訊ねる。


 広場は商売をするにあたって、街でいちばんの立地だ。

 そこには開店場所の管理や、仕入れ先への案内を行う仲介業者がいた。

 しかしここ数年、彼らの行う規制が厳しくなり、機嫌をそこねると商売に支障をきたすというのだ。

 国土は貧しい。資源が減れば仕事も厳しくなる。

 元は新参露店や、話べたな生産者のために作られた“人を繋いで金を貰う仕事”だったものが、“金のために人を繋ぐ仕事“へと変わっていた。


 この肉屋ももとは広場の小さな串焼き屋台だったのだが、先代の旦那が兵士から転業をして狩人になって築いたものらしい。

 今では、森での仕入れから肉の切り売りまでを生業としている。肉串のほうは片手間の商売だが、人気は根強い。

 それらのおかげでかろうじて暖簾を下ろさずに済んでいるとのことだった。


「あくどいことは見過ごせないが……」

 王子は広場を見渡す。少々あこぎであったり、脅しつけがあったとしても、仲介業を止めることはできない。

 これだけの人と店だ。ちょっとした諍いは頻繁に起こる。

 兵士は刃傷沙汰にならなければ出張らない。その手前のもめごとを片づけるのも仲介業の仕事だからだ。


 まさに今も、筋の通らない騒ぎ立てをする客を宥める仲介業の男が目に入った。

 店番の娘はすっかり縮み上がっている。彼らが居なくなれば、広場は無法地帯と化してしまうだろう。


『人の心に余裕が無くなっているのですね』

 白馬が呟く。


「そうだな……」

 諍いを眺める少年の瞳が翳る。


 眉間のしわは減ったものの、いまだ良い顔といえない少年は再び引きずられた。

 昼食と言うには時間も遅い。串焼きだけでは足りなかったのだろう。メーニャは「もう一件紹介するよ」とアレブの手を握った。

 今度はもう少し奥まった路地へ。道というよりは、建物と建物の隙間だ。日差しも入り込まず、ほこりっぽい。


「狭い道だな」

 文句を垂れるアレブ。スケルスも少し窮屈そうだったが、人通りはなく、なんとか通り抜けられそうだ。


「あっ、メーニャお姉ちゃんだ」

 行く先に現れた子供。先頭を行くメーニャが立ち止まり、後続が危うく事故を起こしそうになる。


「あら、こんにちは」

 挨拶をするメーニャ。少し声が気取っている。


「おねーちゃん森に引っ越しちゃったから、あたしたち寂しいよ」

 少女は髪はぼさぼさで、薄汚いぼろをまとっている。歳は十も行かないくらいだろう。

 彼女の背中からはもっと小さな子供がふたり、男の子と女の子が顔を覗かせていた。


「ごめんね。遊んであげられなくて」

 謝るメーニャ。

 不満そうな子供たち。黙って彼女の行く手を遮る。困り果てるメーニャ。

 「遊んでくれるまで通さないぞ」という硬い意志。小さな子供と付き合いのない王子にもそうと見て取れる。


「うーん……そうだ。これ、おみやげ」

 メーニャはかばんから瓶を取り出して子供に渡した。中には干した果物が詰まっている。


「わあ、すごい! ありがとう、おねーちゃん!」

 嬌声をあげる子供たち。メーニャは腰に手を当て満足げだ。


「魔女から貰ったのか。いいのか? あげてしまって」

「いいんだよ。食べ過ぎると太っちゃうから」

「君にそんな心配は要らないと思うけど。だいたい、怠けた金持ち以外が心配することでもないだろう」

 メーニャは食には困っておらず、大ぐらいだったが、太ってはいない。よく身体を動かすからだろう。


『アレブは、あの子たちを見てどう思いますか?』

 スケルスが問いかける。


「そうだな。彼女たちはもう少し太ったほうが良い」

 子供たちはふたり掛かりで瓶の栓を抜こうとしている。


「そういうことだよ。ほら、行こうアレブ。私たちも今からごちそうだよ」

 メーニャがアレブに笑いかける。彼は笑わなかった。


「メーニャは、あの子たちによく物をやるのかい?」

 王子が訊ねる。

「ううん。遊んではあげてたけど、物はめったにあげないよ。今のは余分なぶんだったからいいの。おばあちゃんはたまに、何かあげてたみたいだけど」

 路地を抜けて少し広い道へ。目の前に現れたのは料理屋。


「いヤー! メーニャちゃんネー! 久しぶり。元気してたカ?」


 アレブたちの耳に飛び込んできた奇妙な発音の声。

「“ュエ”さん!」

 こちらも聞きなれない発音。


「……エ、なんだって?」

 アレブは眉をあげる。


「ュエさんだよ。料理屋のおじさん!」


「ワタシの祖父は、ずっと東のほうからこの土地に渡ってきて料理屋開いたヨ。私の名前や発音変わってるのは、祖父譲りネ!」

 ュエは店の前で自慢げに腕を広げた。


 東方人の血を引いていると言ったが、彼の容姿はこの国の人間と変わりがないように見える。

 強いて言うなら、鼻の下で短く整えられた髭と、きっちりと切りそろえられたどんぶり頭が愉快なくらいだ。


 店主は元気いっぱいに飛び出して来たが、店の中を覗くと人影は無かった。


「キミ。ワタシの店、ぼろっちいって思ったネ?」

 店主は目を細めてアレブに言った。


「まさか! お店が寂れているのは食事時を外しているからでしょう?」

 少年は慌てて否定する。


「そのとおりネ! ……と、言いたいところダケド、最近ちょっとお客の入りが悪いネ。まあ、せっかくのお客さんに喧嘩売っても仕方ないヨ。さあさあ、入って! 大盛りにしてあげるヨ!」

 ュエはふたりを招き入れる。スケルスは店内に入るわけにもいかず、あたりを見回す。


「少し待っててね、ご飯食べてくる!」

 メーニャが馬の鼻を撫でる。


『ごゆっくり』


「お馬居るのネ。ウチの裏に置くといいヨ。人も来ないし、誰の邪魔にもならないネ!」

 ュエが言った。スケルスは店主の言に従い、ひとりで料理店の裏へと向かう。


「はぇー。賢い馬ネ! それにとてもキレイ! そこの坊ちゃんの馬に違いないネ」

 感心するュエ。スケルスが目を細める。


「スケルスは誰のものでもないよ。私たちのお友達なの!」

「メーニャちゃんは昔から友達多いネ!」

「ュエさんも友達だよ」


「そんなこと言われたら、超大盛りにするしかないネ!」

 店主は愉快な髭を撫でた。


 店で出されたのは、野菜のスープに白い団子のようなものが浮いたものだった。


「おまたせ。これ、“魔女餅”ヨ!」

「魔女餅?」

 王子は首を傾げた。


「鳥がらの出汁で野菜を煮込んだスープに、小麦で練った餅を入れてるネ。うちの人気料理ヨ!」

「お餅の中には何が入ってるか分からないの! 怪しいでしょ!」

 メーニャが楽しそうに言う。


「だから魔女餅なのか」

 白い団子を見つめるアレブ。


「みんなそう言うネ。でも祖父から聞いた話じゃ、本当に魔女がこれを食べて気に入ったから、こういう名前にしたってことヨ」

「本当かもしれないな」

 王子が言う。

「まさか! アヤシイ言い伝えネ。祖父は冗談ばかり言ってたカラ」

 森で暮らす魔女。彼女はたまに城下町へ来ている様子だった。案外、気付かれていないだけで、今も彼の客に紛れているのかもしれない。


「ぎゃあ!」

 少年の横で悲鳴があがった。


「どうしたんだ、メーニャ」

「おじさん。からいの入れたでしょ」

 涙目のメーニャ。


「餅は先に作っておいて、ごちゃ混ぜだからしょうがないネ……。ほら、超大盛りにするから許してネ」

 ュエは謝りながらメーニャのスープに餅を足した。


「ひょうがないなあ……」

 メーニャは舌を出しながらも、継ぎ足される餅に目を輝かせた。


 アレブもひとつ手を付けてみる。彼は引き肉入りの餅を引き当てた。スープがよく染みている。香辛料が入っているらしく、これも少しからい。


「美味しい」

 王子が呟く。


「アレブのはお肉だ。いいなあ」

 メーニャが次の餅に手を付ける。


「なんで!?」

 また悲鳴。


「アー。メーニャちゃんごめんネ。今日のパプリカ、特別からいの引いたみたいヨ」

 どんぶり頭を掻く店主。メーニャはかじりかけの餅と睨めっこをしている。

「メーニャはからいのはだめなのか」

「ちょっとだけなら平気なんだけど、口が火事になるやつはだめ……」

 娘は今だ舌を出してうなだれている。


「あ、こっちは何かとろっとしたものが入ってるな。甘い」

「そっちはあんかけのあんネ。メーニャちゃん、クルミが見えてるのは辛くないヨ」

 ュエの助言に従って餅の山を調べる。


「ない……」


「いヤー。魔女の仕業ネ! 魔女餅だからしょうがないヨ!」

 店主が笑う。

「しょうがない……からいのが当たらないのを祈って……」

 別の餅に手を付けるメーニャ。


「なんでだ!?」

 三度目の悲鳴。店主が吹きだす。


「仕方がない。僕のと交換だ。ほら、この見えてるのはクルミだろう」

 アレブが餅を指さす。

「や、やった。ありがとう」

 他人の皿にすがり付く娘。

「代わりにこの食べかけのを貰うよ。食べ物を粗末にするのは良くないから」


 アレブは餅を交換してやりながら、自分の言葉に違和感を覚えた。


 ――食べ物を粗末にするのは良くない、か。


 自然に出た言葉。

 王子である彼は、今まで意識して食べ物を大切に扱った覚えがなかった。

 好きではない茶菓子には手を付けなかったし、調子が悪いときに食事を下げさせたこともあった。


 この数日間でアレブは変わった。森の厳しさや、貧しい人々、悩みを抱える人々に触れて、政治の至らなさや、生きることの難しさを感じていた。

 学びの為に市井に出た王子だったが、多くは彼のこれまでを戒めるものだった。食物への感謝が強くなったのもこのせいだろう。


 それでも、この言葉が単なる戒めだけでなく、食事そのものを美味しくしていることに気付いて、彼の固く結ばれた表情が融解し始めていた。


「美味しかった」

 餅を平らげ満足する。スープまで残さずきっちり。ようやく少年の顔がほころんだ。

 横で運試しを続けるメーニャはアレブの笑顔に気付き、何ごとか呟いた。


「ところでふたりは、どういう関係ネ?」

 店主が訊ねる。


「僕は彼女の友人です」

 アレブが答える。

「そうだよ。アレブと私は、友達!」

 元気よく肯定する娘。


「友達ネ。てっきり王子様がメーニャちゃんをお嫁に貰いに来たのかと思ったネ」

 冗談を飛ばす店主。


 メーニャは餅をのどに詰まらせむせ返った。


「ハハハ。メーニャちゃんひとりで森で暮らしてるからみんな心配してるヨ。別に王子様じゃなくても良いから、どこかお嫁に入ったほうが良いネ。オニイサン、どうカ?」

「どうって……」

 目を丸くさせる王子。だが、口元のほうはさらに緩くなっていた。


 メーニャが餅を食べ終わったあと、ふたりは店主おすすめの飲み物を頂いた。季節の果物をたっぷりと使った、秋の甘酸っぱい泉。

 アレブたちはそれを飲み終わったら店を出るつもりでいた。


 時刻が進み、客はふたりだけではなくなっていた。他に二組。どれも男で、何やら熱心に議論を交わしている。


「最近、周りに調和派擁護が増えて来たよな」

 背の低いの男が言った。

「ああ、中には自然と一体化するとか言って、外の部族連中に入れてもらおうとした奴もいるぜ」

 と面長の男。


 聞き耳を立てるアレブ。目配せしてメーニャに待つように頼む。

「あいつらはわけが分からん。霊魂の声を聴くとか言って瞑想したり、やれ化石を持ち出して神樹の種だ、やれ枯れ木を持ち出して神樹の枝だとかやってる」

 麺をすする背の低い男。アレブとメーニャは顔を見合わせた。


「別に森の連中が、連中のあいだで何をやろうと勝手だけどよ。

 俺たちの仕事を邪魔してくるのだけは勘弁してほしいわけよ。

 この前、森の焼き拓きをしてた仲間がまた襲われたって。それも、襲われたのは兵士じゃないぜ。出稼ぎで来てた農夫だった」

 面長の男が唾を飛ばす。


「森は誰のもんでもねえのになあ。部族の連中だって自分たちのために木を伐るし、火も焚くくせによ。

 何を言っても理解しねえ。調和派の連中は、俺たちを三人づつ集めたよりも頑固だ。

 ……見てくれよこの足。とらばさみだよ。連中が仕掛けたんだ。獣を獲るためじゃない。俺たちの仕事を邪魔するためにだ」


 背の低い男が脛を見せる。彼の足にはまだ新しい傷があった。



「こっちとしちゃ、邪魔してくれたほうがありがたいんだがな」



 別の席から粗暴な声。店内の空気が張りつめる。


「毎日毎日、煙を立てやがってよ。風向きが悪いと、うちは燻製だ。たまったもんじゃねえ」

 声のぬしがふたり組を睨む。はげ頭の男。筋骨隆々。岩から削り出したような骨格。


「それは悪かったよ、おっさん。でも俺たちだって仕事だし、灰や木材がねえと農家だってやってけねえだろ」

 背の低い男がすまなさそうに言う。


「そうは言っても、克服派の活動はやり過ぎだと思うぜ。森だけじゃねえ。この前だって、どこそこで油を掘るとか言って、井戸をだめにしたばかりだ。てめえらが掘る場所を決めてるってみんな知ってるんだ」

 にらみを利かせる男。ふたりは何も言わない。


「てめえらは油の浮いた水なんか飲んだことがねえだろうな!

 国の建てた水汲み風車から水を貰ってんだからよ!

 あの風車の土台は、石工の俺たちがみんなのためを思ってこしらえたんだ。てめえらのためだけじゃねえ!」


 はげ頭が声を荒げる。


「火種になる油がでれば状況が変わる。

 文句があるんだったら、あんたも克服派の活動に参加したらいいだろう?

 これは国策だ。言ってみりゃ周辺部族や森との戦争だ。街でぬくぬくと暮らすあんたらは俺たちに護られてんだよ!」

 面長の男がやりかえす。


「はっ! だったら全員そろって森を焼きに行きゃいいんだな? 畑を耕すのも、羊を育てるのもやめてよ! 料理屋もおしめえだよ! 潰して薪にしちまえ!」

 はげ頭が食卓を叩き立ち上がった。驚いたメーニャが首を縮める。


「お客さん! 喧嘩は困るネ! よそでやって欲しいヨ!」

 厨房から飛び出すュエ。はげ親父はふたり組の席に詰め寄り、面長の男に掴みかからんばかりだ。


「やはり国民の中でも意見は割れてるんだな……」

 呟く王子。

「みんな、最近は喧嘩ばっかりなんだ……。だから私、街にはあまり居たくなくって……」

 森の娘が哀しそうな顔をした。


 食器の割れる音。面長の男が食卓に突っ伏する。


「何も殴ることはないだろ!」

 面長の男がはげ親父にやり返す。

 親父は顔でこぶしを止めると憎悪を露わにした。


「ついこの前、うちの娘が赤ん坊を流した! 毒水と煙のせいだ! てめえらは切って燃やして殺すばかりで、何も生み出さねえくせに!」

 石工の親父のこぶしが面長の顎を捉える。

 面長の男は派手に食卓をひっくり返すと、頭を振って吠え返した。


「ひとのせいにしてんじゃねえ! 俺たちだって、部族連中や獣に襲われて死ぬことだってある! こいつは足だけじゃねえ、弟だって戦争で持ってかれてんだ! 薪と肥料の為に甥っ子と嫁さんは遺された!」


 面長の男が背の低い男を指さす。彼はうつむいた。


「お客さんたち、お店めちゃくちゃにしないで欲しいネ!」

 涙声の店主。


「うるせえ。料理ひとつするんだって薪が要るだろうに。だいたい、あんたはよその国の出身だろうが! 誰彼構わず料理を出してうまい汁吸ってるくせに、外野が偉そうに言うんじゃねえ!」

 面長の男が睨む。石工の男もかばう様子はない。


「うまい汁食わせてるのはこっちネ! 祖父が東の出身なだけで、ワタシは生まれも育ちもここヨ!」

 店主も声を荒げる。


「ュエさんも、やめなよう」

 メーニャも声をあげるが、男たちの罵声にかき消され彼らの耳には届かない。


「血が混じってんなら同じことよ! 神樹の呪いとおんなじだ。てめえの血も汚れてんだよ!」

 面長の男が店主を突き飛ばす。手が顔に当たり、よろめくュエ。


「……血も入ってないネ。でも関係ないヨ。祖父は孤児になってた母さんを拾って育ててくれたネ。優しい祖父の国は家族を何より大切にするヨ!」

 異国なまりの店主は鼻血と共に抗議をした。


「ュエさん!」

 メーニャが駆け寄る。

「酷いよ。どうしてこんなことするの!? なんでみんな喧嘩するの!?」


「お嬢ちゃんは黙ってな! これは大人の問題だ!」

 面長の男が怒鳴りつける。娘は怯まない。


「大人の問題? どうして? おじさんの娘さんは関係ないの? そっちの人の甥子さんは? 私、おじさんたちが言ってること分かんないよ!」

 メーニャの叫び。


「娘の話はすんじゃねえ!」

 石工の親父がこぶしを振り上げる。額には青筋が浮き上がっていた。


「その辺にしておけ」

 熱気の渦巻く店内に凛と響く、涼しげな声。


「なんだてめえは」

 男たちが視線を向ける。彼らとは一線を画した身なり、腰に帯びるは優雅な装飾の剣。


「店に迷惑が掛かってる。その子に手を上げるのも筋違いだ」

 アレブの指摘。石工の男は慌ててこぶしを下ろす。


「す、すまん。ついかっとなって……」

 親父が頭を下げる。


「おまえ、何様のつもりだ」

 面長の男が怪訝そうに少年を見やる。


「僕はその子の友人だ」

 アレブは腰の剣に手を置いた。


「その剣。おまえ、いいとこのぼっちゃんか。おまえこそ口出しすべきじゃないな。

 王族やお偉いさんは口を動かすだけのごく潰しだ。かと思えば王は殺しに明け暮れる蛮族。

 国は克服派を推してはいるが、結局は森の連中と変わりはしねえ。

 てめえら金持ち連中が頭や金の使いどころをもっと考えてくれりゃ、

 俺たちはこんな思いをしないで済んだんだ! 実質国を動かしてるのは俺たちなんだよ!」


 面長の男が詰め寄る。はげ頭の男もアレブを睨んだ。


 少年は自身への生の憎悪を生まれて初めて受けた。手が剣の柄を握る。


「だ、だめだよアレブ!」

 慌てるメーニャ。王子に斬るつもりはなかった。柄を握らねば、みんなに怯えが知られそうだった。


「なんだ? 俺を斬ろうってのか? いいよなあ、偉いさんは。ちょっと“おいた”が過ぎてもお咎め無しでよ。だが、その剣で人が殺せるのかい? ぼっちゃん。おまえ、まだ子供だろう? 人を斬ったことがあるのか?」


「試してみるか? この剣で斬れるかどうか」

 少年の上擦った声。

 男は剣に臆することなく少年の前まで歩く。


「俺はある」

 耳元でささやく男。


「話を聴いてたんなら分かるだろう。森の連中とやりあった。ムン族もヤック族も殺したことがある。

 連中に混じってたこの国の調和派の人間だって殺したことがある。殺人者だ。だが、これだけは言っておく。俺から先に手を出したことは、一度もねえ」


 面長の男は少年の肩を軽く叩くと踵を返した。


「おっさん。迷惑かけたな」


 荒れた食卓に金貨一枚と銀貨数枚を積み上げる。

 背の低い男も小声で謝ると、銀貨二枚をさらに乗せて、片足を引きずって続く。


「青二才が。でしゃばると怪我するぞ」

 石工の男も料金を置いて出て行った。


 少年だけが残された。娘と店主は何やら言っていたが、彼の耳には届かなかった。


***

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ