.13 城に住む者
王子の教育係の女マブは頭を抱えていた。
頭を抱えて城の中を右往左往。親を見失ったマガモの子のように。
「アレブ様! アレブ様!」
それもそのはず、彼女の教え子の王子アレブがここ数日のあいだ、姿をくらませてしまっているのだから。
「おい、そこのおまえ、王子を見なかったか!?」
適当な兵士を捕まえ詰問する。兵士は肩眉を上げるとため息をつき、首を振って答える。
「さっきも聞かれましたよ。いらっしゃったらご報告にあがりますって」
ぞんざいな扱い。王子の教育係といえばそれなりの地位だ。雑兵よりはましだろう。
「おい、料理係!」「おい、掃除係!」「おい、牢番!」
教育係マブは仕事の合間を縫って、目下の者に尋ねて周った。毎日毎日、何週も何週も。
彼女は焦燥していた。それは単に王子が行方不明だからではない。居ないのは分かっている。
それは彼女の不手際ではない。それでも彼女は教育係であるから王子を探さねばならない。目下の者が知らぬとなれば、あとは目上の者しか居ない。
マブにとっての目上の者。この城に三人。彼らは彼女よりも長く生き、長く城に務め、そして彼女が苦手とする人々だった。
彼らに会うのは気が引ける。これまで他の役目を言いわけに避けてきた。だが、もう限界だろう。いよいよ王子は行方不明だと認め、報告せざるを得ない。
痛みと焦りで頭をふらつかせながら、王子の行方不明数日目にして、ようやく彼らに訊ねに行く。まずは一番当たりやすい所から。
「お母さま。アレブ様の姿が見えないのですが」
彼女が訪ねたのは自身の母メイヴだ。
マブの父は先代の教育係である。若き頃のルーシーンや、現王ハイクの教育係を務めていた。
その妻メイヴは夫の仕事を手伝い、彼が亡くなったのちに仕事を引き継いだ。
正式な教育係ではなかったが、ルーシーンにとってもハイクにとっても、また娘であるマブにとっても後見人のような立場にある。
「ルーの孫だからねえ。放っときなさい。そのうちに帰って来るだろう」
気のない返事。メイヴは八十も過ぎた老婆である。それでも足腰はしゃんとし、身なりを整えることは忘れなかった。
今でも城の中を闊歩し、調度品に指を這わせてほこりを息で吹く仕事に余念がない。
「お母さま! アレブ様は王子ですよ? 行方不明と知られれば大事になります」
「行方不明自体が大事じゃなくてかい?」
メイヴは盃を口に運ぶ。満たされた液体は赤い酒。
「なにを呑気に! そうですよ、大事ですよ! お城の中に居らっしゃらないということは、お城の外に居るということです! 外ということは城下町か、森かということですよ!」
「よその国かもしれないねえ」
飲み干し継ぎ足す。彼女の部屋には首の細い酒瓶が並べられ、外国から取り寄せられた木樽がいくつも置かれていた。
城の重役の部屋というよりは、酒蔵のように見える。マブはただでさえ頭が痛いのに、酒のにおいで眉間のしわを深くしなければならなかった。
「馬の数は足りてました。アレブ様の足では、そう遠くへは行かれてはいないでしょう」
「さらわれたのかもしれない。ほら、今って調和派の活動が怪しくなってきてるだろう? 王子を人質に、森を焼くのを止めろとか言いだすかもしれないねえ」
「そんなことになったら国が傾きます。大戦争ですよ! そこまで推測できるなら、お母さまももっと慌ててください!」
マブは頭を掻きむしった。ここのところ忙しくて手入れができていない髪。
彼女も年寄りに片足を踏み入れていたが、まだおんなを捨てていない。旦那も欲しいし、血もあまり流れなくなったが子供だってまだ欲しかった。
「慌ててどうにかなるもんかい。それにおまえ。私を責めるのはお門違いだろう?
調和派が目の敵にしている克服派の活動には、国も加担してるだろうに。
おまえがしっかり監視していないから、そういう事態を招くんだよ。明日にでも城下に行って情報収集するんだよ」
メイヴがまた盃を空にする。彼女は“うわばみ”だった。酒が至上の楽しみだ。
若いころからのんべえで、これを邪魔されるのを何より嫌った。
城の下っ端たちは酒のにおいがしないか常に鼻を鳴らさなければならないほどに。
そして今、娘がうるさく騒ぎ立て、それの邪魔をしている。ところが、彼女には腹を立てる様子がなかった。
「まだそうと決まったわけではありません! 他を当たってまいります!」
マブは床を踏み鳴らしながらメイヴの部屋を出た。
「はいはい、いってらっしゃい。……マブは本当に賑やかだねえ。やっぱりあの人の子だ。」
また盃がからになる。
歩く地団駄は現王ハイクの部屋を訪れた。
「ハイク様、いらっしゃりますか。マブです」
髪を整え扉を叩く。
「入れ」
短い返事。
「失礼します」
扉を開くと熱気がマブの顔を押した。王の部屋は戦士の部屋でもある。むせかえるような男のにおいに、ふらつく頭が酷くなる。
「何用だ」
室内で鎚を振る戦士。彼は仮想の敵兵の頭蓋を砕いていた。
「お、王子が、アレブ様の姿が見当たらないのです」
恐る恐るのマブ。
「ほう、いつからだ?」
珍しく関心を示すハイク。普段の彼は、王子の事で相談をされてもそっけない反応しか返さないのだ。
「す、数日前からです」
叩き殺されることを覚悟するマブ。彼女は忙しかった。本当に。
「報告が遅いな。まあ、やんちゃが足りぬと危惧していたところだ。あれの孫で俺の息子だ。このくらいがちょうど良い」
ハイクは鎚を下ろすと、にやりと笑った。これまたマブにとって意外な反応。
「市井は混乱しております。そんな中、王子が出歩かれるのはいささか危険かと存じますが。母も、アレブ様は調和派にさらわれたのではないかと危惧しております」
「メイヴ様がか? ならば、さもありなんだな。それと分かれば下手人を自ら討ちに行こうぞ」
戦士の顔が笑う。
「恐ろしいことを。あなたは王なのですよ。それに、アレブ様の父だというのに! 王子に万が一のことがあったら……」
マブの小言。
「うるさいな。俺の息子なら、むしろ自身で連中を皆殺しにして帰って来てもらわねばな。死んだらそれまでよ」
渋い顔のハイク。
「ハイク様はお探しになられないのですか?」
「いかぬ。さらわれたのなら下手人はおまえが調べろ。仕事だろう? そうでないなら、あいつにも何か考えがあっての抜け出しなのだろう。放っておけ」
再び鎚を振り始めるハイク。
マブは部屋を出、扉を閉め、再び頭を掻きむしった。
最後のひとり。マブがもっとも苦手とする人物。
城の離れ。独立した庭を持つ壁に隔離された空間へ。
マブは離れの庭が嫌いだった。低い緑の絨毯は草の汁で靴を汚すし、低木は虫やヘビの住処だ。
樫の木から落ちてくるどんぐりが頭を叩くのも腹立たしい。ゆいいつ、庭園に不釣り合いなそびえ立つ石の壁の安心感だけは昔から好きだった。
先王ルーシーンの庭。
マブとルーシーンは二十年程度の歳の差がある。
マブの生まれた当時、王だったルーシーンの教育係を務めていた父。ルーシーンは近親者の娘であるマブの誕生を喜んだ。
親子ほどの差ではあったが、まるで妹のような扱い。王の職務がないときはやたらと構われた。
おしゃべりの相手をさせられたり、王自らが焼いたパンを口に押し込まれたり。
幼い彼女が「女王様が見当たらない」と慌てて探してみたら、茂みからヘビに見立てた木の蔓が飛び出してきたり……。
歳を経て、現王ハイクが生まれたあともそれは続いた。
次代の教育係としての訓練も兼ねてルーシーンの仕事にも付き合ったが、彼女の飛び込み型の無茶な政治には散々苦労をさせられた。
ハイクのように武器こそ取らぬが戦場に赴きたがったし、災害や不作で疲弊した地域に自ら乗り出して石を投げられることだってあった。
それでもマブは、ルーシーンの政治が民を想っての善意から来るものに見えたからついてきた。
この立場がいきおくれの原因のひとつになったことに関しては、恨みがましく思ってはいるが。
ルーシーンが王を退き、マブの職務が本格的なものになった頃にようやく破天荒な日常から解放された。
だが、結局は政治の引継ぎの不足をマブが埋めねばならなかったし、新王ハイクはいくさ馬鹿で、めんどうな国政の多くを先王や教育係たちに任せたがった。
母メイヴはマブへの負担を「城での地位の向上だ」と喜んだ。それが少々、労働負担の均衡を欠くものだったとしても。
マブの父は早くに逝去していた。ルーシーンへの説教中に頭が「ぷっつん」してそれきりだった。
片親であるマブにとって母メイヴは絶対だ。人としても、おんなとしても、教育係としても彼女を上回る。
うしろ盾であると同時に目の上のたんこぶでもあった。
たんこぶといくさ馬鹿をやり過ごしたマブ。今度は藪のヘビをつつかねばならなかった。
「はあ……」
壁の中に作られたルーシーンの部屋の前。彼女はたっぷりとため息を繰り返して扉を叩く。
「ルーシーン様。ルーシーン様!」
……返事がない。
「ルーシーン様。おられませんか? 大事でございます!」
いっそもう、留守で良い。そのほうが楽だ。――留守でありますように。
マブの哀願とは裏腹に、中からばたばたと慌ただしい足音が聞こえる。
「あら、マブ。どうしたのかしら?」
部屋のぬしが現れる。ゆったりとした口調。マブは眉をあげた。ルーシーンの額には不釣り合いな玉の汗があったからだ。
「ルーシーン様。ご気分が優れないのですか?」
ならばベッドへ押し込んでしまえ。孫の不明という衝撃的な事実はお身体に障る。
「いいえ、元気よ! ちょっとお茶をしていて。パン窯を見ていたら熱くなっちゃってね」
部屋から香ばしいパンのにおい。……それと少しの馬のにおい? マブが中を覗き込むと、食卓の上にはパンと茶器が並べられていた。
「誰かお客様がいらっしゃったのですか?」
マブが質問する。
「お客様? いいえまさか! マブがそろそろ来るかしらって」
ルーシーンが激しく手を振った。
……この人は変わらない。何かいたずらを企んでいるときはいつもそうだ。
過去にあったいたずらの回数、私が憶えてる限りで二千八百飛んで九回。
「私が訪ねるなどとどうして? それになぜ三人ぶんも用意なさっているので?」
教育係は先王に向かって大きなため息をついた。
「えっ、えーと。どうしてかしらね? わたし、ぼけちゃったのかも」
ひと回り以上の年上目上の女は、小娘のように肩をすくめた。
「ルーシーン様。アレブ様が数日前より行方知れずとなっております。ひと通り探してみましたが姿が見えません。何かお心当たりございませんか?」
ずいと詰め寄るマブ。
「わ、わたし、分かんない。ああ! 可愛いアレブが行方知れずだなんて!」
額に手を当てよろよろとベッドへ向かうルーシーン。
「ああ、可哀想なルーシーン様! どうぞご自愛を!」
マブは大きな声で言い放つと、勢いよく扉を閉めた。
どうやら王子の事は心配無用のようだ。このいたずら老婆が一枚噛んでいるらしい。マブはため息をつく。
よくよく思い出してみれば、現王が子供の時代にも、似たようなことが度々あったではないか。
母にだけは報告しておかねば。あの人はなんて言うだろうか……。
考えるのはやめよう。頭が痛くなる。楽しいことを考えるんだ。心配事がなくなったのだから、今晩は蜂蜜酒で一杯やろう。
甘い黄金に想いを馳せるマブ。少し水で薄めて、さらに甘いジャムを加えて、ふわふわの白パンと一緒に……。
母メイヴの部屋へと引き返したマブ。
酔っ払いのにおいに辟易しながら、事の次第を報告する。
「……と、言うことで、恐らくアレブ様の行方はルーシーン様がご存じのようです」
今日はため息の収穫日だ。
メイヴは飲みかけの盃を置くと、こめかみに額を当てた。彼女は“ざる”のはずだったが。
「またルーかい。あの子にも本当、困ったものだねえ。いつまで経ってもおしめが取れない」
しばらくの沈黙のあと、メイヴは表情を深めてマブへと向き直った。
「やっぱり、城下の様子を調べて来なさい」
「どうしてですか?」
仕事は多い、できれば遠慮したいものだが……。
「あの子は何かを企んでる。この歳になって、ただのいたずらということはないだろう。他に客が居たというのが気になるね……」
メイヴは盃を空にし、次の一杯を支度し、顎に手を当てた。
「何かお疑いで?」
「ルーは、ハイクはいくさが過ぎると考えてるからね。ハイクは最近、自国民まで斬りだしたそうじゃないか。調和派の、特に過激な連中だけのようだがね」
赤の水面を睨む老婆。眼光は鋭い。
「ま、まさかルーシーン様は調和派と繋がりが……?」
マブの声が震える。
「そこまで言っちゃいないよ。あくまで可能性の話だ。だから城下を調べろと言っているのさ」
盃には手を付けない。
「まさかルーシーン様が造反? そんなことをしたら国は二分されてしまいます! ああ、なんてこと……」
頭を抱えるマブ。
「あの子も若い頃は“双頭の鷲”と他国に恐れられたほどの王だったんだ。
隠居をしているのは性に合わないんだろうさ。
ま、私にはルーが政権を持とうとハイクが戦火を広げようと関係ないけどね。
嫁いできて以来、城の中が世界のすべてだ。私ができることと言えば、おまえ達が少しでもましになるように助言してやることくらいさ」
メイヴはゆっくりと懐かしむように言った。とろんとした目つき。老婆は若き頃の想い出に酔い浸る。
「……とにかく、なんであろうと調べは必要だろう。杞憂なら良いんだけどね」
飲兵衛が酒瓶の首をつかみ振る。水たまりを叩く音。未開封の瓶は遠くの棚だ。
「何してるんだい? さっさとお行き!」
突っ立ったままの娘を追っ払う。
呆けていたマブは正気に戻り、弾かれたように部屋から飛び出して行った。
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