翡翠の凶槍②
同海域 巡視船「しきね」
突如霧に包まれた周辺海域、不審船は「しきね」の水上レーダー及びFLIRにて、多少のノイズを含みながらもその位置を継続して捉えていたが、目視ではその姿をぼんやりとしか捉えられないでいた。
その時、操舵室で霧の向こうの不明船から鮮やかな閃光を確認した竹本は、言い知れぬ危険を感じ、航海士に回避を命じた所であった。
「敵の様子がおかしい! 面舵60度! 全速で離脱しろ!」
指示を聞いた航海士は、即座にウォータージェット推進器の水力調整レバーを押し上げる。それと同時に操船ハンドルを右に切り、ハンドル上部の角度計の針を60度の位置でぴたりと止めた。すると、「しきね」が船体を大きく傾けながら右に急旋回を行おうとする。その揺れに操船区画を含む船橋の人員は大きく姿勢を崩しかけたが、すぐに近場の操作台にしがみつき何とか堪えていた。
その数秒後、謎の閃光を発した敵船をノイズを含み始めた赤外線モニターで監視していた青葉が叫んだ。
「船長! 不明船から攻撃来ます!」
直ちに状況を理解した竹本は、すぐ側の受話器を取って、全乗組員に対して船内放送で呼びかけた。
「全員、衝撃に備えろ!!」
それを聞いた各部署の船員たちは、すぐに手近なものに掴まる。その瞬間、「しきね」を凄まじい衝撃が襲った。
左側方の不明船から放たれた翡翠の槍は、「しきね」の咄嗟の回避行動により、船尾部分を貫通した。回避行動の結果、人員の多い中央部分の被弾は免れたものの、不運なことに、その凶槍は「しきね」の生命線である4基のディーゼルエンジンの内3基を破壊し、「しきね」の航行能力のほぼ全てを奪ったのだった。
操舵室内に設置された、ディーゼル機関と推進器の状態を示すステータスパネルの複数個所が赤く点灯する。慌てて、その警告灯を確認した航海科員が竹本に報告する。
「船長! ディーゼル機関及び推進器のスクリューシャフトが3基破損、機関室で火災発生!」
竹本はすぐに手元の受話器を顔に引き寄せ、機関室と連絡を試みる。
「機関室! こちら操舵室、応答しろ!」
竹本は数秒待ったが応答は一向になく、再度、繰り返し呼び出し続けたものの、機関室の人員は竹本の呼び出しに応えることはなかった。
竹本は横の青葉に指示を出す。
「機関室に応急要員と救護員を急がせろ!」
青葉はすぐに応急班と救護員に連絡し、機関室に急行させた。そして、竹本の方に顔を向ける。
「船長、本船の高速機動力は完全に失われました。こうなれば、この場で、全力で応戦する他はないでしょう」
竹本は、攻撃後もこちらの正面に接近を続ける不明船の方を睨みながら答える。
「分かった。直ちに攻撃して来た不審船に射撃を開始、横のもう一隻は「いずなみ」に任せろ」
青葉は命令を受け、通信員に「いずなみ」への援護要請を送信させる。そして、操船区画の端で監視装置のモニターを眺める坪倉と谷口に射撃命令を下した。
「目標正面、不明船、30mm単装機銃、用意」
坪倉と谷口は、射撃の統制号令を復唱しながら、FCSと連動した赤外線監視装置の照準を正面の敵船及び氷塊にセットする。
「射撃用意良し」の報告を聞いた青葉は、すぐに号令をかける。
「発射! 氷塊ごと撃ち抜け!」
船橋の砕かれた防弾ガラスの先から、30mm単装機銃の削岩機のような咆哮が操舵室に響いた。
フルオート射撃で発射された30mm徹甲弾の暴風は、正面の氷塊に着弾すると、氷の表面を深く抉りながら氷塊を徐々に穿っていく。絶え間ない空気を震わす轟音は、常に毎分400発のリズムを保ちながら響き続ける。
そして、徹甲弾が氷塊を砕き続け、遂に氷塊に罅が入ろうかという瞬間、突如霧の中、前方の海面が盛り上がり始め、大きな水しぶきと共に半透明のドラゴンのような巨体が立ち塞がった。
突然の出来事に言葉を失う船橋の面々。そして、目の前の半透明の怪獣は咆哮を上げ、その瞳と思しき部位を緑色に発光させた。その巨獣は更にもう一度だけ咆哮すると、口元に水を溜め始める。
それを見ていた竹本は無意識に危険を感じ、前の航海士に、残った一基の推進器と船首に備え付けられたバウスラスターを使って回避を命じる。
「奴は何か攻撃してくるぞ! 残った推進器とスラスターで何とか回避しろ」
前方のドラゴンが水を口元に溜め込みながら上を向く。次の瞬間、正面に向き直ったドラゴンの口から、細いノズルから出されるような高圧水流が放出され、海面に突き刺さると、水しぶきを上げながら「しきね」を両断しようと迫ってくる。猛烈な勢いで迫る水しぶきが「しきね」の僅か数メートルにまで迫ったその時、「しきね」の船尾の推進器と船首のスラスターが推力を左に向け全力で回転すると、船首をドラゴンに向けたまま船体を横にスライドさせた。
僅かにドラゴンの水流ブレスが狙いを外し、船橋の右端を切り裂いた。しかし、切り裂かれたアルミニウム合金製の船橋端部には奇跡的に人はおらず、船橋後方の作戦情報室(OIC)に僅かながらの損害が出ただけであった。
前方の正体不明の怪獣に対し、最大限の警戒が必要だと感じた竹本は、すぐに坪倉に応戦を指示する。
「坪倉! すぐに応戦しろ! 効き目があるか分らんが、あの半透明の怪獣に徹甲弾を撃ち込め!」
船長からの指示を受けた坪倉はすぐに谷口に指示を出す。
「谷口、すぐに奴に照準を合わせろ! 奴をFLIRで捉えられるか?」
FLIRのモニターを見ていた谷口が答える。
「熱源の反応はあまりありませんが、目標が大きいので、FLIRとLIDAR(遠隔監視採証装置)の両方でも輪郭はハッキリと捉えています」
それを了解した坪倉は谷口に射撃を指示する。
「よし谷口、奴に照準を向けろ。目標、前方の不明生物頭部、射撃用意」
谷口がコンソールを操作すると、白黒のFLIRモニター中央の照準レティクルが、ぼんやりとした不明生物の頭部と思われる部分に合わせられる。そして、船首の30mm単装機銃の砲塔が前方の不明生物頭部に指向された。
すぐに坪倉は号令を下した。
「発射っ!」
撃ち出された30mm徹甲弾は寸分の狂いもなく真っすぐに、前方の不明生物頭部に飛び込んだ。着弾した徹甲弾は水しぶきを上げながら、不明生物頭部の輪郭を徐々に歪んだものに変えていく。そのあまりの苛烈な威力に、不明生物は苦悶の咆哮を上げながら顔を手で覆い隠す。しかし、止まらない機銃の砲火は覆い隠していた手の形すら崩していく。遂に、水を纏ったままの半透明の手がもがれようとしていた時、不明生物は咆哮を上げ、再び口元に水を溜め始める。
「まずい! またブレスが来るぞ! その前に早く頭部を破壊するんだ!」
竹本がそう叫んだとき、既に不明生物は、こちらをその緑に怪しく光る両目でしっかりと睨みつけており、口元で大量の海水が圧縮されている所だった。先程から休むことなく響き続ける機銃の銃声、船橋の砕けた防弾窓を貫通して、操船区画に直接反響してくるその音は竹本らに耳鳴りを覚えさせた。
ここまでの一瞬の状況をずっと見守ることしか出来なかった竹本は、ここで覚悟を決め、拳を握りながら不明生物を睨み返した。
不明生物が高水圧ブレスを放出しようとした刹那、竹本と不明生物の目が合う。その瞬間、30mm単装機銃から発射された100発以上にも上る徹甲弾が、遂に不明生物の顎を完全に破壊し、続いて海水を纏った頭部までを完全に駆逐した。完全に静止する不明生物、竹本の合図と共に止まる銃声。30mm単装機銃の最後の空薬きょうが甲板に排出され、真鍮の響きが船内の静寂を包んだ。
その時、静止した不明生物を見つめ続けていた竹本は驚愕する。静止した不明生物は頭部を失って以降、徐々に全体の輪郭が崩れ始め、次の瞬間には、纏った海水を保ち続けていた力が突然切れたかのように、大量の海水で形作られた体が滝の如く海上に降り注ぎ、その姿を完全に霧散させた。
この機を逃さず、すぐに竹本はその背後の不明船への射撃を命じる。
未だ硝煙が香り、発射熱の冷め切らない砲塔が再び動き、崩れかけの氷塊に銃口を合わせた。射撃の号令と共に発射された弾丸は容易に氷塊を砕き、その更に後方にあった帆船を射線上に捉えた。
その時、射撃を監視していた谷口が、船上の魔法使いが不自然な行動をしているのに気づいた。
「坪倉さん、あの魔法使い船上で杖を構えています」
谷口に言われ、モニターを覗き込む坪倉。船上では魔法使いが杖をこちらに向けずに上空に掲げながら、熱源反応のある怪しげな靄を発していた。彼らの過去の行動の共通点から、坪倉は彼らが何かをしようとしている事を察する。しかし、何をしようとしているかまでは坪倉の想像は及ばなかった。坪倉は竹本に報告する。
「彼ら、また何かをしてきそうです。すぐに回避運動を取った方がよろしいかと」
「ああ、分かった。直ぐにそうしよう」
竹本が坪倉の進言を受け、航海士に回避運動を命ぜようとしたところだった。
その時、目の前の海面が突如吹き上がる。高く舞い上がったしぶきが晴れたとき、そこには先程の半透明の巨大生物が佇んでいた。一同はあまりの驚きに凍り付き言葉を失った。一度、頭部を完全に破壊した巨大生物、それが何故こんな目の前にいるのか、そして何よりも、なぜ海水に帰した不明生物が復活したのかが理解できなかった。
全員の理解が追いつかぬまま、眼前の不明生物は咆哮を上げ、既に準備が完了しているかのように見える高水圧ブレスをこちらに向け発射しようとした時だった。
距離が近すぎる。既に命令も間に合わん。どうすればいい!?
目の前に佇む不明生物の顔には、翡翠の宝石を埋め込んだかのような瞳が怪しく輝き、薄暗い操舵室を霧の中から僅かに照らした。
そして、不明生物の顎がゆっくりと開かれた――。
――