4.転落
「その話を詳しく聞かせろ」
騎士の言葉を聞いた次の瞬間、僕は骨にヒビが入っていることを無視して両手を使い地面に這い上がった。
傷を庇うこともなく力を込め這い上がったせいで骨がズレる感覚と共に手の甲に痛みが走る。
「なっ!」
だが、その全てを無視して僕は騎士に詰め寄った。
騎士2人はまるで曲芸師のように地面に這い上がってきた僕を見て、呆然と立ち尽くす。
直ぐに僕がただの素人でないことに気づいて腰の剣に手をやるが、
「無駄」
「がっ!」
その時にはもう手遅れだった。
剣を抜き放つ間も無く僕に蹴り飛ばされ1人はあっさりと意識を失う。
そしてもう1人はあっさりと倒された仲間を見て実力の差を悟ったのか剣を抜くことさえ諦めて僕に背を向けて逃げ出そうとする。
「うぐっ!」
だが、僕に足を引っ掛けられ転びその試みは断念する。
「何なんだよ、お前!」
地面に倒れこんだ騎士が僕に向けていたのは恐怖だった。
当たり前だろう。僕達は平和な世界の学生だと騎士達も知っているのだ。
そんな学生が圧倒的な力を持っているなど考えもしなかったはずだ。
「お前の疑問なんてどうでもいい」
だが、僕はその騎士の疑問を無視する。
そして腰にある剣を抜き放つ。
抜きはなった剣は確かな重さを有している、人を殺すことのできる武器だった。
僕は剣など持ったことはない。
まず祖父が教えてくれたのは刀を扱う技術だった上に、それも木刀しか振ったことはなく真剣を持つのは今が初めてだ。
だが、僕はそのことを悟られぬように極めて自然な動作で騎士の首元に剣を突きつける。
「ひっ!」
「お前が口を開いていいのは僕の質問に答える時だけだ」
首元に突きつけられた剣に騎士は無様に呻く。
その目には溢れんばかりの恐怖が浮かんでいて、
「僕を殺せと命じたクラスメイトは誰だ?」
僕はそれを見て、彼は脅しに弱いと確信する。
「そ、それは……」
僕の想像通り、恐怖に屈して騎士は口を割ろうとして、
そしてその騎士の頭は破裂した。
「あ、?」
何が起こったのか分からず僕は、目の前の死体を眺める。
それは今まで僕の目の前で息をして、話をし、つまり生きていた人間。
「っ!」
そして初めて人の死を目前にした僕は冷静さを手放した。
それがどれだけ最悪な判断が分からずに。
振り返ると気絶していたはずの騎士も死んでいた。
「な、何が……」
そしてそう呟いた時だった。
直ぐそば、幾ら壁が光っていると言えども地上よりは遥かに薄暗い迷宮の端で何かが動く気配がする。
「なっ!」
それは迷宮に住む魔物のものと思わしき骨。
だが、この迷宮にはアンデット系の魔物は存在しないはずで、
「え、?」
そんなことを考えていた僕の身体を再度浮遊感が襲った。
地面に足はついている。
なのにどこかふわふわした感覚は消えなくて、それからようやく気づく。
ー あ、そうか。足元自体が崩れているのか。
そしてそんなどこか間抜けな思いと共に僕は迷宮の下層に転落していった……
「やらかした!」
身体が加速度を増加させつつ、何があるのかまるで分からない下へと落ちて行く。
そしてその落下の中、僕は浮遊感に身を包まれながら唇を噛み締めていた。
人が死ぬのを、それも殺されるのを初めて見た、それは確かに衝撃的な体験だろう。
日本にいればまず遭遇することのない体験だ。
だが、ここは日本ではない。
「畜生!覚悟、決めていたはずなのに!」
そう、この世界でクラスメイトを助ける、そう決めた時にそれらの覚悟は決めたはずだった。
だが、実際にその場面に出くわすと僕は何もできなかった。
あそこから逃げることどころか、足場を崩されてもなお何の反応も返すことができなかった。
今の身体能力ならば、足場が崩れた状況でさえ、落ちないよう行動できたはずなのに。
「くそ!くそ!」
そう呻きながら、僕は手足を伸ばし壁に引っ掛け落下を止めようとする。
だが、その足も手も壁にかすることさえなく落下していく。
焦燥と恐怖で口の中が乾燥して、ヒビの入った手の甲の痛みがやけに身体に響く。
「っ!」
最終的に落下を止めることはできない、そう判断した僕は、騎士2人の下は泉であるという言葉を信じ、足を下にするよう空中で身体の向きを変化させる。
そして、何とか向きを変えれることに成功したその瞬間、盛大な水音共に僕の身体を水が包んだ………
「はぁ、はぁ、」
僕が落ち場所、そこは酷く冷たい泉の中だった。
つまり、騎士達は僕を騙していなかったのかと呆然と思う。
あの時、騎士達が僕に嘘をつく理由など存在しなかったのだが、騎士達は無意味に僕に嫌がらせをするためだけに嘘をついているかもしれない、と僕は考えていた。
「疑いすぎだったか……」
そう僕は呟き、純粋に生き残れたことを喜ぼうとして、
次の瞬間目の前にドッサッ、という鈍い音と共に何かが降ってきた。
「っ!」
それはあの騎士2人の死体だった。
この死体も落下に巻き込まれていたらしい。
「というか、やっぱり無意味な嫌がらせをしていたのかよ……」
僕は地面に叩きつけられ、無残な状態になったその死体を見てそう呆れるように呟く。
だが、その胸中には少なくない衝撃があった。
目の前にある死体は全く原形をとどめていなくて、正直グロテスクだった。
そして僕も一歩間違えればこうなっていたということを考えてしまい、吐き気が湧き上がってくる。
「っ、何でこんなことに……」
僕は吐き気を堪えながら、そう遣る瀬無い思いを漏らす。
確かに、この2人は僕を殺そうとしていたけれども、と同情なような感情が浮かび上がってくる。
「ん?」
そして、2人の死体から目を逸らそうとして僕は1人の懐から紙が覗いていることに気づいた。
不思議に思ってそれを持ち上げてみると、
「なっ!」
それは迷宮の地図らしきものだった。
「ははっ!」
思わぬ幸運に僕の口角は自然と上がる。
ここは迷宮下層。
最強の勇者でさえ、ここに来るのは尻込みすると言われる地獄。
だが、この地図があるということは少し、ほんの少しかもしれないが、生存の確率が上がったということで、
「まじかよ……」
僕は思わず笑う。
「Gyaaa」
そして、その幸運は本当に奇跡的で、
「えっ?」
だから僕は致命的なミスを犯したことに気づいていなかった。
生臭い息と、明らかに格上とわかるプレッシャー。
振り返った僕の背後で粘着質の唾液を垂らしていた何か。
「うぁぁぁぁっ!」
それは1つだけの目をギョロつかせた巨人だった。
「Gyaaaaaaaaaa!」