第33話「果てからの帰還」
昔、御父様が言ってた。人間が他の生き物と違うのは、他人を愛するからだと。
別に人間以外でもつがいは作るし、正直理解できなかった。でも、今ならわからないでもない気がする。
千夏をわざわざ自分の家まで連れ帰ったのにも、特に理由らしい理由はない。真秋には仕返しだなんて言ったが、別にさっきのことはもうどうこうするつもりもない。
そういえば、お父さんはこんなことを言っていた。私が娘を愛すのは、娘が私を愛するからだ。娘が私を愛すのは、私が娘を愛するからだ。それはもちろんイヴ、君も同じだと。
それも最初は意味がわからなかったが、今ならわかるような気がする。
時計は夜の8時を指している。そういえばまだ、夕食を食べていない。
床に寝かした千夏の隣を立ち、台所に向かう。
「…違うね」
今は料理ではないな。先に風呂掃除だと、今度は風呂場に向かう。
扉を開けると、かべにもたれ座り込んだ。浴槽は既に汚れひとつない。座ったまま天井を眺める。借家だが、カビひとつない。
「ルツ、今何してるかなぁ」
そう呟くと、向こうの方でガサッと物音が聞こえた。だが無視して、じっと物思いに更ける。
この星でするべきことは、ただ日々の生活を日記に記すだけ。すすんで他人と関わる必要もないし、調査のことがバレれば最悪殺すことになる。
でも、正直期待していた。環境が変われば友達とかできるんじゃないかって。すごい馬鹿だったわ自分。
それで今自分は、ろくにコミュニケーションも取れない、何考えてるかわからない、外見も大して可愛くもない能力者の女を家に連れてきた。何がしたいのか自分でもわからない。
「今頃セヴァはルツとべったりなのかなぁ」
また向こうの方でドンっと何か物音がした。ハルはそれを聞くと、おもむろに立ち上がって、大きく背伸びをした。
「もういいかなぁ」
さっき、何がしたいのかわからないと思った。でも案外理解してるのかも。千夏といたら、退屈しないような気がする。
部屋に戻ると千夏がいない。さっきまで床で寝ていたのに。
「あれ? 千夏? どこ行ったの?」
ハルはそう言ってキョロキョロしながらも、左手を背後に回して、そこにいる千夏の右手を掴む。
「2回目は通用しないよ」
千夏の体を踵で蹴り上げ、そのまま前方に投げつけた。床に叩きつけられた千夏の左手からナイフが転がり堕ちる。
背中を強く打ち付けた千夏はピクピク身体を痙攣させながら倒れている。だがハルは容赦なく、千夏の腹を踏みつける。
「本当に君は何がしたいの? まぁ、僕も人のこと言えないけど」
もちろんそれに明確な返事は返ってこない。ただ、今回は少し様子が違うようだ。千夏はハルに向かい手を伸ばしている。
「何?やっと意思疎通の時間なの?」
腹から足をどかして、千夏の横に座り込む。千夏の手が頬に触れると、少し表情が和らいだような気がした。気がしただけで、やはり実際には何も変わってないのだろう。
「伝えたいことがあるなら、伝えなきゃ伝わらないよ」
すると千夏はいきなりハルの首を両手で掴んで自分の顔に近付ける。ハルはすぐにそれを止めたが、額と額が軽くぶつかった。
「2回目は通じないって言ったよポンコツ」
千夏はハルの首を掴んだまま、目を逸らして何も動かない。そんな千夏にイラついて舌打ちした。
「伝えなきゃ伝わらないって」
すると千夏はハルと目を合わせ頬を少し赤らめた。そして、ゆっくりと口を開く。
「ハル… だいすき……だよ…」
それを聞いて、数秒間沈黙した。その後ハルは少し頬を染めて口を開く。
「それも2回目」
その後また、数秒間の沈黙の後、ハルが口を開く。
「千夏、君はどうしたらマトモに戻ってくれるの?」
そう聞くと、再び額と額がコツンとぶつかった。
「…いいよ」
ハルはそう言って千夏に口付けする。今度の接吻は鉄の味も痛みも感じない。その沈黙は、永遠のように永く感じた。




