しがない物乞い
「そろそろ寝よう。まだ森は続くだろうしな」
そう言って、リーコンは横になる。傍にリマが浮かんでいるのが気配として分かる。そして、痛いぐらいに視線が向けられているのも……。しかも、腕とか顔とか一点を見つめているわけではなく、全身をまるで観察するかのように見つめられているようだ。
しばらくは無視していたものの、どうにも気になる。とうとう耐え切れず、勢いよく身を起こす。
「何故俺をずっと見てるんだ!? 寝にくいだろ!」
「ボクが目を離したら君がいなくなっているかもしれない、捕らえられているかもしれない、ひょっとしたら殺されてるってこともあり得る。ボクの役目は、君が里を救ってくれるまで君を守ることだよ。それを果たすためには、君から目を離すことはできないよ」
リマはそう淡々と述べる。老人が焚いた火で彼女の顔が照らし出され、どこか不気味な雰囲気を醸し出していた。
「早く寝なよ。寝不足になっちゃうよ? む、そうか……」
リマが何かを思い付いたような顔をする。そしてリーコンの傍へと近づいてきて、耳元で囁く。
「ボクが子守唄を歌ってあげよう。そうすれば眠れるんじゃないかな?」
「そんな歳に見えるのか?」
リーコンはリマから離れ、今度こそ眠ろうと目を閉じる。意識が途切れる直前、傍らで、リマが唄う声を聞いた気がした――
「起きて、朝だよ」
リマの声で目を覚ます。身を起こすと、眠る前と寸分違わぬ天然の寝室が目に入る。野犬や怪物に見つかることなく、無事に一夜を過ごすことができたようだ。
「あの老人は……?」
「あそこ」
リマが顎でしゃくるほうを見る。老人が何かを頬張っているのが見えた。目を凝らしてよく見てみる。それはこの森の木に育つ木の実のようだった。
「お前も食え。昨日から何も食べてないだろう」
そう言って、老人が木の実を幾つか投げて寄こしてくる。
「どうも」
食べようとした矢先、腹の虫が鳴った。自分自身で思っていた以上に腹がすいていたようだ。
質より量、と言った感じで、親指ほどの大きさの木の実を口の中へと放り込んでいく。
あと二つほど、となった時、リマが木の実をじっと見つめていることに気づく。思えば彼女は、恐らく一晩中リーコンたちを見守っていたに違いない。頑張り尽くしの彼女の前に、リーコンは木の実を見せる。
「お前も食べたらどうだ?」
「ボクには食事が必要ないんだけど、君が譲ってくれると言うのなら、食べてみようかな」
そう言ってリマは、小さな口をいっぱいに開いて木の実を頬張る。
「どうだ?」
一口、二口、ゆっくりと咀嚼するリマの顔が、段々と綻んでくる。。
「うん……とっても美味しいよ! 正直言うと、大したことないだろうって思ってたんだけど、素晴らしいね!」
「そうか……そいつは良かったな」
「うん!」
リマは頷き、ついでに最後の一つとなった木の実を拾って食べる。
「はぁ……幸せだ。フロンティアでの最大級の贅沢と言ってもいいぐらいに」
木の実を食べて恍惚とした表情を浮かべるリマとは反対に、老人が複雑な笑みを浮かべていることに気づく。
リマが美味しいと言っている木の実も、元はあの老人が採ってきてくれたものだ。そう思うと、改めて老人に対しての感謝の念がこみあげてくる。
「あんたが木の実を採ってきてくれたんだよな? 手間をかけた。えーと……」
――そう言えばまだ名前を聞いてなかったな。
そう思って、自分から名乗ろうとする前に、老人が口を開く。
「チャロストだ。エルンバルの騎士団に属していた」
エルンバルの騎士団。その言葉を聞いたリーコンの目の色が変わる。道理で剣捌きが常人のそれとは違うわけだ。
「俺はつい先日エルンバルの騎士団に配属された。もしかしたらあんたともすれ違っていたかも」
「フン、俺が騎士団に属していたのは五十年ほど前だ。今は裏路地でごろつき相手に一夜を凌ぐ、しがない物乞いさ」
確かにチャロストの見た目は、お世辞にも清潔とは言えなかった。髪も髭も伸び放題、服も薄汚いシャツとズボンで、長く下水に身を浸からせたネズミのような臭いがする。気にしていなかったが、自ら物乞いと打ち明けられると、そうとしか見えなくなる、事実、彼は物乞いなのだが。
「ふむ、道理で身なりが汚いわけだ。それに君、リーコンから盗みを働こうと思っているだろう?」
「何?」
リマがチャロストを睨む。これにはリーコンも驚いた。共に危機を乗り越えたチャロストのことを、信用に値する人物だと思っていたからだ。だからこそ、リーコンは問う。
「本当なのか?」
「……そんな訳ないだろう。こいつの出まかせだ」
チャロストはこちらに近づこうとする。しかしリマが間に入る。
「リーコンには近づかせない。君は危険だ」
「そこをどけ、俺が誰彼構わず盗むような男に見えるのか?」
説得を試みるチャロストを、リマは正面から睨み付ける。
「少なくとも、ボクには君が悪人だと分かる。そうだな、例えば、その剣は君の物じゃないだろう」
「っ……!?」
チャロストは、思わず背中の剣の柄を握る。
「図星だね。その剣の柄に、僅かに別の誰かの指紋が付いてるからね」
チャロストは一歩後ずさる。それを追うように、リマも前に出る。二人の睨み合いを見ていたリーコンの手が、自然と背中の剣の柄に掛かる。
「クソッ……」
チャロストが舌打ちする。と同時に、リーコンに向けて何かを投げつけてきた。
「おっと、危ないな。何だいこれ?」
チャロストが投げつけた物体を、リマが念力でキャッチする。彼女にはそれの正体がわからないようで、顔の前に浮かぶ球状の物体をまじまじと見つめている。しかし、リーコンには、その球の正体が分かった。
「まずい、そいつを捨てろ!!!」
時すでに遅し。その球は破裂し、中から煙が溢れ出す。煙は瞬く間に辺り一帯を覆いつくし、この場にいる全員の視界を灰色で埋め尽くした。
「何だいこれ!?」
「煙幕だ! ちくしょう、迂闊だった! チャロストはどこに行った!?」
辺りを見回すが、その姿はどこにも見えない。既に逃げられたようだ。
「逃げたか……」
リーコンは肩を落とす。それを見て、リマは不思議そうな顔をする。
「どうして残念そうなんだい? 君に害をなす存在は消えた。彼が戻ってこないうちに早く行こうよ」
「そういうわけにはいかないんだ」
リーコンは精神を集中し、チャロストの痕跡を探す。まずは足跡を探すが、それらしいものは見当たらない。あの騒動の中、足跡を残さないように逃げ出したらしい。
だが、リーコンにとっては些細なことだった。
「彼の衣服に染み付いた臭いがここの奥に続いてる」
リーコンは草木が生い茂り、先が見えないほどの暗闇に覆われた
獣道を指す。リマが魔法を使い、倒れた樹木を吹き飛ばす。これで陰鬱な雰囲気を醸し出していた獣道も、立派な獣道に様変わりだ。
「よし、付いてこい」
リーコンは自身の感覚と、リマの目を頼りに先に進み始めた。