マーディの遣い
「そんな……そんな馬鹿なっ!!? この大木を軽々と受け止めただとっ!? 貴様は一体……?」
ジギグが少女を指さして言う。少女はくるりと回って一礼し、腕を広げてみせる。
「ボクの名はリマ……マーディの遣い」
彼女の名を聞いたジギグは、目に見えて狼狽える。
「リマ……マーディの遣いだとっ!?」
「マーディだと?」
マーディというのは、この世の何処かに存在する秘境だというのが常識だ。
なのに、マーディの遣いだと? 一体全体、どういうことなのだろうか。
「物思いにふけってる場合じゃないよ」
リマから声がかけられる。我に返り、上を見ると、ジギグの巨大な拳がすぐそこまで迫っているのが見える。その場を飛び退き、同時に剣を抜く。
「やれるか? 爺さん」
老人に訊く。老人は苦笑して立ち上がるが、どこか具合が悪そうだ。
「骨が折れてるが……」
「ボクに任せて」
少女が老人に腕を向ける。
「何を?」
「動かないで」
リマの手にあたる部分から光が放たれる。老人の身体は光に包まれ、彼の顔色が元に戻ってゆく。それに伴い、彼の身体の傷も、完治したようだ。もう辛そうな姿勢は見せていない。
「信じられん。こんな短時間で……」
「これで君は大丈夫。さあ、奴が来るよ」
木こりの男には先に逃げるように言い、近づく脅威と対峙する。ジギグが腰にぶら下げていた、竜の骨で作られたと思わしき笛を吹く。角笛のような音色を響かせると、森の奥からトロールが数匹やってくる。
「エルフだろうが関係ない! お前ら、このチビどもを殺せぇ!!!」
血気盛んなトロールが先走って一匹、こちらに駆けてくる。
「任せろ!」
老人がトロールを迎え撃つ。パンチを飛んで避け、脳天に自身の剣を突き刺す。素晴らしい動きだ。
次いでやってきたトロールたちをも一匹、二匹と対処する。これなら、彼に任せても大丈夫そうだ。
リーコンは素早く木を登り、ジギグの腕を伝って肩まで登るが、振り落とされる。そこにリマが飛んできて、リーコンを掴んでジギグの頭上に運ぶ。
「いいぞ!」
落下しながら剣を抜き、ジギグの三つ目のうち一つを突き刺した。
ジギグは大音量の叫びをあげ、潰れた目を抑えて暴れる。地団駄を踏んで、何匹かトロールが巻き添えになった。
「貴様、中々やるな!」
ジギグの腕が、リーコンを掴もうとして空を切る。生憎、リーコンは、リマの助けを借りて退避していた。
ジギグの足元では、老人がピンチに陥っていた。四方をトロールに囲まれ、動くに動けない状況だ。
しかし、歴戦の戦士であるこの『チャロスト・ホノグンス』は、何度も同じような修羅場をくぐってきた。その経験に裏付けられた実力が、彼を救った。
「馬鹿どもめ!」
同時に飛びかかって来るトロールを見据え、手に持つ剣に、溢れ出んばかりの膨大な魔力を纏わせる。そして、体を軸に回転し、全方位から襲い来るトロールを斬りつけた。
トロールたちの身体が、腹から上下に分かれ、地面にドサリと落ちる。あとはそれぞれの半身から血が噴き出すのみ。一方チャロストは、剣に付いた血を払い、遥か上空を見上げる。リーコンとリマが、ジギグとの攻防を繰り広げているのが見える。
「しつこいな!」
どれだけダメージを与えても倒れないジギグに、リマが苛立つ。それに対して、リーコンは冷静に、どこに急所があるのかを分析していた。とはいえ、全身を切られ、大量に出血している状況でも暴れることができる化け物に弱点なんかがあるのかと言われると、必ずしも「ある」とは言い切れなくなる。
やはり、一番狙いやすい目を潰そう。リーコンはリマにそう伝える。
「任せて」
それだけ言って、リマはリーコンを運び上げた。ジギグの頭の上に飛び乗り、左目に剣を突き刺す。また暴れだすだろうと踏んだリマがリーコンを助け出そうと近づいてくる。だが、ジギグは暴れず、リーコンを右の手で掴み上げた。
「このチビがぁ……さんざん馬鹿にしてくれたなぁ!!!」
ジギグの顔の目の前に持っていかれる。彼の口からは、鼻をつまみたくなるような異臭が立ち込めていた。頭より下を掴まれているせいで、それも叶わないが。
「骨をバラバラに砕いてから食ってやる! さあ、もがき苦しめ!!!」
掴んでいる手に、ゆっくりと力が加えられていく。身体の至る所から、ミシミシと音が鳴る。あまりの痛みに呻きが漏れる。
「くぅ……離せ!」
「離すものか! せいぜい苦しみぬいて死んでくれ!」
腕の骨が折れる音がした。身体中に痛みが走る中、顔を上げた先に、逆光に身を晒す人影が見えた。その人影は、剣を下に構えたまま落下する。その切っ先にあるのは、一つだけ残された、ジギグの右目だった。
「ッ!!?」
右目にチャロストの剣が突き刺さる。それを受けたジギグは悲鳴を上げ、地面に倒れる。
圧倒的な戦力差を制したのは、たった一本の剣だった。