三つ目のジギグ
トロールの咆哮に耐え、リーコンは最初の一撃を繰り出す。それはトロールの太い腕に防がれ、大したダメージを与えることはできなかった。
後方に飛び退いたリーコンに向けて、トロールの拳から、強烈な一撃が繰り出される。しっかりと握りしめられたその拳は地面にひびを作り、周囲の木々が何本か倒れる。それほどに強い衝撃が襲ってきても立っていられるのは、偏にマーディルのおかげである。マーディルをその身に宿したものは、人間離れした様々な能力を手にすることができる。この状況でなら、とてつもない平衝感覚と反射神経も、マーディルからの恩恵と言える。
リーコンは、ついさっきまで、自分だけがマーディルを宿した人間と思っていたが……。
「こい、怪物!」
今もトロールを相手に余裕の表情を見せるあの老人。彼もどうやら、自分と同じでマーディルによる恩恵を受けているようだった。そうでなければ、今頃とっくに体中の骨を砕かれて死んでいるところだろう。
老人はトロールを飛び越え、こちらにやってくる。
「何をしている! お前も戦え!」
「わかってるよ」
さすがの彼も、一人でトロールを相手にするのは厳しいようだ。二人同時にとびかかり、リーコンは右から、老人は左から、トロールに向けて剣を振り下ろす。しかし、またもそれは防がれ、お返しに、強烈なパンチが二人を襲う。リーコンはどうにか体勢を立て直したが、老人は地面に倒れ、動かなくなった。
そんな彼を飛び越し、騒ぎを聞きつけたのか数匹のトロールがやってくる。
「まずい……」
隠れていたリシアスの王子がこちらを見ているのが見える。もう一人の男の姿はない。どこか安全なところに逃げてくれていたらいいのだが……。
王子から目を離すや否や、三匹同時に突進してくるトロールの姿が目に入る。それをリーコンは身を翻して避ける。その背後に、更に増援のトロールがやってくるのが見えた。
「どれだけ来る気だ……」
リーコンはその場を飛び退き、トロール達との間に十分すぎるくらいの距離を取る。すると改めて、敵とこちらの戦力に絶望的なまでの差があることに気づかされた。
何十匹ものトロールが、息を荒くしてこちらを睨んでいる。少しでも動けば、その全てが一気に押し寄せてくるだろう。
そして、この状況に呼び起されたかのように、腹に響く地響きが近づいてくる。音の主は、すぐに姿を現した。
それは恐ろしいほど巨大なトロールだった。体の至る所に奇妙な文様が描かれており、見るものすべてを威圧させるような威厳を持つ、まさに森の支配者にふさわしい有体のその姿を見て、トロール達の間に緊張が走り、ボストロールに向けて、一斉に頭を下げる。それを見たボストロールは満足したような表情を見せる。しかし、次の瞬間には、その顔には怒りの表情が浮かんでいた。
「エルフに迫害された、我ら偉大なトロールが、今再び舞い戻ったぞ!」
ボストロールが高らかに宣言する。その声は木々を揺らし、配下のトロールが何匹か吹っ飛んでしまう。飛んできたトロールは木や地面に打ち付けられ、運が悪いものは死んでしまった。
しかし、誰もそれを気にしない。なぜならば、ボストロールが動き出したからだ。
「愚かなエルフめ! 偉大なるトロールを追いやった罪を悔いながら死ぬがいい!!」
ボストロールが足を振り上げる。またも部下のトロールたちがそれに巻き込まれる。ボストロールは、それを気にすることなく地面を踏もうとする。そこにはリーコンの姿があった。
「くっ!」
自身を踏みつぶそうとする足から間一髪で逃れる。普通のトロールだけならまだしも、これほどまでに巨大なトロールが相手では分が悪い。
リーコンは老人を担ぎ上げ、王子がいた草むらに向かって走る。そこにはまだ、王子と木こりの男の二人が隠れていた。
「逃げろ!」
リーコンの声に動かされ、二人も走り出す。しかしその先には、行く手を阻むようにそびえ立つ、巨大な大木があった。
木こりの男が頭を抱えてしゃがみ込む。
「もう終わりだぁ! 俺たち全員、ここで死ぬんだ!」
「俺だけでも逃げてやる! 俺だけでも、俺だけでも!」
「う……」
王子が一人で逃げようとする中、耳元で老人が呻く。どうやら目を覚ましたようだ。
「何が?」
リーコンに担がれたまま、老人はあたりを見回す。そして、トロールの大群と、それを率いるボストロールを見てぎょっとする。
「いったい何をした?」
「怒らしたみたいだ。逃げ道もない」
老人を下ろし、リーコンはトロール達を睨む。恐ろしいほどの数の暴力。これに対抗できる手段を、リーコンたちは持ち合わせていない。
誰もが、『もう駄目だ』。そう思った。しかし救いの手が差し伸べられた。
「なんだ!?」
リーコンたちの目の前に、奇妙な光が現れる。その光は、やがて人の形を創り上げた。
「何者だ!」
ボストロールが声を張り上げる。彼の三つ目の先には、宙に浮かぶ少女の姿があった。その少女の姿は実に奇妙で、まず手首から先と足がなかった。代わりに衣服が四肢のように伸びて、はためいている。その少女はリーコンのほうを見て言う。
「君はボクが守る」
リーコンがその言葉の意味を問う前に、少女はトロールに向けて腕を向ける。すると、鼓膜が破れそうなぐらいの音量で、大爆発が起きる。その爆発は、固まって陣形を組んでいたトロールのほとんどを跡形もなく消し飛ばした。
「何っ!?」
あまりの破壊力に、老人が声を上げる。対照的に、ボストロールは、自身が一気に劣勢に陥ったことに、怒りの形相を露わにしていた。
生き残ったトロールたちは既に逃げの姿勢を見せている。その背中を追うようなことはせず、少女は、目の前に立つ敵を睨む。
「やっぱりトロールは大したことないね。君はどうかな?」
「貴様……このジギグ様に向かって舐めた口を!」
挑発を受けたボストロールのジギグの三つ目が見開かれる。ジギグはリーコンたちの背後にある大木を引き抜き、それを少女に向けて振り下ろした。木にしがみついていた王子は激しく揺られ、どこかに飛ばされてしまった。
あくまでジギグは少女だけを狙っているようだ。だが、木の長さと、その太さを見るに、このままここにとどまっていると、自分たちも巻き込まれてしまう。
「避けろ!」
リーコンの声と同時に、老人と木こりの男が走り出す。リーコンも同じように走るが、間に合いそうにない。大木の影がどんどん大きくなる。
「言ったはずだよ、君はボクが守るって」
少女の声が耳元で聞こえる。驚いて振り返ると、いつの間にやってきたのか、すぐそばに少女が浮いていて、落ちてくる木に腕を向けているのが見える。その腕が伸びる先を見て、リーコンはさらに驚く。
「馬鹿な……」
リーコンが思ったことを、ジギグがそっくりそのまま代弁する。
リーコンらの頭上数センチに、ジギグが投げつけた大木が、重力を無視して浮かんでいたからだ。
そして、この奇妙な状況を引き起こしているのは、他でもない、自分の傍に浮かぶ少女だと、リーコンは気づく。
いったいこの少女は何者なのだ。