戦争の始まり
全身が揺さぶられる感覚に、リーコンの意識は徐々に覚醒する。状況を理解するために、周囲を見回す。自分は馬車に乗せられていて、他にも何人かの男が、自分と同じように座っているのが分かる。皆、一様に両腕を縄で縛られ、拘束されていた。
「長い間寝てたな。何があったんだ?」
すぐ隣に座っている老人が話しかけてくる。リーコンは彼の方を見やり、意識が途切れる前、自分が何をしていたのかを思い出す。
部隊の仲間と共にハイデンの偵察に行き、それから……。
そうだ。俺はジェイミンに裏切られたんだ。
突然剣を向けられ、それを最後に、リーコンの意識は途絶えたのだった。
しかし殺さなかったということは、ジェイミンは何らかの目的で、リーコンを生かしたまま捕らえさせる必要があったようだ。
「仲間に裏切られた」
リーコンは老人に向かって言う。すると老人とは別の、リーコンの目の前に座っていた男が声を上げる。
「へっ。ざまあねえな。どうせあんたらの集団の中でも足手まといだったから捨てられたんだろ」
「黙れクソガキ。首を突っ込んでくるな」
老人が割り込んできた男を睨む。それに腹を立てたのか、男は顔を真っ赤にして、老人に向かって言い返す。
「クソガキィ? うるせえんだよジジイ! そいつと何の接点もないてめえにんなこと言われる筋合いはねえ!」
「黙ってろ! ここで馬車を停めて、一人ずつ首を刎ねてやってもいいんだぞ!」
馬車の運転席の方から、野太い男の声が聞こえる。それを聞いて、乱暴な口調の男は渋々といった形で座り直す。そして、憎々しげに、馬車に乗っている全員を睨みつける。
「てめえら、覚えとけよ。このリシアス第一王子である俺様に喧嘩を売ったことを!」
「あんた貴族なのか?」
リーコンの問いに、リシアスの第一王子を名乗った男は不服そうな顔をする。
「目上の者に対する敬意というものがねえのか? これだから庶民は困るんだよなぁ」
「お前みたいなのが王子なら、リシアスは一夜で壊滅しそうだな」
「なんだと!」
老人がリシアスの王子を挑発する。
リシアスというのは、このフロンティアに数多く存在する国のうちの一つだ。遥か昔にエルフがもたらした文明を活用して今日まで発展を続けてきており、領内に住む者も人間とエルフの混血であるハイエルフが大多数を占めている。今リーコンの目の前で騒いでいる男も、エルフの特徴である尖った耳を持っていることから、リシアスの王子であるというのもあながち嘘ではないのだろう。もっとも、それに相応しい威厳と礼儀は身に着けていないようだが。
突然馬車が止まる。すぐに運転手が降りてきて、リシアスの王子を荷台から引きずり下ろした。
「何すんだ!?」
「騒がしいのは嫌いでな。生憎、お前を含めたここにいる囚人たちは全員、既に生きる価値がない者ばかりなんだよ」
「どういうことだ! ふざけるな!」
王子は抵抗するが、屈強な兵士二人がかりに抑えつけられ、地に伏せさせられる。
リーコンはそれを馬車の上からじっと見ていた。王子の救いを乞うような視線と、リーコンの冷徹な視線が交差する。次の瞬間、腹に響くような大砲の音が聞こえてくる。それに続いて、遠方に騎馬隊が隊列を組んでやってくるのが見える。
「リシアスの方角だ」
老人が静かな口調で言う。確かに、その鎧のデザインや手に持った縦の紋章から、その騎馬隊はリシアスの物だとわかった。
まさかと思い、リーコンは彼らの行く先の方を見る。そこには、天に頭が届きそうなぐらいの身体を持つ巨人が立っていた。
「何なんだよアイツは!」
馬車に乗っていたひ弱そうな男が声を震わせながら言う。リーコンにも、ましてはこの場にいる誰にも、その正体はわからなかった。
ただ一つ、わかるのは……。
「戦争が始まったんだ。もう終わりだ!」
先ほどのひ弱そうな男が言ったとおりだ。何が引き金になったのかは知らないが、前々から懸念されていた、万物に宿る力であるマーディルを巡る戦争が勃発したのだ。
「馬車を走らせろ! 捕虜たちは置いていけ!」
リーコンたちを護送していた兵士はそう言い、他の兵と共に囚人が乗った荷台と馬車を繋ぐ金具を外し、早々と去って行ってしまう。生きる価値がない者どもは、戦いに巻き込まれて死ねということらしい。
「ふざけるなぁ!」
激昂した王子が、リーコンに掴みかかる。
「おい! 俺を安全な所まで連れていけ!」
王子は叫ぶが、老人がそれを押しのけ、リーコンの腕に巻かれた縄を外す。彼や荷台に乗り合わせていたひ弱そうな男の縄は既に外されていた。
「逃げるぞ」
老人に腕を引かれる。それとは別に、リーコンの足にすがるようにしがみ付く王子の姿があった。老人に引き倒された際に捻挫したのか、彼の右足首は赤く腫れていた。
「頼む! さっきまでの態度は謝る! まだ死にたくないんだ! 病弱な母と幼い妹を誰が養うんだ!」
「放っておけ。そういう奴は後で必ず裏切る」
「裏切らない! 信じてくれ!」
リーコンは瞬時躊躇うが、騎馬隊と巨人の両方が迫ってくる中、王子に肩を貸し、逃げる老人の後を追った。