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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

S・Fact

作者: 葛沼純

今からお話しするのは、僕の過去から現在に至るまでのコト。十八年のお話し。それはとても辛く、悲しかった。けど――――とても、シアワセな日々でした。

 三歳。僕の人生は、ここから始まった。

 あれはムシムシと暑い夏の深夜。ふと、目がパチリと開いた。暑さに耐えられなかったからではない……ただ、お腹が空いただけ。とても(にく)が食べたかった。それだけのコト。そして、目の前には美味しそうな人が二つ。つい数分前まで父と母と認識していたものはただの人に過ぎなかった。

 生え揃ったばかりの乳歯が父の腕を噛み千切る。皮膚は裂け、中から血がだらだらと垂れてていた。それを眺める僕の瞳は、きっと輝いていた。

「―――――――アアアああああアアアああアアア!?」

父が絶叫と共に飛び起きる。それにつられるように母も目を覚ました。けど、僕は(にく)を食べることを止めなかった。叫び声など耳に入らなかった。(にく)が起きようが起きまいが、食べることには変わらないのだ。

父と母は、噛み千切られた腕と僕を交互に見ていた……しかし。しばらくすると。二人は泣き崩れた。

『ごめん……ごめん……』

二人は泣き崩れながら僕を強く抱きしめた。

あの時、二人が繰り返していたごめん。その意味を僕はわからないでいた。あの時もそして現在も。

 いつしか父親だった(にく)は動かなくなり血で真っ赤に染まった布団に倒れこんでいた。(にく)は、あと少しだった。けれど、僕はまだ満たされていなかった。

(にく)が骨だけになり、食べるところが無くなったからもう一つの(にく)を食べることにした。(にく)は、涙を流しながら目を瞑り仰向けになっていた。それは食われることへの恐怖なのか。それとも、別な事への涙なのか。その事実を知るモノはもういない。だって、食べちゃったから。

 どのくらいの時間が経ったのだろう。満たされた僕は次第に眠気に襲われて、コトンと眠りに堕ちた。真っ赤に染まる布団と、二つの骨に挟まれて……

 目を覚ますと、見覚えの無いところにいた。床には絨毯が敷いてあってとてもフカフカしていたような気がする。そこには何でもあった。車や電車のおもちゃ。人形に積み木、テレビに子供向け番組のビデオもたくさんあった。けど、ここには人はいない。僕一人だ。だから、何でもは無かった。

ガラッと音をたてて、扉の小窓が開いた。そこからは人が目元だけを覗かせながらこちらを見ていた。

「コ、こは?」

「あなたの新しいおうちよ……って、三歳の子供に言っても分からないか」

「ねーえ」

「ん? なに、坊や?」

「おなか、すいた……食べていい?」

瞬間、(にく)の顔が青ざめたのが目元しか見えないのに分かった。理由は分かんないけど。けど、(にく)は直ぐに僕に話しかけてきた。

「あなたが食べていいのはこれです」

そう言い終わると同時に、扉が少しだけ開けられて隙間から何かを部屋に入れた。

「これ、にく?」

「そうよ。ハンバーグ、お米、野菜のスープ。ちゃんとあなたの歳でも食べられるようにしてあるわ」

僕は目の前の大きなハンバーグにフォークをグサリと刺した。ハンバーグは、母が作ってくれたことがあるから美味しいのは知っていた。

「…………」

「どう? 美味しい?」

「いやだ」

「え?」

人は、面食らったように驚いていた。

「どうして? あなたの好きな肉よ?」

「ちがう。このにくじゃない。ぼく、たべたいの。人」

あんなに美味しかったものが、全然美味しくなかった。その理由はきっと、それよりも美味しいモノを知ってしまったから。それが僕にとって唯一の食べ物になったから。

(にく)(にく)、たべたいの。ぼく、(にく)がたべたいの」

駄々をこねた。欲しいものをねだる子供みたいに僕は、扉越しにいる(にく)に何度も何度も(にく)が欲しいとせがんだ。

「……はあ。これは、まだ様子を見る必要があるわね」

(にく)は嘆くようにそう呟くと、どこかへ行ってしまった。そして、僕は一人になった。(にく)がない、何もない部屋に一人。

 おもちゃも人形も積み木もテレビも僕にはどうでもよかった。いや、違う。僕は(にく)のコトしか考えていなかった。(にく)のコトしか考えられなかった。だって僕は、ただ(にく)を食べたい。この感情しか知らなかった。

楽しいコト、悲しいコト、嫌なコト。僕は何も知らなかった。僕が知っているのは、自分が(にく)を食べるコトと、(にく)は美味しい。この二つだけだった。

だからこの部屋。子供が喜ぶような天国みたいな場所も、僕にはとんでもない地獄だった。

けれど僕はそれが辛いコトだと知らない。ただ、僕はいつでも満たされずにいた。

 (にく)は朝、昼、晩と、食事を持ってきた。毎回、違う料理だった。

「むう……」

けれど、僕はとてもじゃないけど満足できなかった。

(にく)……(にく)がたべたい」

僕のゴハンは人だけ。目の前のモノは、食事でも何でもない。こんなんで満足するわけない。

僕は。いつでも、お腹がすいていた。

 十五年。十五年もの間だ。僕は檻に閉じ込められていた。一人で、ずっと。

正直に言えば、僕はこの生活に不満はなかった。だって僕はこの生活しか知らない。だから他の生活が良いのか悪いのか分からない。だから、あの生活に満足はしなかったけど、不満もなかった――――いや違う。一つだけ、一つだけだがとても大きな問題。これ一つで全てがひっくり返ってしまう。

 十五年。僕は人を食べるコトが出来なかった。

食事。食事と呼ばれるモノは出てきていた。朝昼晩と三食。たまに夜食も出てきた。けれど、(にく)は出てこなかった。

 それは、僕とって地獄よりも辛いコトだ。いわば、僕は十五年間も絶食をしていた。食事なんてものは有って無いようなもの。カスみたいなものだ。

それが十五年。いつからだろう。僕はおかしくなっていた。いや、元から普通じゃないけどそれとは別。僕は、食欲を失っていた。違う、食欲を封じ込められていた。

これが扉の向こうの(にく)の作戦なのかは分からない。けれど、それは一応成功みたい。あれほどまでに人を欲していた僕は消え去っていた。僕は毎日、それこそ死人か人形みたいだった。なにもしない。感情もない。流す涙もない。ただ、じっと時間が過ぎるのを待ち続けた。十五年間ずっと。

 その日も僕は座ったまま時間が経つのを待っていた。なにもしない、なにもやることがない。

なにをやればいいか分からない。

キーっと、聞き慣れない音が耳に聞こえた。

「?」

首を傾けると、いつも閉じている扉が開いていた。

何年ぶりだろう。あの扉が完全に開いたのは。

現れたのは女。何年振りかに見た(にく)をじっと見ていると、ある事に気がついた。女は、あの時の人だ。ここに来て初めてあった人。(にく)は警戒しているのか、少しずつこちらに近づく。そして距離が三メートル程に達すると、(にく)は足を止めゆっくりと喋りだした。

「まず始めに…………貴方を十五年もの間この場所に閉じ込めてしまったことを謝ります。本当にごめんなさい」

人は深く、長い髪を大きく揺らしながら頭を下げた。それを僕はただボーッと見ていた。

「十五年前、貴方は自らの両親を殺し、食べた。そんな貴方を放っておく訳にもいかない。私達は貴方を保護し、あらゆる検査を行いました。貴方は覚えてないかも知れませんが、色々と調べさせて貰いました」

(にく)はあくまでも冷静に、淡々と語る。そこに感情を見いだせなかったのは僕が悪いのか、それとも……

「けれど、いくら検査をしても貴方の食人の原因は分かりませんでした。いえ、そもそも現代の医療では食人に関しては明確になっていないのですから、分からないのは当然ですね……ええ。原因が分からない以上、対処法もない中での最善の策が貴方をここに隔離することでした。勿論、私達は三歳の貴方が不満に思わないよう様々な物を用意したつもりです。それは年月を重ねても同じです。どうでしょう? 今更こうして聞くのもおかしな話ですが、満足していただけましたか?」

「生活には、不満はなかった。けどもう少し落ち着いてもよかった。何もない場所でも、僕は不満を言わない」

「そうですか。分かりました。また機会が有るときはもう少しシンプルにしましょう」

何年振りの会話もとても普通なものだった。とりとめのない、普通な会話。

「けど」

「けど、ですか?」

「僕は、人を食べていない。お陰で、今は食べたいとは思わないけど」

僕の言葉に、人は眉を少し動かしたけど、直ぐに感情のない顔に戻った。

「私達なりに努力はしました。牛、豚、鳥、羊。他にも様々な肉を貴方に与えました。けれど貴方は満足してはくれなかった。貴方にとっての肉は人だけなのですね。十五年貴方を見させて貰って改めて気付きました」

人。人。人。牛や豚は違う。あれは、にくとは言えない。僕のにくは人だけだ。

「貴方に勉学を学ばせてあげられなかったのは私達としても悔やまれます。それを仕方のないの一言で済ませればそれまでですが、どうにかして貴方を成長させるべきでした。本当にすいません」

「別に、勉学なんてしなくても生きていけるよ。だって僕、生きてるもん」

「そうね。けれど貴方は鳥かごの中の小鳥と同じなのよ。なんの不自由もなく……と言うのは語弊がありますが、少なくとも外敵に襲われる心配はありません。けれど、生きるということは鳥かごから出るという事です。自分を守れるのは自分だけなのですから」

(にく)は何かを言っているけど、僕にはよく分からなかった。きっと、これが勉学をしろ。という意味なのかな。

「自分を守るためにも自分を鍛える事が大切なの。その為の手段の一つが勉学なのよ」

「けれど、さあ。僕は、ずっとこのままでしょ? 永遠と、ここに」

「――――いいえ。それは違う」

「……、え?」

「十五年。貴方を隔離して観察をしていました。そして、私達は結論を出しました。ここから貴方を解放します」

「かい、ほう?」

その言葉の意味を、僕は直ぐに理解できなかった。クルクルと脳が動いて、やっと理解できた。

「ここから、出るの?」

「そうよ。ただし少しだけ条件がつきますけど」

「条件?」

「簡単なことです。貴方には私達が用意したマンションに住んでもらいます。そして一ヶ月に1度。ここに来てもらいます」

(にく)が出した条件は、ひどく簡単なものだった。僕は、その本来の意図を読み取ることもしないで、表面上の意味だけを受け取った。

「それだけ、なの?」

「そうです。これさえ守ってくれればあとは貴方の自由です。勿論、金銭はこちらで用意します。不満があるようなら私達に言ってください。出来る限りの事はするわ」

「それは、いつから?」

「そうね。出来るなら今すぐにでも――――と言いたいけれど、まだ貴方の準備も終わってないですし。明後日にしましょう」

二日。あと二日で僕は十五年過ごしたココから出ていく。僕は悲しいとも嬉しいとも思わない。だって、僕はこの気持ちを表す感情を知らないんだもの。

「そういう事。それじゃあ明後日に備えて気持ちの準備をしていてちょうだい」

そう言い残すと、人は部屋を出ていった。

キーっと音をたて扉は、再び閉まった。さあ。あと二日だ。

 がたがたと揺れている。この感覚に慣れていない僕はとてもソワソワとしていたと思う。

その日は暑さすら感じるほどの晴天だった。額にはじんわりと汗が滲んでいる。汗を手で拭うなんてコトを何回かやっていると、運転をしている女の人が話しかけてきた。

「どう? 思ったより落ち着いているみたいだけど?」

「落ち着いてる、より、ふしぎ。この乗り物」

「そうね。あなたは車に乗るのは初めてみたいなものだわね。大丈夫よ。よっぽどじゃなければ安全だから」

「ふーん」

とりとめのない会話が柵越しに交わされる。人は運転席で運転して、僕は後部座席に座ってる。間には頑丈そうな鉄の柵。さながら牢屋みたいだった。

別に目の前で車を動かす人を今すぐ食べようなんて思わない。もちろん、後から食べようとも思わない。

「これ、どこ行くの」

「貴方の新しいお家よ。少なくとも、今までよりは快適だと思うわ」

「場所は?」

「街のアパートよ。場所を言っても分からないと思うから言わないけれど」

「ふーん……」

 柵越しに見る。人の後ろ姿をふらふらと揺れる中で眺めてみる。けれど、すぐに飽きてしまった。今度は、窓からビュンビュンと消えていく外を見てみる。

ビュンビュン。ビュンビュン。ビュンビュン。

見ていた建物が一瞬で消えていく。とても、ゆっくりと見てられない。大きなビル。歩く人。派手なお店。全部がビュンビュンと消えていく。見慣れない風景が一瞬で消えていく。それは、とても不思議で、怖くて、面白かった。

ビュンビュン。ビュンビュン。

 どのくらい経っただろう。走っていた車は、スピードを少しずつ落としながらとある場所に止まった。

ドアを開けて外に出る。目の前には、とってもキレイな建物が建っていた。

「ここが新しいお家よ。付いてきて、部屋の場所を教えるから」

人が歩き出す。僕は人の後ろに黙って付いていった。

 階段を上がって三階。三〇八号室。人が鍵を開けた先は、初めて見る光景。そうか、僕にとって何もかもが初めてなんだ。

短い廊下を進む。その先には広い場所。テーブルとか、椅子とか、テレビがあった。

そこにくっつくように、もうひとつの場所。お皿とかがいっぱいある場所。

「こ、ここは?」

「台所よ。ここで料理なんかをするの」

「僕がつくる?」

「そうね。基本はそうだけど、強制はしないわ。お金に関しては不自由させないから、コンビニやスーパーで弁当なんかを買っても良いわ。まあ、貴方が料理を作りたいと言うなら本屋で料理の本を買うことね」

「コンビニ? スーパー?」

「ああ。それ以前の話なのね……そうね、どっちも何でもある所よ」

「何でも?」

「そう。食べ物に飲み物に日用品。普通に生活するためのモノはあらかた揃うわ」

「じゃあ――――人も?」

「残念ね、どこを探しても人はないわよ」

そうか。人はないのか……いや、いいんだ。僕は、もう人は食べないんだから。

 人から最低限の生活を過ごすための色々を教えてもらった。洗濯のやり方。掃除のやり方。他にも色々。一度に覚えられそうにないから紙に書いてもらった。これで、大丈夫だと思う。

「これで一通り教えたわね。それじゃ、私は帰るわね。もし困ったことがあったらこの電話番号に連絡して。少したてば誰かが来るはずだわ」

「うん。わかった」

「……まあいいか。ちゃんと一ヶ月に1度は来るのよ?」

「うん」

人は帰っていった。

…………これで、僕は、自由になった――――――


『こんばんは、七時のニュースです。まずは速報です。東京の〇〇区で、白骨遺体が発見されました。遺体には所々に血や肉が付着しており、死後間もないと発表されています。この事から、今回も一連の事件と同一のモノだと推測され、警察は外出時など細心の注意をするよう呼び掛けております』


「はあ……はあ…………ああぁ」

 人気のない路地裏。そこにいるのは、口の周りを血で汚した僕と。骨だけになった人一つ。

人一つ食べるのは意外と大変。けど僕は食べるのをやめない。だって僕は人を食べるのだもの。

 限界まで縮んだバネは弾けるとき、本来の高さより高く弾ける。それはじっと力を溜め込んだから。溜め込む時が長ければ長いほど、その力はより強大になる。

僕をバネに例えるなら、閉じ込められていた十五年。その期間が力を溜め込んだ時。僕はてっきり無くなっていたのだと思っていた。けど違った。食べたいという気持ち。食欲はそう簡単に消えるものじゃない。欲は、永遠と付きまとってくる。それを怠れば少しずつ、少しずつ、それは溜まっていく。そし てそれが解き放たれた時――――

「あ、ああぁ……足りない……全然、足りない……!」

解き放たれたバネは勢いに身をまかせ跳ね回る。流れに身をまかせて、欲に身をまかせて……

 もう、どれだけ食べたか分からない。たくさんの人を食べた。女、男、子供、大人、老人。キレイ、可愛い、カッコいい、気持ち悪い。色々、食べた――――けど。

何故だろう。食べた。分からなくなるくらい食べたのに……僕は、満足できなかった。

美味しかった。どの人もとても美味しかった。けれどいくら美味しくても満たされなかった。

「もっと、もっと食べないと……人、人を食べないと」

それはまるでライオンのよう。獲物を狙い、貪り、嬲り、喰らいつく。なにも残さない。全てを食べ尽くした。なのに……なのに…………なんだろう。心の闇。モヤモヤとした感じ。決して満たされない。この思いは――――なんだろう?

「……お腹すいた。行こう、今日も」

 フラフラとした足取りで家を出る。外はとても暗かったけど、大きな満月が照らしてくれていてほんのり明るかった。

誰もいない。とても静かな外を歩く。気持ちはまだモヤモヤとしている

たぶん、もっともっとたくさん人を食べればこのモヤモヤも消えると思う。だから僕は今日も食べるんだ。たくさんの人を。

「あ――――いた」

十メートル先くらい。白い服にジーンズを履いた人が歩いている。たぶん僕と同じくらいの歳だと思う。ああ、今にもよだれが垂れてしまいそうだ。モヤモヤも無くなっていた。

「はあ……はあ…………」

息が荒い。体が疼く。頭がボーッとし視界もボヤけてきた。もう……我慢できない!

静かに、けれど確実に人へと近付く。残り五メートル。大きな満月が人の姿をうつ――――え?

 足が止まる。頭は鋭い痛みと共に完璧に冴えた。息は、今にも止まりそうだ。

「え……? なに? 僕、どうしたの……?」

わからない。わからないけど――――とても苦しい……こんなの初めてだ。

 目の前を歩く少年は、僕の横を通りすぎようとしている。

あ、ああぁ……だ、め…………!

「ま――ま、待って!!」

わからない。自分が何を言っているのかわからない。けど、自然と口が動いていた。

「……ん? なんだい?」

少年は足を止めこちらへと振り向いた。その顔はとても柔らかく。とても、美しかった。

「あ……う、うぅ」

「?」

「ぼ、僕と……友達になってください!」

僕の口からでた言葉に、少年は驚いた様な顔をした。けど、すぐに笑ってみせた。

「ああ。いいよ」

その笑みはとても綺麗で――――――壊れてしまいそうだった。


 出会いは、とてもおかしなものだった。

それは運命なのかもしれない。あの時の衝撃は今でも忘れない。いや、忘れられない。

初めての感覚。気持ち。あれは一体なんなのだろう……?

 あの夜以来。僕と彼は会うようになった。別に何をするでもない。ただ普通に話をして終わり。何気ない時間。それが何故か、とても楽しかった。

ああ、僕でもこんな気持ちになれるんだ。

 今日も彼と会う。時間は深夜、誰もが寝静まった頃に僕らは会う。

「ふふふ」

自然と笑みが漏れる。はじめてだ。こんなに楽しい気持ちになったのは。はじめてだ。こんなに笑えたのは。

「あ。そろそろ時間だ」

鍵を掛けて家をあとにする。いつもより足取りが軽い。早く行きたい気持ちが抑えられない。

本当に、僕はどうしたのだろう?

「やあ。こんばんは」

「あ、うん。こん、ばんは」

「今日は何を話そうか?」

彼と話していると時間があっという間に過ぎていく。まるでこの時だけ地球が早く回っているみたい。

「あ、あのね」

「うん、どうしたの?」

「今度の日曜日にさ……一緒に、お出掛けしない?」

「……」

「だめ、かな?」

緊張する。涼しい筈なのに、汗がタラリと垂れてきた。なんでだろう……?

「そんなことない。いいよ、どこにいこうか?」

「ほ、ほんとう?」

「勿論さ。俺も君と遊びに行きたかったんだ」

瞬間、僕はとても嬉しくて彼の手をギュッと握った。彼の手と僕の手が重なる。

「あ……」

重なった手が離れる。なんでだろう。手を繋いだだけなのになんで恥ずかしくなったのだろう?

「それより。日曜日、どこに行こうか?」

「あ、あのね。僕から誘ったんだけど……僕。遊ぶ場所、知らないんだ」

「うーん。そうだ! 遊園地なんてどうだい?」

「ゆうえんち?」

ゆうえんちって、なんだろう?

「遊園地はね。大きくて楽しい乗り物がたくさんある遊び場さ。そこはそう。まるで夢の中みたいさ」

「わあ! なんか、凄いね!」

「どう? 夢みたいな遊園地に、一緒に行かない?」

「う、うん! 一緒に、行きたい!」

僕の顔は、たぶんとてもキラキラしていたと思う。それは楽しいとか嬉しいとか色々な気持ちが混ざりあったからだと思う。

そうか……僕は、変わったんだ!

「それじゃあ今度の日曜日。この公園で待ち合わせしようか」

「うん! 楽しみに待ってるね!」

それを最後に僕らは別れた。まえは別れるとき少し寂しかったけど、今日は違う。今の僕は高まる気持ちにウキウキとしている。胸は躍り空へ羽ばたきそう。こんな気持ち初めて。そう、僕は変わった! 彼と出会って。彼のお陰で僕は変わったんだ!

人を食べることしか知らなかった僕。人を食べることしか出来なかった僕。人を食べることでしか感情を表せない僕――――そんな僕は、もういないんだ!

 僕はたくさんのコトを知った。けれど、それ以上の変化が僕に起きていた。

人を食べなくなった。

彼と出会ってからだ。僕は意識的に人を食べるのをやめていた。

僕にとって人を食べるとは当たり前のコトだ。けれど……彼と一緒にいると、人を食べる。

それが当たり前ではないと感じてしまう。

僕が他のモノと違うことは分かっていた。でも、違うことがおかしいとは一度も思わなかった。いや、それは当然か。だって僕はずっと一人だった。比較するモノなんてなかった。その初めての相手が彼だったということだ。

 結論を言うと、僕は彼に嫌われたくなかった。

彼と一緒にいると自分が異常だと思ってしまう。そんな自分を彼には見せたくないと思ってしまう。彼の前だけでも普通でいたい。

普通? 普通ってなに?

人を食べることは普通? 人を食べることは普通じゃない? どっちが正しい?

「むうー……わかんない」

それっきり、僕は考えるのをやめて家に帰ることにした。いいんだ。普通とか普通じゃないとか。今はただ彼と一緒の時間を大切にするだけ。だから、僕も頑張ろう。たくさんの色々なコトを――――――

 日曜日の朝。いつもならまだ寝ている時間だけど僕は公園で彼が来るのを待っている。昨日の夜は全然眠れなかった。とってもドキドキして、ワクワクして……それだけのコトなのにとっても楽しかった。

なにもしないで待っているだけなのにとっても楽しい。誰も乗っていないブランコを眺めているだけで笑ってしまう。

「まだ、かな?」

ブラブラと足をリズムよく揺らしてみたり、周りをキョロキョロと見てみたり。とてもじゃないけどじっとしてなんていられなかった。

楽しいなんて僕はこれまで何回感じたのだろう? きっと片手で数えられるくらいしかないと思う。だからかな。こんなちっぽけでなんでもないコトがとても楽しい。

「あっ! おーい!」

僕が大きく手を振ると彼も笑いながら手を振ってくれた。僕は待ちきれなくなって彼のもとへと走っていった。

「はあ……はあ…………お、おはよう」

「うん。おはよう。来る時間、遅かったかな?」

「ううん。僕も、さっき来たとこだから」

他愛のない話をする。このまま話をするのも良いけど、今日は他の大事な用事があるからほどほどにしないと。

「それじゃあ、そろそろ行こうか?」

「うん!」

 僕たちはまず駅。ってところに行ったんだけど……

「駅?」

「そう。ここで電車っていう乗り物で遊園地まで行くんだ」

「へー……」

「ちょっと切符を買ってくるから待っててね。すぐに戻るから」

彼はトコトコと行ってしまった。僕は言われた通りじっと待っていた。

五分くらいして彼が戻ってきた。そしてすぐに二人で電車に乗った。

 ガタンゴトン。ガタンゴトン。

「うわあ!」

電車は僕の予想の斜め上だった。車とは、全然違っていた。

ガタンゴトン。ガタンゴトン。

まずとっても揺れる。油断してると転んでしまいそう。そしてたくさんの人がいる。座っている人に立っている人。街にいるみたいにいっぱいだ。

「どうだい? 電車の感想は」

「凄いね! 車と全然違うんだ!」

「そうだね。車は知り合いだけだけど、電車は色々な人が乗るからね。面白いよ」

確かに人を眺めているのも面白い。でもそれより僕は彼と話している方が何倍も楽しい。

「遊園地までまだかかるし、ゆっくりしてようか?」

「う、うん!」

遊園地に近づくにつれて電車に乗ってくる人も増えてきた。乗ってくる人は家族連れやカップルがほとんどだった。みんなとても幸せそう……

「ね、ねえ」

「ん? どうしたの?」

「あ……な、なんでもないっ」

でかかった言葉を飲み込む。別に理由なんてないけどなんとなく。

『次はー〇〇駅ー〇〇駅ー』

「あ。ほら、着いたよ」

「うん。わかった」

 電車から降りると他の人もぞろぞろと降りてきた。それはまるで高い波のようで流されてしまいそう。

「ほら、はぐれると大変だから」

彼が差し出してきた手を握る。ちょっと恥ずかしかったけどそれより前に進むのに必死でそれどころじゃなかった。

 広い駅を歩いて外に出る。遊園地はここから歩いてすぐの場所にあるみたい。

どこにでもあるような普通の街をしばらく歩くとそこは今までの街とは全然違う。

そう、まるで夢の世界。

「うわあ!」

「着いた。ここが遊園地だよ」

「すごい……すごいね!」

 大きくて、くねくねしたり丸かったり。キャーなんて声が聞こえたり。遊園地の外からでも楽しそうな雰囲気が伝わってくる。

とてもワクワクして、跳ね回りたくなった。一秒でも早く中に入って彼と遊びたい。そんな気持ちでいっぱい。

「さあ、行こうか?」

「うんっ!」

中は外から見るよりも何倍も、何倍も大きかった。それはすごいとか楽しいとか色々混ざって大きい。うーん……よくわかんなくなっちゃった。

「あれ、乗りたい!」

「ジェットコースターかい? あれ、結構怖いよ?」

「そうなの? 楽しそうだけど」

「まあ楽しいと思う人や怖いと思う人もいるから……よし、じゃあ早速行こう」

 ジェットコースターの前には長い人の列が出来ていた。少しずつ進んでいるみたいだけど時間がかかりそうだ。

「並んでるね」

「そうだね。どうする? 別のところ行く?」

彼からそう提案されたけど、僕は――――

「ううん。このまま並ぶ」

「そう。それじゃあ並ぼうか」

きっと彼と一緒なら、並ぶコトだって楽しくなると思うんだ。

「ふう……やっと順番がきたね」

 並び始めて数十分。ついに僕たちの番まできた。目の前にはジェットコースター。係員に誘導されて、彼と隣同士に座った。

怖いのか、緊張しているのか、心臓がバクバクと鳴っていた。

ゴトンと大きな音をたてジェットコースターは動き始めた。最初はゆっくりと緩やかに上に伸びるレーンを登っている。

「み、見て! 建物があんなに小さく見えるよ!」

「そうだね……ほら気をつけて。もう少しで――――――」

言い終える前に、ジェットコースターは頂点まで登りきって……

『キャアアアアアアアーーーーーー!!?!?』

とんでもない勢いでジェットコースターは進む。けど僕は、ただ叫ぶことしか出来なかった。

「う、ううぅ……」

「大丈夫?」

「う、うん……」

「少し、休もうか?」

「うん……」

予想以上の激しさに頭がくらくらとしている。僕はなんであれに乗ろうとしたのだろう。

ベンチに座ったお陰で、少しだけ気分が楽になった。あれは、もう乗らなくていいや。

 休憩を終えた僕たちはたくさんの乗り物に乗った。もちろんジェットコースター以外。

ティーカップに乗ってぐるぐる回ってみたりお化け屋敷に入ってみたりゴーカートで競争してみたり。その一つ一つが特別な時間に思えた。

 空が夕焼けに染まる。そろそろ帰らないと……

「次で最後かな。どれに乗る?」

「うーん」

迷ってしまう。乗り物にはほとんど乗ってしまった。もう一度乗るのも良いけど……

「あれに乗りたいな」

「あれって、観覧車かい?」

「う、うん。だめ……かな?」

「いや。いいんじゃないかな。遊園地のラストと言えば観覧車みたいな感じがあるし」

「それじゃあ、行こっ!」

 時間が遅いからだろうか。観覧車に乗ろうとしている人は少なく、すんなりと乗ることが出来た。

観覧車はゆっくり動く。この空間だけ時間がゆっくり流れているみたい。それはとても不思議。

「キレイ……」

「ああ、そうだね」

上に行くに連れて、今いるここが空の上のよう。なんだかふわふわとして…………

「ね、ねえ?」

「ん? どうした――――」

チュッ。

「――――え?」

それは不意なコト。自分でも理由がわからない。けれど、自然と僕は彼と唇を重ねていた。

触れるだけの、淡い口付け。

ぎこちなくて、うぶな口付け。

甘くて、とても優しい口付け。

「ど、どうしたんだい!?」

「わからない……僕も、わからないよ」

あぁ……なんなの? この気持ちは……なんなの?

「あ…………あぁあああ」

観覧車は頂点を過ぎ、ゆっくりと下っている。けれど、僕が僕を止めるコトは出来ない。

「あ……あぁ……ダメ…………」

ぎこちなかったそれは徐々に激しさを増していた。時間なんて気にしない。ただそのままに

自分の欲望のままに。

「もっと……ねえ……ねえ……!」

『到着でーす! お気をつけてお降りくださーい!』

あぁ……夢の時間は、とても短かった。

「あ、あの」

「……」

「そ、その」

「……」

遊園地から出ても、帰りの電車に乗っても彼はずっと黙ったままだ。虚ろな顔で意識がどこかへいっているみたい。

「ね、ねえ」

「――に」

「……え?」

「君の家に。行っていいかな」

「え? う、うん。もちろん良いよ! いっぱい来てよ!」

 家に帰るまでの僕はずっとソワソワしていた。今までのソワソワとは違う。特別な気持ち。

「ここだよ」

部屋は当たり前だけど暗い。手探りでスイッチを見つけて押すとすぐに明るくなった。

何をするでもない。ただボーッとするだけ。お互いに手を出さない。けれど、それも時間の問題だった。

 二つの初な幼き実が重なりあう。それは震えるような畏と涙してしまいそうな悦が混じりあった不可思議な感覚。

乾いた果実に降り注ぐ天からの恵み。蜘蛛の糸のように糸を引き、互いを繋ぐ赤い糸となる。

露わになったそれを頬張る。大きくなるそれを一生懸命に、はなすまいと頬張る。

それがとても愛おしいから。

痛かった。とても、とても。こんなに痛いのは生まれて初めてだった。体が裂かれる。どんどんナカに攻めてくる。冷たいモノに触れられる。とても、気持がよかった。

気持ちが良い。とても、とても。こんなに気持ちが良いのは、生まれて初めてだ。体を裂く。どんどんナカに攻める。温かいモノで触れる。とても、悲しかった。

 コトは、いつの間にか終わりを迎えていた。二つの身体は並んだまま横になっている。

手足は互いを求め会うように絡み合っている。

「ん……はぁ……」

何度目か分からない口付けを交わす。だらりと垂れた唾液がテラテラと彼の身体に纏わりつく。それを見て僕はまた不思議な気持ちになってきた。

「ん……あぁ……ああぁ…………」

絡み合う。それは妖艶でいて、貪り喰うように激しく、一心不乱に求める。その様はまるで繋ぎ止めようと離さぬようにと必死になる子供のよう。狂い堕ちる。いっそこのまま僕と彼だけで消えてしまいたい。

そう……そう思えてしまったのだ。彼が、とても冷たかったから――――


 あれから数週間。僕は意識的に彼と会うことを避けていた。それは恥ずかしかったり不安だったりが混ざりあった気持ち。彼が僕と同じかは分からないけど。同じだったらちょっと嬉しいかな。

人もあれから全然食べてない。我慢するのには慣れたけど、辛いものは辛いなあ。

――――ふと、僕は思ってしまった。思ってしまったのだ…………彼と会うには。あの公園に行くしかない。

 夜も深くなってきた。とても暗い公園に僕は独り座っている。彼と遊園地に約束して以来だ。

些細なコトを何故僕は気付いてしまったのか。

「来るかなー」

気配の無い公園はどこまでも静かだ。彼は今、どこにいるのだろう?

それは正しいのか。間違いなのか。

「あ……!」

その答えは――――

「や、やあ」

「やあ。こんばんは」

彼はまるで変わらない。

「久しぶりだね。今日はどうしたんだい?」

「あの、ね」

彼を前にすると上手く言葉が出なくなる。けどやめるわけにはいかない。

「なにも言わないで聞いてほしいんだ。僕は小さな頃に両親を食い殺した。それから色々あって、十五年くらいある施設にいた。けど最近僕は外に出れるようになった。それからだよ。溜まりに溜まった衝動を抑えきれずに人を何度も何度も食べた。それこそ数えきれないくらい」

彼は静かに僕の話を聞いている。

「けれど君と出会った。その時、僕は初めて人を食べたくないと思ったんだ。会う人会う人食べてきた。なのに……なのに! 君を初めて見たときに僕は君を……食べたくないと」

先の言葉が出てこない。いや、出したくない。これ以上言ってしまえば、きっと僕は。

「いいかい……その理由はね」

彼が口を開く。けれど僕は、その言葉を聞きたくなかった。

「僕が死んでいるからさ」

微笑む。それはあの時と同じ。けれど、どこか綻んでいた。

 俺は二度死んだ。一度目は身体。二度目は……精神だ。

「俺の生まれた家は普通の家だった。父親と母親と妹の四人家族。裕福ではなかったけど、とても充実していた。あの時まではね」

 それは突然。誰にも予想出来ない。前触れもなく襲いかかる悪夢。

「深夜の一時くらいだった。寝静まって静かなはずなのにどこからか声が聞こえたんだ。叫んでいるような、泣いているような。とても耳障りな声で俺は目が覚めてしまった」

「うん……」

「気になったけど、俺はまた寝ることにしたんだ。目を瞑ると……音が大きくなったんだ」

ドンドン。ドンドン。

まるで大男か化け物が歩いているようにうるさい足音がこちらに向かってくる。

「ドンと勢いよく部屋の扉が開けられた。流石に気になって目を開けたんだ。するとね……いたんだよ。包丁を片手に持って返り血で赤く染まった母親がね」

「…………」

「ビックリしたよ。目が合った瞬間に包丁を振り降ろしてくるんだから――――心臓めがけてね」

寸前で避けて心臓への直撃は免れたけど、右の脇腹を刺された。それだけの痛みで僕は気を失ってしまった。

「目が覚めたらそこは病院でね。しばらくしたら警察と医者が来たんだ。話を聞くとどうも母親がおかしくなって父親と妹と俺を刺した。そして自分を刺して死んだらしい……いわゆる無理心中ってやつさ」

「無理心中?」

「家族を殺して自分も死ぬっていうハタ迷惑な自殺のコトだよ。ま、俺だけ生き残ったわけだけど」

父親と妹は寝込みを襲われて即死。母親も首を掻っ切って死んだ。ほんと、迷惑な話さ。

「病院には二ヶ月くらい居たかな。そしていざ退院ってなった時、厄介な話を聞いてね。なんとうちの親は親族と絶縁状態だったのでしたー」

「ぜつえん……って?」

「家族がいないって話。けど救いはあった。父親の弟……伯父さんだね。その人だけはまだ関係を保っていて俺を引き取ってくれるコトになったみたいなんだ」

これでどうにか孤児になるのは避けられた……まあ、今考えれば孤児の方が良かったかもね。ホントに。

「伯父さんに連れてかれた場所は古いアパートでね。そこの二階の一番奥の部屋だけど、そこがもう汚くてさ。それこそ足の踏み場もないくらい」

それくらいなら僕も我慢できたさ。散らかってようがどうにでも出来る。けど、アレだけはどうしようも出来ないから。

「着いてすぐさ――――アイツの化けの泡が剥がれたのは」

「はがれた? なにが?」

「まともな性根かな。アイツは俺に言ったよ。すぐに服を脱げってね」

最初は躊躇ったさ。そしたらアイツは俺を殴った。そしてまた服を脱げと言うんだ。そんなことされたら脱ぐ以外の選択肢はない。俺は黙って全裸になった。

「アイツは裸になった俺を撫でまわした。上から執拗に……当然俺は抵抗するけどその度に殴られた。人間は賢いからね、一度嫌な思いをするとそれをしなくなるんだ」

「………………」

「どんなところを触られても必死に耐えた。けれど我慢すると声が漏れてしまう。それがアイツには興奮材料になったようで、触る手が余計に激しくなった」

全身をまんべんなく触ったアイツは自分のモノを出して……いや、これ以上はやめよう。自分から闇に突っ込むなんて莫迦な真似はしたくない。

「そんな生活がどのくらいだっけな……そう、五年だ」

「五年……」

「五年間、俺はアイツの奴隷だった。そこまで長いとね、何も感じなくなるんだ。初めは痛かったし、嫌だったし、恥ずかしかった。でもね、しばらくすると次第に暗くなってくるんだ。世界が闇に包まれて自分が闇の一部に。それか自分が人形になった感じ。そう人形さ。俺は次第に何も感じない人形になったんだ」

振り返ってみるとアレは人形でもなんでもない生きた死体だ。そう、今の俺も……

「けれどね。永遠に続くようなコトでも結末は酷くあっけないものなんだ」

「え……どういうことなの?」

「簡単なコトだよ。俺がアイツを殺した。それだけの話さ。いつものようにアイツは俺で満足した後すぐに寝たんだ。俺は裸で汚れたままボーッとしていた。そしたらたまたま視界にハサミが映ってね…………それで、アイツの目玉と喉をぶっ刺してやったのさ」

あの時のアイツは酷く滑稽だった。叫び泣き呻き……五年も俺を奴隷扱いしていた人間には見えなかった。そこにいたのはただの気持ち悪い豚だった。

「アイツを殺したらなんだか気持が楽になってね。五年振りに外に出たんだ。久しぶりの外はとても面白くてね。けどその中でも一番は――君さ」

「僕……?」

「満月の夜。俺と君は出会った。君も覚えているだろう?」

「う、うん。けどそんな――」

「会った瞬間に分かったよ。君が俺と同じだってね」

「どういう――――え? おなじ……?」

「そうだろう? 君も俺も、壊れた狂人さ」

そう。俺達は壊れている。欠落し、腐敗し、錆ついて狂ってしまった出来損ない。この世に生を受けた時点で、俺達の人生は真っ暗なんだ。

「う……う、ううぅ…………」

「え? ど、どうしたんだい?」

泣き始めたかと思えば、いつの間にか俺の胸に抱きついていた。

「う……うわあああああああああああああああああああああああ!!」

何かが途切れてしまったか。涙は溢れ、俺の服を濡らす。

「大丈夫。大丈夫だよ」

俺が出来るのは、優しく抱きしめることだけ。けど――――

「…………」

彼が何故泣いているのか。それだけは分からないままだった。

 あの夜から彼とは会わなくなった。けれど彼と会わなくても大丈夫だ。ただなにもしないで一日が過ぎるだけの話。こんなの一日中奴隷のように扱われるよりもマシだ。

けれど、その日は違った……


 朝から目覚めが悪く気分が最悪だった。そして、嫌な胸騒ぎがした。

こんな日はろくなコトがないことは今までの人生で学習済みだ。最悪なのは……一番に彼の顔が浮かんでしまったコト。

「お願いだから生きていてくれよ……!」

 呼び鈴を鳴らしても返事はなし。けれど鍵はかかっていない。それなら、入るしか選択肢はないよな。

「おじゃましま……ッ!?」

中は一見、前に来た時と変わらない。けれどこの臭い。嗅ぎ慣れたこれは――――

「血、だよな。やっぱり」

廊下、リビング、台所、洗面所、風呂場、トイレと見て回ったが何もなし。となると最後は寝室。体を重ねた場所。初めてではなかったが、本当のコトとしてはアレが初めてだったかもしれない。

ドアノブまで伸びた手は震えていた。けれどそれも一瞬。ガチャリと扉を開けた。

「――――――お。おい!!」

「あ…………やあ……あ、あああああああっ!?」

目の前の光景を言葉で表すなら、それは悪夢。考えていた何倍も恐ろしい悪夢。

みずからを――――――食べているのだから。

「やめろ! やめろって!」

「だめ……だ…………よ。だって、キミの……た…………あああああああああ!」

「俺のため? ――――――どういうこと?」

「僕は、キミのコトが好きだ…………だから……キミに嫌われないように、人を食べるのをやめた……けど。もう限界なんだ」

身体のあらゆる箇所が食い千切られている。血はだらだらと床に流れ落ちる。それは赤く、赤く、どこまでも赤い。思わず見惚れてしまいそうに赤い。

「死ぬなら……迷惑をかけないように、でしょ…………? だから自分を…………う、うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

一際大きな叫び。もう、限界かもしれない。

「…………けて」

「なに?」

「た……すけて! ねえ……たすけてよ…………」

「――――――ああ。もちろんさ」

「あ……ありがと――――」

「…………ごめん」

胸に刺さる包丁。刺したのは、俺。

「やっぱり、俺は死んでいるみたいだ……だって、俺は君をたすけるコトが出来なかった」

残るものは何もない。そうだ、俺には何もない。

「ごめん……ごめ――――」

「あ…………あ……りが…………ゲホッ! ゲホッ!」

「――――――え?」

柔らかい手が俺の頬に優しく触れる。その手は紛れもなく彼の手だった。

「ありが、と……う……」

「なんで、なんでなんで? なんでなんだよ!?」

声を荒げ怒鳴り散らす。訳がわからない。何故? なんで? 感謝される?

「だって…………僕を。この苦しみから――――――――助けてくれたじゃないか」

「な――――」

「ありがとう。僕ね……キミに会えて…………」

「お、おい……待てよ……やめてくれよ…………! おいっ!!」

冷たくなる身体を必死に抱きしめる。力任せに、窒息してしまうくらいに、絶対に……どこにもいかせないために!!

「シアワセだったよ………………ジンくん…………」

「おい…………おい………………返事をしてくれよ――――――――結」

冷たくなった結の顔は、シアワセそうに笑っていた。

ああ……そうか。なあ、結。俺――――

「まだ、死んでないみたいだ」

 海に面した小高い丘。そこに居るのは二人。一人は空から見守り、もう一人は。

「こんにちは。今日も元気にしているかい?」

『仁結』と書かれた石碑の前には真新しい花束。そして手を合わせる俺。

「あれからもう一ヶ月だ。時が流れるのは酷く早いね。どうだい? 天国でも楽しく暮らしているかい?」

来る筈のない返事を待つ自分を客観的に見ると何だか笑えてくる。けど……人間らしいのかもしれない。

「結……名前が無いって言うから俺が付けた名前。そして、俺は仁」

まるでつい昨日のように思い出す。結と出会い、色々なコトを話して、遊園地にも行って、そして――――――愛しあった。俺は、結と出会い接するコトで、人間らしさを取り戻したのかもしれない。

「二人の人……いや、結に言わせれば人か。二人の人が結ばれて……仁結(しあわせ)と読むってのは少しかっこつけすぎたかも。どうかな? 結はどう思う?」

『うん。すごく、良いと思うよ!』

「え――――今、結の声が……? いや、気のせいか」

不思議……いや、そんなことはないか。

「なあ結。気づいたよ。俺と結はハッキリ言って異常だ。けどさ、異常だからこそ純粋に……仁結を求めたんだと思う。だからさ……俺と結が出会ったのは、きっと運命だったんだ」

今にも溢れそうになる涙を必死に堪える。もう泣き顔なんて見せたくない。結の前ではいつでも笑っていたいんだ。

「俺は人間として犯した罪を償う。そして、それを終えた頃には……きっと、結のところへと行けると思う。だからそれまで、待っていてくれるかい?」

『うん……もちろんだよ。仁くん』

「…………ありがとう。それじゃあ行ってきます」

きっと俺は重い罰を受ける。それでも、俺は全てを乗り越える。そして、結の待つ場所へ……

「とても――――――仁結だったよ」


10分程度で書いた元の作品(カニバリズムと二人の少年)を書き直し続きを加えたのが今作です。


人=にく。と読んでください。


タイトルの意味としては、S=少年。Fact=真実。

少年達の真実は「異常であるが故に純粋に愛を求めた」といった感じです。


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