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焔音  作者: こはる
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新田 六花

『突然のお手紙、お詫びします』

 村瀬猛からの手紙は、僕の手元に突然舞い込んできた。玄関で、里穂さんから手紙を手渡された時、差出人の名前が真っ先に目に飛び込んできた。何とか驚きが顔に出ないように、すぐにポケットにねじ込んでしまった。不自然に見えなかったろうか。里穂さんは、何も言わなかったが、きっと差出人の名前が夫の名前だということ、もう見てしまっているだろう。どうしようもなく気になるはずなのに、そこで冷静になれる彼女の賢さ、黙って開封しない正直さが、僕は好きだ。

 里穂さんの足音が、階下に遠ざかるのを確認してから、僕は改めてその先の文章に目を落とした。

『新田六花くん。きっと君は、あの日約束した通り、里穂を守ってくれているんだろう。あの日、君は里穂を好きだと言ってくれた。嬉しかったのは本当だけど、君の真剣な眼差しに、少し危機感を覚えたのは本当だよ。俺がこんな状況になかったら、きっと君から里穂を遠ざけたくなるんだろう。でも、俺はいまどうしようもない理不尽に、命を狙われているんだ。むしろ、君という存在がいて、俺は心強く感じているんだ。』

 猛さんの柔らかな雰囲気に似合わず、芯の通った筆遣いでしっかりと文字が刻みこまれている。南町フラワーショップでミルクティーを飲んだ帰り道、軽トラの運転席で真剣な顔をした猛さんが思い出された。

『君には、無理なお願いをしている代わりに、事の真相を全て話しておきたいんだ。ただし、ここから更にお願いがある。これから話す内容を、里穂には伝えないでほしい。始まりは俺が高校生の-----』


 カチャリ。


 今に通じる扉がゆっくりと開いた。振り返らなくても、思いつめた顔で里穂さんが僕を見つめているのが分かる。


「六花くん。さっきの手紙、猛さんから…何で?」


「里穂さん」


 僕は、振り返らずに、できるだけ静かで優しい声音を心がける。


「ねぇ、六花くん!何か知ってるの?隠してるの?」


「里穂さん。モモちゃんがびっくりします」


「いつまでここにいなくちゃいけないの?私は何から守られてるの?何で…何か知ってるなら」


 里穂さんは、鼻をずずっと啜ると後ろから僕の肩口を強く握る。モモちゃんが、僕の背中でもぞりと動く。暖かくて柔らかいモモちゃんの吐息を感じると、猛さんが降りてきたように、ふいに気持ちがしゃきっとしていくのが不思議だ。僕は、里穂さんの涙を見ないように、相変わらず顔を正面に向けたまま、肩ごしに里穂さんの手に、しっかりと自分の手を載せた。


「今はまだお話できません。でも、僕と猛さんを信じて、少しだけ時間を貰えませんか?」


「少しって……どれくらい?」


「今はまだ分かりません」


 長い長い沈黙。モモちゃんが身じろぎをした事で、里穂さんの手は、するりと僕の手の下から出てってしまったが、モモちゃんのおむつを替え、着替えをさせている間も、沈黙は続いていた。夕陽が薄らぎ、部屋にも夕闇が迫ってきて、部屋の電気をつけようと立ち上がった時、里穂さんがぽつりと呟いた。


「……分かった。でも、約束して」


 振り返ると、里穂さんが真正面から僕を見つめている。


「急に、私の前からいなくならないで」


 僕は、にっこりと微笑んで大きく頷くと、里穂さんは憑き物が落ちたようにさっぱりした顔になった。すっかり冷めてしまった食卓を囲み、てきぱきとご飯を食べる。里穂さんは、慣れた手つきで片付け物まで済ませると、モモちゃんを連れて、さっとお風呂場に吸い込まれていった。僕は、猛さんの手紙を改めて広げた。


『始まりは、俺が高校生の時だった。俺が育ったのは、北海道の最北端の宗谷岬。そこで、俺の親父は農業を営んで細々と暮らしてた。上に兄貴が二人いて、よく三人で広大な土地を駆けて遊んだ。高校までは、親父がいつも車で送ってくれた。車でも1時間かかる遠い学校だった。兄貴二人は、親父の仕事を手伝っていたけど、俺は高校生になってもガキ扱いで、仕事をろくに教えてもらえなかった。唯一の俺の仕事は、毎朝焼却炉のゴミを燃やす事だけだった。今みたいにゴミの分別にも厳しくなくて、紙ゴミや枯葉は、家にある業務用の焼却炉で、ばんばん燃やしてたんだ。

 夏になると、都会から避暑を目的に遊びにくる家族がいた。いつもパリッとしたシャツを着ている若いお父さんと、薔薇みたいな派手なワンピースをきたお母さん、それと5歳くらいの女の子だった。女の子は、いつも俺たち兄弟に纏わりついて、よくかくれんぼや鬼ごっこをして遊んであげていた。女の子の名前は、千咲ちゃんといってね、とても可愛らしい女の子だった。子役の養成所にも通っていて、雑誌のモデルなんかもやっているようだった。

 千咲ちゃんたちが、翌日東京に帰ってしまう日の夜、毎年うちで送別のパーティーをやるんだ。近所で作っているベーコンを焼いたり、良い肉があればそれで焼き肉をしたり…その日は特別に朝まで飲んだり食べたりするんだ。その準備で、千咲ちゃんのお母さんとうちのおふくろは、朝から大忙し。親父と、千咲ちゃんのお父さんは、渓流に魚を釣りに行ってた。上の兄貴二人も付いて行ってね、俺は、どうしても野原で遊びたいっていう千咲ちゃんに、花の冠を作ってやって遊んでた』

『しばらくして振り返ると、千咲ちゃんがいなくなっていた。これまでもそういう事は何度もあって、そういう時は、決まってかくれんぼ開始の合図なんだ。俺は、夕暮れまで野原や家の周りを探し回った。お昼は、それぞれサンドイッチを持っていたので、隠れてる場所で食べているんだと思って、俺も探しながら食べた。

 日が暮れてくると、夏といえども風が冷たくなってきて、俺もさすがにおかしいと思った。大声で名前を呼んでいるのに、全く返事が無い。どこかで怪我でもしているのかもしれない。助けを呼ぼうと家に向かうと、ちょうど兄貴と親父たちがこっちに向かってくる。そこからはもう大騒ぎになって、みんなで千咲ちゃんを探した。でも、その日、千咲ちゃんは見つからなかった。千咲ちゃんを探してて、きょうはまだゴミを燃やしてない。俺は、真っ暗闇の中を焼却炉に向かった。夜の野原はすごく不気味で、駆け足で行って焼却開始のスイッチを押して、駆け足で戻ってきた。』

『警察にも連絡して、みんな、眠れない夜を過ごした。明け方、病院から連絡があった。千咲ちゃんらしき女の子が、大火傷を負って病院に運ばれたらしい。家の裏手の焼却炉の中で、枯葉に包まれて眠り込んでしまった千咲ちゃんは、俺が知らずに稼働させた焼却炉で、全身に大火傷を負ってしまっていた。近所の病院で、包帯でぐるぐる巻きになった千咲ちゃんは、秋になっても生死の淵を彷徨ったけれど、冬頃何とか持ち直したようだった。毎日欠かさず見舞う事で、俺は自分の罪の意識をごまかしてきた。悪夢のような年が明けて、千咲ちゃんは、かすれた声で二言三言喋るようになった。千咲ちゃんは、ケロイドで皺の寄った手で俺に手招きすると、少し首を痙攣させながら何とか俺の耳元で囁いた。』


「幸せになったら許さないから」


『その言葉を聞いた俺は、その日に北海道を逃げ出した。大学の入学式までなだ間があったが、なりふり構わず、俺は東京に遁走したんだ。ふいに今でも夢に見たりするんだ。里穂と出会って結婚して子供を授かって…幸せになればなるほど、俺には千咲ちゃんがちらつくんだ。

 この間話したろ。変な手紙が来るって。その手紙にな、アルメリアが貼ってあるんだ。千咲ちゃんが大好きだった花。北海道にも咲いてるんだって喜んで、毎年俺に花の冠を作らせてた花。可憐で、千咲みたいって喜んで他のを今でも覚えてる。アルメリアが貼ってあるその手紙には、書いてあったんだ。


「幸せになったら許さないから。おまえの幸せ燃やしてやる」って』


 お風呂場からは、楽しげな童謡が聞こえてくる。僕は、汗をかいた掌をズボンで拭った。僕は、こんな恐ろしい物から里穂さんとモモちゃんを守らないといけないのか。手紙にはまだ続きがあった。


『でも、できたら千咲ちゃんを助けてあげたい。里穂に出会ってから、きっと里穂ならそう言うだろうと思うようになった。アルメリアの花言葉が似合う、あの頃の千咲ちゃんに戻せたらどんなに良いか。俺は、千咲ちゃんも助けてやりたいんだ』


 脱衣所の扉がスライドする音がする。シャンプーの良い匂いと共に、里穂さんがぺたりぺたりと歩いてくる。僕は、まず何をしたら良いのか。何だか頭が痛くなってきた。

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