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焔音  作者: こはる
7/17

村瀬 里穂

 南町商店街の外れ。

 鮮魚店の脇の、狭くて急な階段を上ったら、すぐ六花くんの部屋がある。魚屋「魚善」は、朝から晩までひっきりなしにお客さんが訪れる活気あるお店で、ぶつ切りの鮪や、旬の鰤、透き通った鮮度抜群の烏賊…店先には海の幸がてんこ盛りだ。ごま塩頭に捻じり鉢巻きの恒夫さんと、白い割烹着を纏った大福のような鞠子さんが、この店の主だ。二人の子供は五人いて、皆立派に成人してここ南町に住んでいるらしい。


「ごめん、里穂さん先に帰ってて」


「何か買い忘れた?」


「うん。これ鍵。部屋、好きに使って下さい。新しいタオル、沢山出してあるから、遠慮なく使って下さいね」


 そう言い残した六花くんは、私に惣菜の袋を託して小走りで来た道を戻って行く。私は、人だかりのできる店先からそっと店の奥に入る。レジスターを前に、帳簿をつけている鞠子さんに声を掛けた。


「只今戻りました。モモ、大丈夫でしたか?」


「あら、里穂ちゃんお帰り。美味しい物買えた?今さ、鮪のカマが美味しく煮えたから、持ってっておかずにしな!モモちゃんね、いま寝た所よ。可愛いわねぇ。昔を思い出すわ。ね、起きたら呼んであげるから、先にお夕飯食べちゃいなさいよ。ゆっくり食べられないでしょ、モモちゃん起きると。…新田くんは?」


「買い忘れた物があるってさっき…」


「そ。はい、これ」


 鮪のカマの煮付けと総菜屋のビニール袋を持って金属の階段を上る。モモが生まれる前は、よく高いヒールの付いたパンプスを履いていたので、甲高い音が気になったものだ。今履いているバレエシューズでは、控えめな音しかしないな。そんな事を考えながら、部屋の鍵を開けた。

 普通、玄関のドアは外開きだが、この部屋の扉は内開きだ。大きなタッパーとお弁当で両手が塞がっているので、行儀が悪いと思いつつも、お尻でドアを閉める。


---------すとん


 ドアを閉めた衝撃で、半開きのドアポストから一通の封書が滑り落ちていた。台所に一旦荷物を置き、玄関に戻る。突き当りの窓から差し込む夕陽が、黄色い封筒を照らし出していた。差出人の村瀬猛の文字が私の目を鋭く射抜く。

 読むべきか読まざるべきか。常識的に考えれば、読まざるべきだろう。里穂は、こっくりと煮えた鮪のカマを電子レンジに入れた。煮汁の付いた親指を舐めると、生姜の効いた甘辛い味がじんわりと舌に広がっていく。母もよく作ってくれた煮魚の味に似たそれは、私に駄目よと言っているように思えた。邪念を追い払うように、猛然と夕食の準備に取り掛かった。

 六花くんの部屋は、和室だ。何となく無機質な洋室に住んでいるイメージがあったが、年季の入った畳にくすんだ色合いの襖、非常に生活感のある部屋だった。生活感があると言っても、小綺麗な部屋だ。掃除は行き届いているし、よく換気もされているようで、空気も綺麗だ。何より驚かされるのが、水回りの綺麗さである。男の一人暮らしで、使っていないから綺麗なのではなく、使っていてなお綺麗なキッチンやバストイレ、相当マメなのだろう。元々、魚善の従業員夫婦の為の部屋だったので、広さも申し分無い。六花くんは、奥の部屋を使い、この居間を私とモモの為に空けてくれている。

 豚汁のカップ、牡蠣フライ弁当、ヒレカツ弁当、金平牛蒡、鮪のカマの煮付け。卓袱台にご馳走をぎっしり並べると、急に手持無沙汰になった。手持無沙汰になると、また封筒が気になりだす。


「そうだ。モモが起きたらお風呂に入れよう」


 鞠子さんはああ言ってくれたけど、お弁当を半分こする約束をしているし、断りも無く、買ってもらった夕飯を先に食べるのも悪い気がする。紙おむつ、バスタオル、ガーゼ、ベビーソープ、新しい産着を用意する。


「六花くん、遅いな」


 どうにも封筒が気になって仕方ないので、ドアポストに戻す事にした。何となく悪い事をしている気分で、摺り足で玄関に向かう。バレエシューズに足を通し、屈んだ瞬間ドアが開く。


「痛っ!」


 内開きの宿命か、スチール製のドアが見事に私の額にぶつかった。涙目になりながら見上げると、何だか沢山紙袋を抱えた六花くんが申し訳なさそうに入ってきた。全く、ここに住んでいた従業員夫婦はどうやって無事故で暮らしていたのだろうか。どうやらここは、インターホンかノック必須の部屋らしい。


「ごめんなさい。まさかここにいると思わなくて…。大丈夫ですか?そうそう。いま、下で鞠子さんが、モモちゃんが起きたよって言ってましたよ」


「ありがとう。じゃあ、このまま行ってくるね。あ、あの…これ、手紙。届いてたから」


「はーい」


 六花くんは、ろくに確認もせずに黄色い封筒をズボンのポケットに突っ込んで、奥へと入って行った。きっと紙袋で両手が塞がっているからに違いない。私は、またトントンと軽い音を立てながら階段を下りていく。何だか嫌に動悸がする。六花くんと猛さんは、確かに知り合いだったけど、手紙を交換するような仲では無かった。猛さんも六花くんも携帯電話は持っているのにどうして…。

 モモを抱いて二階に戻ると、部屋がしんと静まり返っていた。音もそうだが、気配が静かだ。モモの体温がじわりとお腹を温めてくれる。それを頼りに居間に向かっていく。どう聞くか、むしろ聞かないで待つべきか。その時、モモと目が合う。見えているのかいないのか、モモはきょろきょろと辺りを見回し、きゅっと私の指を握った。自分から握ったにも関わらず、モモは一瞬すごく驚いた顔をした。その顔が、猛さんの顔にそっくりで、思わず微笑んでしまう。


「里穂は、良くも悪くも正直で素直だな」


 お客さんの冗談に真面目に返して怒られた時、お母さんが張り切って作った料理に感想を述べて落ち込ませてしまった時、猛さんの両親との顔合わせが終わった後…猛さんによく言われた台詞が脳裏を過った。そうよ。私は隠し事も嘘も苦手。どうして猛さんから手紙が来ているのか。私を何から守ってくれているのか。その事とその手紙に、何か関係があるのか。聞きたい事は沢山ある。モモをもう一度ぎゅっと抱きしめて、私は六花くんの待つ居間に足を踏み入れた。

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