ねんがんの ペット をてにいれたぞ!
★★★★
目が覚めた。
「…………?」
あれ、私は何をしていたんだっけ…?
たしか月奈の家に遊びにいって……
月奈が私にクッキーを出してくれて……ダメだ、よく思い出せない。
何だか頭がぐらぐらして気分が悪い。
私は柔らかい、寝心地のいいベッドに寝ていた。
ベッドから身を起こし、ぼんやりと辺りを見回す。
白い…私はどうも、真っ白な部屋にいるようだ。
何だかホテルみたいだな…と私は独りごちる。
でも、何だろう。
この部屋からは妙な違和感を感じる。
ああ、そうか…この部屋、窓が無いんだ。
何が何だかわからないけれど、とりあえずベッドから降りよう――――
ジャラリ
金属音が私の耳に届く。
「え……?」
鎖だ。
銀色の金属で出来た鎖が、天井の隅から私の首まで繋がっている。
慌てて首元を探る…私の首に何かが巻かれている。
これは…首輪?
え……なにこれ?
私はこの首輪によって、天井から鎖で繋がれているようだ。
ぼんやりとしていた私の頭が一気に覚醒した。
「なに? 何なのよ、これ!?」
私は半狂乱になって鎖を引っ張る。
いくら力を込めても、体重をかけても、天井に繋がれた鎖はビクともしない。
私はしばらく鎖を引っ張っていたが、この行為は無駄であるようだった。
仕方なく、私は部屋の中を調べることにする。
鎖はある程度の長さがあり、部屋の中であれば自由に行動できるようだ。
私がいるのは、広さが8畳くらいの清潔な部屋だ。
真っ白な、汚れ一つ無い壁紙。
床は木質のフローリングでホコリ一つ落ちておらず、ふかふかとした白い絨毯が敷かれている。
部屋の中には、テーブルや鏡、ソファー、テレビなどの家具が整然と置かれている。
そして…これは何だろう?
プラスチックのトレーにメッシュ生地のシートがひかれたモノ――――が置いてある。
試しにテレビをつけてみたが、アンテナが繋がっていないのか何も映らなかった。
そして、この部屋には不釣り合いなものが一つある――――ドアだ。
ドアは無骨な鉄製であり、その冷たい光はこの部屋の中で異様な存在感を放っていた。
このドアは、私を鎖で繋いでいる天井の隅から対角線上に設置されており、近づくことが出来ない。
鏡に自分の姿を映すと、真っ白な薄いワンピースを着て、赤い革製の首輪を付けた自分の姿が映る。
こんなワンピース、私は持っていないし、見たこともない。
寝ている間に、誰かが私を着替えさせたのだろうか?
「……!」
ふと嫌な予感がして、私は恐る恐るワンピースの裾をまくり上げる。
「それ」を確認すると、私は血の気が引いてその場にへたりこんでしまった。
私が着けている下着も――――私の知らないものだった。
☪☪☪☪
私が彼女のために用意した部屋の中で、先程から物音が聞こえる。
どうやら彼女が目を覚ましたようだ。
ああ、どうしよう。
胸がドキドキする、わくわくする。
これからの日々を思うと、私は胸が躍るような気分になった。
はやる気持ちを必死に抑え、私は彼女の部屋のドアをゆっくりと静かに開ける。
彼女は繊細な生き物だから、驚かすようなことをしてはいけない。
私が静かにドアを開けたのにも関わらず、彼女は可笑しいほど、びくんと反応して慌てた様子で私に目を向ける。
本で読んだ――――ペットを飼うときは第一印象がとても重要であると。
私は彼女を怖がらせないように、優しくゆっくりと声をかける。
「おはよう、光。気分はどう?」
「つ……月奈?」
私は今日から彼女――――光を飼うことにした。
部屋に入ってきたのが私だとわかると、光は安心したような表情を浮かべ、私に声を掛けてきた。
「月奈…よかった。
ねえ、お願い! 誰か人を呼んできて!
私、この鎖に繋がれて、ここから出ることが出来ないの!」
「そうだよ、いいでしょう? この鎖。 軽くてとっても丈夫。
私、光のためにいっぱい調べて用意したんだよ」
「え?」
「そのワンピース、気に入ってくれた? …もし気に入らなかったら、他にも沢山、光のために服を用 意してるから遠慮なく言ってね」
「な…なにを言ってるの? 月奈」
「他にもお菓子とか、おもちゃとか、光が喜んでくれそうなもの沢山用意したんだよ!
欲しい物があったら、何でも言ってね。
もし用意してない物があっても、私すぐに買ってくるから!」
「つ…きな?」
しまった、少し高揚していたのだろうか。
私らしくもなく、早口でまくし立てるように喋ってしまった。
いけない、いけない。
私は光の飼い主――――ご主人様なのだ。
主人らしく、落ち着いて余裕のある態度を取らなければ。
光は先程の安心したような顔から一転して、不安気な表情を浮かべる。
そして、先程とは違う、探るような調子で声を掛けてきた。
「ねえ、月奈。ここはどこ?」
「光のお家だよ?」
「違うよ……ここは私の家じゃない」
「今までは違っても、今日からここは光のお家だよ」
「月奈…」
ますます光が不安気な顔になる。
ここはご主人様である私がしっかりとして、光を安心させてあげなければいけない。
「光は今日から私のペットになったんだよ?
心配しなくても大丈夫! 私、今日までペットの飼い方について沢山勉強したんだから」
光を安心させるため、私は少しおちゃらけた調子で伝える。
なのに、どうしてだろう。
光は笑顔になるどころか、ますます不安気な…泣きそうな表情を浮かべて声を上げる。
「冗談…だよね? やめてよ、こんな冗談。全然笑えないよ!」
「冗談じゃないよ、今日から私は光を飼う―――」
「やめて!」
光が目に涙を溜めて大声を上げる。
ど、どうしよう…こんなはずじゃなかったのに。
「本当にやめてよ! 月奈! 今なら私、怒らないから。
早くこの鎖を外して! 私を家に返して!!」
光が興奮している、体が少し震えているようだ。
光を早く安心させてあげなければいけない。
「つ、月奈!?」
私はそっと光を抱きしめると、優しく言葉を伝える。
「ごめんね…光」
抱きしめた光の体が小刻みに震えている、そうだ彼女は怖がっているんだ。
「月奈…」
「急に環境が変わって、びっくりしちゃったんだね。
大丈夫だよ、ゆっくり慣れていこう。
私、光のこと、とっても大切にするから」
動物は環境の変化にとても敏感です。
ペットが家に来たときは、慌てず、ゆっくりと慣らしていきましょう。
私は何度も繰り返し読んだ本の内容を実践することにした。
なのに何故だろう、光は震えが収まるどころか、さらにガクガクと震えだし、興奮したように声を荒げ暴れ始めた。
「離して…離せよ! 私の体に触るな!」
「ひ、光! 落ち着いて…」
私は暴れる彼女の肩を抱き、何とかなだめようとする。
「離せ!!」
パンッ、と大きな音が部屋に響く
光が、私の、頬を叩いた。
私は光の体を離す。
私の手から開放された光は、力を失ったように、ペタンとその場に座り込む。
「光」
「………。」
私が光の名前を呼ぶ、彼女ははあはあと息を荒げるだけで何も答えない。
「私、本当はこんなことしたくなかったよ。
だけど、ペットを躾けるのも飼い主の大切な仕事だから」
そうだ、ペットのことを大切に思うのなら、ただ可愛がるだけではいけない。
時に厳しく躾けることも、飼い主の大事な責任――――確か本にそう書いてあった。
私はこの部屋に入る前、ドアの前に立てかけておいた黒い革製の鞭を手に取ると、再び光に向き直った。
「月奈…なに…それ?」
光は腰が抜けたように座りこんだまま、震えた声で私に問う。
光の目には、はっきりと恐怖の色が浮かんでいる。
ああ、私が光にこんな目で見られてしまうなんて…。
本当は光にこんなことはしたくない…でも、ダメだ!
これは光の飼い主としてやらなければいけないことなんだ!
「ごめんね、光。でも、これも光のためなんだよ?」
「ひっ……」
そう伝えると私は鞭を振りかぶり、光の華奢な体に打ち据えた。
☪★☪★
「如月さん、一人なの?」
「え………御堂、さん?」
昼休みの教室の中、机で昼食を取ろうとしていたら、御堂さんが私に声を掛けてきた。
私は学校が嫌いだ。
人見知りで、他人と話すことが苦手な私にとって、不特定多数の人と関わらなければいけない学校という場所は、苦痛に満ちた空間だった。
「これからお弁当でしょ? 一人で食べるの?」
「えっ…あ…、ま、まあ…」
御堂さんは、明るくて、社交的で、可愛らしく、クラスの人気者だ。
そんな彼女が、何で私なんかに声を掛けてきたのだろう。
何かとクラスで孤立しがちな私に、気でもつかったのだろうか?
「それならさ、私たちと一緒に食べない? 一人で食べたってつまらないでしょ?」
「い、いや…その…」
御堂さんはクラスの中心的なグループと、いつも一緒に昼食を取っている。
とてもではないが、私があの輪の中に入ることが出来るとは思えない。
「いや?」
「その…いやっていうか、私、皆のことよく知らないし…恥ずかしい、というか…」
私はしどろもどろになりながら、何とか彼女の誘いを断ろうとした。
「うーん」
彼女は私の反応を見て、何か思案するような表情を浮かべると、何かを思いついたようないたずらっぽい笑みを浮かべる。
「それじゃあさ、二人で食べようよ。それなら、如月さんも恥ずかしくないでしょ?」
「え…ええっ?」
私は御堂さんと机を向かい合わせて、お弁当を食べる。
困った…なし崩してきに、彼女と昼食を取ることになってしまった。周囲の視線が恐い。
「如月さんのお弁当かわいいね、自分で作ったの?」
「い…一応」
なぜか上機嫌な彼女の言葉に、私は何とか応じる。料理は好きだ。
ぱくぱくと小動物のように食事を取る彼女の姿は、女の私から見ても可愛らしいと思う。
「じゃあ、今度如月さんの家にごはんを食べさせてもらいに行こうかな?」
「う…うん」
どう答えていいかわからず、私は口ごもってしまう。
「あ、そうだ!」
そんな私の態度を気にしてか、気にせずか、彼女が楽しげに言う。
「今度から、如月さんじゃなくて、月奈って呼んでもいい?
私のことも光って呼んでいいから」
それが、彼女――――御堂光との出会いだった。
☪★☪★
「お願い…もうやめて、月奈。何でも…何でも言うこと聞くから
もう…ぶたないで…」
光がベッドの上で、自分の体を抱き、涙声で震えながら私に哀願する。
ワンピースから露出した彼女の手足には、私に鞭で打ち据えられた赤い跡が何条も浮かんでいる。
しまった、始めは彼女の肌を傷つけないよう、細心の注意を払って鞭を振るっていたのに、いつの間にか夢中になってしまっていた。
できることなら、泣きながら震える彼女を抱きしめたい。
しかし、これは躾なのだ、私は飼い主として毅然とした態度を取らなければいけない。
ペットを飼うということは、情に流されてはいけないということでもあるのだ。
私はできる限り、厳しい声で光に伝える。
「違うでしょ光、月奈、じゃないでしょ」
「え…?」
「ご主人様、でしょ?」
「ご…ご主人様!?」
光が、何か禍々しいものを見るような目で私を見つめる。
「光?」
私は光を見つめながら、再び鞭を構えると、彼女は慌てて私に土下座をする。
「ご、ごめんなさい、ご…ご主人様。許して…もう痛いことは、しないで下さい」
光が震えながら何度も頭を下げる。
あれ? 何だろう、これ――――ぞくぞくする。
「光、私は出来ることならあなたを傷つけたりしたくないけど、光がいい子にしないと、こうやって躾 をしなければいけないの。
でも、それはあなたが憎いからではないのよ、わかってね」
「はい、ご主人…様、わかり…ました」
よかった、彼女もわかってくれたようだ。
きっとこれから、光と二人っきりの素晴らしい日々が始まるだろう。
ああ、楽しみだ…とても楽しみだ。
「それじゃ、今日はこれくらいにしておくね。
後で光のエサを出しておくから、食べてね」
「………」
私は笑顔で光に伝えたが、光は俯いて答えない。少し疲れてしまったのだろうか。
一人にして上げた方がいいかもしれない、慣れない内からペットに構いすぎると、ストレスになってしまうと本で読んだ記憶がある。
私は光の部屋のドアを閉め、大きな南京錠をかける。
このドアは下に小さな窓がついており、そこから光のエサを差し入れることができる。
私は光を飼い始めた記念として、腕によりをかけ彼女の好物ばかりを作り、先程の窓からエサを差し入れた。
光は雑食性で、私と同じものを食べることが出来るので飼いやすい。
翌日になっても、光はエサに手をつけていなかった。
☪★☪★
「月奈、一緒に帰ろう」
下校の準備をしていたところ、御堂さんが私に声を掛けてきた。
あの日、一緒にお弁当を食べて以来、彼女は頻繁に私へ声を掛けてくるようになった。
「う…うん」
誰かと一緒に歩く、と考えると私は憂鬱な気分になったが、御堂さんは押しが強く、私はいつも断りきることが出来ないでいる。
下校中、御堂さんは私に学校であったことや、友達のことを沢山話す。
私は、引きつったような笑顔で、何とか相槌をうつことしか出来ないでいる。
こんな私と一緒にいて、彼女は何が楽しいのだろう?
「それでさ、その時…」
「御堂さんは―――」
「光、だよ」
私が御堂さんの言葉を遮ろうとしたところ、彼女は口を尖らせて自らの名前を訴える。
「…光さんは、私なんかと一緒にいて楽しいの?」
「え…?」
御堂さんは虚をつかれたように、大きな目をさらに丸くして私を見つめる。
「ほら…私って無口だし、暗いし、人と話すの苦手だし、…その一緒にいて嫌じゃないのかなぁ、って 思って…」
「………」
御堂さんは私から目をそらし、真っ直ぐ前を見ると、いつになく真剣な顔をして何か思案しているようだ。
しまった、私がたまに口を開くとこれだ。妙なことを言って御堂さんを困らせてしまった。
御堂さんが私に構うのは彼女の優しさか、もしくは唯の暇つぶしだろう。
「あ…あの、ごめんね、変なこと言って、やっぱり気にしないで!」
「嫌、なんかじゃないよ」
御堂さんが、ぽつりと言う。
「月奈は、絶対に誰かを傷つけるようなことを言わないもの」
「御堂さん?」
「クラスの子たちは、口を開けばすぐ誰かの悪口や陰口ばかり、言うんだ。
だから私も、みんなに合わせて誰かの悪口を言わないといけない…。
でも、それって自分が卑怯な人間になってしまった気がして、すごい疲れるんだ」
そういうものなのだろうか?
私は友達が、居たことがないのでよくわからない。
「だから、月奈のことは好きだよ。
月奈は誰かの悪口を言ったりしないもの。
一緒にいると、一番素のままの自分でいられる気がするんだ」
月奈は私の癒しだから…と御堂さんが笑う。
その笑顔に私は…胸が高鳴ったことを覚えている。
☪★☪★
「光、気分はどう?」
翌日の早朝、私は再び彼女の部屋を訪れた。
「………」
光は何も答えず、ベッドの上で膝を抱えたまま壁側を向いて――――私に背を向けて座っている。
「エサを食べてなかったね、ひょっとして具合でも悪い?」
「………」
「それとも、嫌いな物でもあったかな? そうだったらごめんね。
何か食べたい物はある? 私、何でも作るよ」
「………」
「…それとも食べ物以外で何か欲しいものない?
そうだ!光の好きなテレビゲームも用意したんだよ!
私はテレビゲームのことってよくわからないから、お店に売ってたゲーム機、全部買っちゃった」
以前、私が光の家に遊びに行ったとき、彼女はよくテレビゲームで遊んでいた。
私は後ろでそれを見ていただけだったが、楽しそうな光の様子は、私を幸せな気持ちにしたものだ。
私は光をペットにすると決めたとき、彼女のために貯金をはたいて、光の好きなものを沢山買ったのだ。
「………」
光はかたくなに何も答えない。
身動きもせず、膝を抱えたままひたすら壁を向いている、その背中からは私に対する拒絶心を感じる。
どうしたのだろう? 機嫌が悪いのだろうか。
「光…」
私は光の肩に後ろからそっと手を伸ばす、
「ひっ………!」
私の手が触れるか触れないかの辺りで、光はのけぞるようにしてこちらへ振り返ると、突然私に土下座をして、
「ごめんなさい…すいません…許して下さい」
と謝罪しはじめた。
しまった、やはり昨日は少し躾をやり過ぎてしまったようだ、今後は滅多なことでは躾をしないようにしよう。
私は光をそっと抱きしめる、
「!」
光は私が触れるとびくんと大きく震え、目を固く閉じ、口をきゅっと噛み締めて俯く。
昨日のように暴れたりはしないようだ。
「謝らくて大丈夫だよ、光。もう私は怒ってないよ。
そんなことより光の体が心配だよ、昨日から何も食べていないでしょう?」
私が優しく声を掛けると、光は私を伺いならが何か逡巡するような顔をすると、
「ん…」
と小さく呟いた。
「待っててね、今、朝ごはんを作ってくるから」
「うん…」
初めて返事をしてくれた彼女に、私はうきうきとして光のエサを準備する。
今日は、光が好きだと言っていたチキンライスだ。以前、光にふるまった時、彼女は私が恥ずかしくなるほどおいしい、と褒めてくれたのだ。
「はい、お待たせ」
「ありがとう…」
うれしいな…光がちゃんと私の言葉に答えてくれる。
私はテーブルの上にチキンライスを置くと、光をテーブルの前に座らせた。
「あ、あの、つき…ご主人様」
「なあに?」
おずおずと光が不安気な表情を浮かべ、言う。
「あの…スプーンか何かを、もらってもいい…?」
「え、何で?」
「何でって…」
「光は私のペットなんだから、スプーンなんて使わないんだよ?
それとも私が食べさせてあげようか?」
「………」
光はどこか観念したように、手でチキンライスをつまむと、ゆっくりと口に運んでいく。
食事をする光は、やっぱりとても可愛らしい。
「ご馳走さま…」
「お粗末さまでした」
「………」
光はエサを食べ終えると、ベッドに腰掛けて所在なさげに床を見つめている。
私は無言で、光の隣に腰掛けると、そっと彼女の頭を撫でる。
「ん…」
私の手が光の頭に触れた瞬間、かすかに彼女は身じろぎをしたが、その後は微かに震えながらも私のしたいようにさせてくれた。
やはり、昨日躾を行ったのは失敗だった、こうやって少しずつ光の心を溶かしていけばよかったのだ。
相変わらず光は無表情に床を見つめたまま、こちらへ視線を移すことはないが、いつかきっと、またあの愛おしい笑顔を私に向けてくれるだろう。
☪★☪★
「ふわぁ、今日はずっと眠かったぁ」
「うん」
「昨日、夜ふかししちゃったんだよねぇ…」
御堂さんがあくび混じりに呟く、私は彼女と一緒に下校している。
最近は必ずと言っていいほど、学校から帰るときは御堂さんが隣にいる。
人見知りな私であるが、彼女と一緒にいるのは好きだ。
「ねえ、この後私の家に来ない? ゲームしようよ」
「うん、行く」
「よし、決まりだね」
私たちは、互いの家に遊びにいけるくらいの仲になっていた。
そして、今日御堂さんの家に行けるのは好都合だった、私は彼女に伝えなければいけないことがある。
御堂さんの部屋でゲームをする。
私は後ろで、御堂さんがゲームをするのを眺めているだけなのだが、彼女は楽しげに、ゲームの内容について私に教えてくれる。
ゲームについてはよくわからなかったが、楽しそうな彼女の姿を見ていると私はとても幸せな気持ちになる。
御堂さんはとても可愛い。
だからこそ――――伝えなければいけない。
「ねぇ、御堂さん」
不意に私が口を開く。
「うん?」
「私が一緒にいると、迷惑じゃない?」
「また、その話? 迷惑だと思ってたら家に誘ったりしないよ」
「うん…」
御堂さんはそう言って朗らかに笑うが、私は最近、彼女がグループの中で、うまくいっていない事を知っている。
御堂さんのグループの人たちが、彼女のいない場所で彼女の悪口をいう回数が増えてきているのだ。
曰く――――最近、付き合いが悪い。
曰く――――最近、空気を読まない。
そして、曰く――――最近、クラスの妙な奴とよくつるんでいる。
「御堂さん…私、大丈夫だよ? 一人でも大丈夫」
「え?」
「御堂さんが私に構ってくれるのはとてもうれしいけれど、そのせいでクラスでの立場が悪くなってる んだとしたら、悲しいよ」
「月奈…何を言っているの?」
「私は今までずっと一人だったし、これからも一人で大丈夫。
御堂さんは、私なんかに構ってない方がいいよ」
だから、遊ぶのは今日で最後にしよう――――そう言いかけて、私は御堂さんの様子が変わっていることに気付いた。
いつも笑顔を浮かべている御堂さんが、泣きそうな目で私を見つめている。
「月奈…ひょっとして、私のこと嫌いになった?」
「そ、そんな訳ないよ! ただ、これ以上、私は御堂さんの優しさに甘えていたら良くないと思って」
「だったら…だったら、そんな悲しいこと言わないでよ!」
「あ…」
私は御堂さんの胸元に抱きしめられる。
「私はね、月奈のことが大好きなんだよ?
一緒にいるのは、私が一緒にいたいからなんだよ?」
「私と一緒に…?」
「うん、月奈がどう思っているのか知らないけど…私は嫌いな人と一緒にいるほどお人好しじゃないも の。
私は、月奈のことが好き」
「私の…ことが…?」
「そう!」
どうしよう…人からこんなことを言われたのは、生まれて初めてだ。
鼻がツンとする、泣いてしまいそうだ。
「ごめんね、御堂さん。
私、また変なこと言っちゃったね」
私は泣きそうになるのを必死でこらえ、光に謝る。
本当に…ごめんなさい。
「もう、この期に及んで月奈はぁ!」
「えっ…えっ?」
御堂さんが口を尖らせて言ってくる。
「いつも、名前で呼んでって言ってるでしょ!?
光って呼んでくれなかったら、絶対に許さないんだからっ」
拗ねたように、そう訴える彼女に、思わず私は笑ってしまう。
「ふふふ、そうだね。ごめんね、光」
「うん!」
その後は普段通り、光も私も笑って過ごした。
光は、「何だか今日は恥ずかしい言葉を沢山言った気がする」と言って、真っ赤になって頭を抱えたりしていた。
そんな愛おしい彼女を前に、私は一つ決意を固めていた。
☪★☪★
私は光の頭を撫でている、光の髪はやわらかくて、いい匂いがする。
どれぐらいこうしていただろうか、私が学校に行かなければならない時間になってしまった。
「光、じゃあ、私行くね。
夕方になったらまたここへ来るから」
私は名残惜しい気持ちを懸命に振り切ると、光に別れを伝える。
「………」
光は何も答えなかったが、少しだけうなづいてくれた。
さて、またあの嫌な学校へ行かなければならない。
私も光みたいなペットになりたいなあ、などと出来るわけもないことを考えながら、登校の準備をしようとベッドから立ち上がる。
「ま、待って」
光が声を掛けてきた。
「どうしたの? 光。ひょっとして寂しくなっちゃった?」
と私が少し冗談めかして答えたが、光はそれを無視し、少しだけ顔を紅潮させると
「あ、あの私、トイレはどうしたらいいの?」
と聞いてきた。
そうだ光にトイレを教えるのを忘れていた。いけない、いけない。
「ごめん、ごめん、教えていなかったね。あれが、光のトイレだよ。」
と私は部屋の隅に設置した光のトイレを指差す。
プラスチックのトレーに吸水と消臭効果がある砂をしきつめ、その上にメッシュのシートを敷いた、ペット用のトイレだ。
光は女の子だから、トイレには気を使わなければならないだろうと、ペットショップに置かれている中で、一番高いものを用意したのだ。
きっと光も喜んでくれるだろう。
「用を足したら私に教えてね、すぐにシートを取り替えてあげるから」
「………」
「光…?どうしたの?」
急に無言になってしまった光を訝しく思い、私が顔を覗き込むと、彼女は愕然とした表情を浮かべていた。
そして、不意に顔を歪ませたかと思うと――――
「う…あぁ…ああぁ!!」
光が嗚咽を上げ、小さな子どものように泣き出してしまった。
「光、どうしたの!ひょっとしてトイレの使い方がわからないの!?
それなら大丈夫だよ、私が教えて上げるから――――」
「うるさい!!」
光が私の言葉を遮り、怒鳴る。
「ひどい、ひどいよ! 私が何をしたっていうの!?」
光が瞳から大粒の涙をポロポロと流しながらも、真っ直ぐに私を睨みつける。
「キモチわるい! キモチわるいよ! 月奈!!」
「ひ、光…」
だから、月奈じゃなくてご主人様だよ、と私は光を諌めようとしたが、光は自らの鎖を両手で掴むと、ガシャガシャと滅茶苦茶に引っ張りはじめた。
「何なのよ、これ! 外してよ! 外せよ!!」
「ひ、光、やめなよ、そんなに引っ張ったら怪我しちゃうよ?」
私は後ろから光を羽交い締めにして、興奮する彼女を抑える。
「ともっ、友達だと思っていたのに…信じて、いたのに、
私、まるで…馬鹿みたいじゃない」
私に体を抑えられ、光ははあはあと息を荒げながらも、床に座り込み静かになった。
「ひ、光」
私が呼びかけるも、光は険しい表情で吐き捨てるように言う。
「出て…出てってよ!
もう、私に顔を見せないで!」
「わ、わかったよ、ごめんね、光。
学校が終わったら、またここに来るからね」
怒りを見せる光から逃げるように、私は光の部屋から出ていった。
光はまだ情緒不安定なようだ。
光に嫌われてしまったらどうしよう、どうしよう。
そうなったら…私はきっと耐えられない。
学校から帰ってきたら、光の機嫌が直っていますように…
そう願い、私は重い足取りで学校へ向かった。
☪★☪★
「これ、如月が作ったの? マジで美味いんだけど」
「うん、気に入ってくれたら、また今度持ってくるね」
「ねえねえ、如月さんって他にもお菓子とか作れるの? 今度私にも教えて」
「うん、いいよ」
私は今、光のグループの人たちにお菓子を振舞っている。
光が私のことを好きだと言ってくれた日、私は一つ決意を固めた。
要するに、光がグループ内で悪く言われていたのは、私のような変わり者と仲良くしていたからなのだ。
それならば、私が光の友達たちと仲良くなればいい、そうすれば光が悪く言われることはなくなる。
それ以来、私は懸命に光の友達へ声を掛けることにした。
昼休みに手作りのお菓子を振る舞い、宿題をやってない人がいれば見せてあげ、掃除や雑用を率先して手伝った。
他人に声を掛けるのは、私にとって大変な勇気が必要であったが、光のためだと思えば頑張ることが出来た。
そんなことをしている内に、私は光の友人たちと仲良くなることが出来た。
以前は恐い人たち、という印象があったけれど、仲良くなってみれば、みんな優しい、いい人たちだ。
彼女らは私に、服装のことやご飯のおいしいお店など、今まで私が知らなかったことを沢山教えてくれる。
みんなと友達になれたのも、光のおかげだ。
「ねぇ月奈、今日は私の家に遊びに来ない?」
光が私に声を掛けてくる。
「あ…ごめんね光、今日は萩原さんに、私の家でお菓子の作り方を教えてあげる、って約束しちゃった んだ」
「あ、…うん、そっかまた今度ね」
友達が出来てから、私は以前ほど頻繁に光に会うことが出来なくなった。
今まで何の予定もなかった私の毎日が、今は遊びや出かける用事でいっぱいになっている。
「あ、そうだ! 光も一緒に来ない? タルトの作り方、教えてあげる」
「あー、いや、……いいや。
私、食べるのは好きだけど、作るのはちょっと…」
「もう、光ったら」
私は光と二人で笑う、こんな日々がずっと続けばいいと思った。
ただ、私の背中を見つめる光の視線が、ちょっとだけ気になった。
☪★☪★
「ただいま、光」
学校から帰って、私は恐る恐る光の部屋に入る。
「………」
光は朝と同じように、ベッドの上で膝を抱え、壁を向いて私に背を向けている。
ただ、その背中は朝よりも強く、私に対して拒絶心を放っているようだ。
私が昼食用に用意しておいた、光のエサは手がつけられていない。
「光、またエサを食べていないんだね」
「………」
朝と同じ、光は何も答えない。
その時、私は不意に異臭を感じた。
臭いのする方へ目を向けると、光のトイレに排泄物があった。
「良かった、光。あのトイレ使ってくれたんだ!」
私はうれしくなって、光に声を掛ける。
「言わないで!」
なのに、光は私の言葉を聞くと、背を向けたまま顔を真っ赤にして頭を抱えてしまった。
「早く、それ…片付けてよ!」
「う、うん。ちょっと待っててね」
私は慌てて、光の排泄物をシートごと袋に詰めると、片付ける。
「でも、良かった。光があのトイレを使ってくれて」
排泄物を処理したあと、私はうきうきと光の横に座る。
「………」
光は答えない、自分の膝に顔を埋めたまま、ずっと姿勢を変えずにいる。
「トイレの使い心地はどうだった?もし気に入らなかったら、別のを買って――――」
「くぅっ…」
光は顔を埋めたまま、静かに泣きはじめる。
「ど、どうしたの光?やっぱり、どこか具合の悪いところでもあるの!?」
「ううう…」
「光…」
私は光の背中をさする、もうこんなことしか私には出来ない。
だめだ…光を飼い初めてからというもの、私は光を泣かせてばかりいる。
あんなに素敵な笑顔を持った女の子だったのに、どうしてうまくいかないのだろう。
私は自分の不甲斐なさに絶望しながらも、必死で光の背中をさすり続けた。
しばらくして、光が静かになる、どうやら泣き止んでくれたようだ。
「光…大丈夫?」
私は光の顔を覗き込もうとすると、彼女は自分から顔を上げた。
「狂ってる」
「え?」
光が私を真っ直ぐに見つめる、その瞳にはもう怒りも、悲しみも、何も浮かんでいない。
「こんなの、狂ってるよ、月奈。
あなた、おかしいよ」
「光、いきなり変なこと言い出してどうしたの?
それに、私を呼ぶときは月奈じゃなくて――――」
「そうだね、ここにいるのは月奈じゃなくて、ご主人様だったね」
皮肉気な様子で光が笑う。
違う…私の知っている光は、こんな嫌な笑い方をする女の子じゃなかった。
「もう、いいよ月奈。
私のことは放っておいて」
そう言って光はまた、私に背を向ける。
「ひ、光…」
「出て行って……お願い…だから」
光の声は弱々しい、しかし断固とした拒絶を感じる。
こんな近くにいるのに、私と光の心の距離は、ここ数日で随分と遠くなってしまったようだ。
「ま、また明日来るからね?」
「………」
「後でエサを入れておくから、ちゃんと食べてね!?」
「………」
光は何も答えない、ただ私に背中を向け続ける。
私はそんな光が怖くなり、逃げるように光の部屋を後にした。
☪★☪★
私が光の友人たちと友達になってから、少し時間がたった。
今や、グループの中に私の姿が混じっているのが自然なものになっている。
そして、グループの中で比較的大人しい性格の萩原さんとは、特に仲良くなった。
彼女は私にお菓子の作り方を教えて欲しいと言って、何度も私の家へ遊びに来ている。
私がお菓子の作り方を説明していると、彼女は真剣な表情で一生懸命メモを取ってくれる、そんな姿は私にとって、何ともうれしいものだった。
一度、何故そんなにお菓子の作り方を知りたいの? と尋ねると、萩原さんは、はにかんで、主さまにお菓子を作ってあげるのだ、と言っていた。
主さまって何だろう…?
光と出会ってから、私は変わったと自分でも思う。
まず、以前は苦痛でしかなかった、人と話すということが好きになった。
そして、自分に対して、少しだけど自身も出来た。
今まで、私は毎日を何となく送ってきただけだったけれど、今は毎日新しい発見がある、変化がある。 そして、それはとても素晴らしいことだ。
私に変化を与えてくれた光には、とても感謝している。
初めは何気ないことだった。
朝、靴箱を開けると、私の上履きが無くなっていた。
おかしい、昨日、確かに靴箱に入れておいたはずなのに。
嫌な予感がしたが、自分の思い違いかもしれないと思い、私は職員室でスリッパを借りると、その日はいつもどおりに過ごした。
次の日、私の体操服が泥まみれにされていた。
幸い、体育の時間は終わった後だったので、家で洗濯をすれば大丈夫だろう。
大丈夫、大丈夫。
さらに翌日の放課後、机の中に入れてあった私の教科書がズタズタに切り裂かれているのを見つけた。
カッターでも使ったのだろうか、力任せに切りつけたとような切り跡は、私に対する悪意をひしひしと感じる。
いじめられるのは初めてのことではない、むしろ私の人生はいじめられていない時間の方が少ないくらいだ。
だから大丈夫、私は大丈夫なんだ。
「月奈、どうしたの?」
光が私に声を掛けてくる。
しまった、教室には誰もいないと思って油断していた。
私は慌てて教科書だったものを机に隠す。
「ん…何でもないよ」
「何でもないって顔じゃないよ、それに、今隠したのは何?」
「な…何も隠してなんか――――」
「見せて!」
光が強引に机の中を探り、切り裂かれた教科書を取り出す。
「ひ…ひどい。
誰? 誰にこんなことをされたの?」
「ひ、光…大丈夫だから、私は大丈夫だから」
「大丈夫じゃない!」
ピシリと光が言い放つ。
「こんなことされて大丈夫なわけないでしょう!?」
光が私の肩を抱く、とても悲しそうな表情を浮かべている。
「誰がこんなことしたか、心当たりがあるなら言って?
私は絶対に月奈の味方だから!」
やめてほしい。
実際、私はこの程度のいじめなんて平気なのだ。
今まで、もっとずっと嫌な思いをして生きてきたのだから。
だから、そんな優しい言葉をかけないで欲しい。
涙が堪えられなくなってしまう……
「ううぅ、ひ…かり」
私は光に肩を抱かれたまま、泣き出してしまった。
そんな私を、光はそっと自らの胸に抱き寄せる。
「もう、何かあったなら、早く言ってよ。
私は月奈の親友なんだから…」
「うん…ごめんね…光」
「よろしい! 安心して、月奈。
この光ちゃんがついていれば、誰が敵に回っても怖くないんだから!」
「………うん、」
光が胸を張って澄ました顔で言う、そんな彼女に私は泣きながら笑う。
「まず、破かれた教科書は、隣のクラスの誰かに借りるとして…
隠された上履きも、探さないとね」
光はテキパキと、これからどうするかについて話す。
やっぱり光はすごい、光が一緒に居てくれるだけで、私はこんなにも心強い気持ちになる。
だけど………
何で光は、私が上履きを隠されたことを知っているんだろう…?
☪★☪★
「光…気分は…どう?」
私は昼頃になってようやく、光の部屋のドアを開けた。
昨日、私は光の部屋を出てから、どっと疲れが出て倒れこむように眠ってしまった。
疲れはまだ完全には取れていないが、光を放っておくわけにもいかない。
「………」
光は例によって、私の言葉を無視し、背を向けベッドの上に座っている。
何だかこれも見慣れた光景となってしまった。
「また、エサを食べていないんだね。光、大丈夫?」
「………」
初めはあんなに楽しみにしていた、光を飼うという計画も、今や気の重いものとなってしまっている。
それでも、光を飼うと決めたのは自分なのだ。
途中で投げ出すなんてことは許されない、最後まで愛を持って面倒をみるのだ。
頑張れ、私。ここが正念場だ、きっと光は心を開いてくれる。
そう信じて、私は光に声をかけ続ける。
「光、エサを食べたくないなら、お菓子もあるよ?」
「………」
「光、そろそろ服を変えようよ、着替えなら沢山用意してるから…」
「………」
「私がいないとき、暇でしょ? 本とか、ゲームとか、色々用意してるから、欲しいものがあったら
何でも言ってね?」
「………」
光は何も答えない、私はまるで壁に話しかけているような虚無感を感じながらも根気よく声をかけ続ける。
「そうだ、ちょっとゲーム機を持ってくるね。
光がやらないなら、私がやってみるから、見ててね」
私は光のために買ったものがしまってある物置に行くと、名前はわからないが、買ったゲーム機の中で一番高かったものを取り出し、光の部屋へ戻った。
「どう? 光。
確か光が持ってたのはこれと同じやつだったと思うんだけど…違うかな?
ごめんね、私ゲーム機ってよくわからないや」
「………」
「えっと…この線をここにつけて…これで、合ってるのかな?」
私は苦労しながらも、何とかテレビにゲーム機を設置する。
「それじゃあ、ゲームをはじめるよ、見ててね、光」
私はゲーム機の電源を入れる、ところがテレビには認証画面?というものが出て、いつまでたってもゲームが始まらない。
「あれ、あれ? 何、これ? ねえ光、いつまでたってもゲームが始まらないんだけど、どうしたらいいのかな?」
「………」
光は何も答えない、そもそも初めからこちらを見ていない。
私はどうしていいかわからず、必死になってコントローラーをカチャカチャと弄るが、画面は相変わらず止まったまま、一向にゲームが始まる気配がない。
「あれ…何でうまくいかないんだろ、どうして…駄目なんだろう…」
どうして、私はいつも駄目なんだろう。
どうして、私は何をやってもうまくいかないんだろう。
どうして、私は何もかも裏目に出てしまうのだろう。
どうして、私は人から嫌われてしまうのだろう。
どうして、どうして、どうして、どうして、
頭の中を言葉がぐるぐる回る。
私はどうしたらいいのかわからない。
私は自分が何をしたいのかわからない。
光。
私のとても大切な人。
私を初めて好きだと言ってくれた人。
そして、私を最も深く傷つけた人。
憎くて、愛おしくて、可愛らしい、私の親友。
「最近のゲーム機は、最初にゲームの設定をするんだよ、これはその画面」
「そもそも、これソフトが入って無いじゃない、一体、何のゲームしようとしてたのよ」
後ろから光の声がする、振り向くと、光が私の後ろに立って、私を見下ろしている。
まるで、ゴミを見つめるような冷たい目で。
「光…あのね…」
「あんたさあ――――」
私の言葉を遮り、光が言葉を続ける。
「一人で、何やってんの?」
私は光と一緒にゲームをしようと思って…
何で私が、あんたとゲームをするの?
私は光に喜んでもらいたくて…
何で私が喜ぶの?
私は光の…友達だから…?
違うよ。
あんたは私のご主人様なんでしょう?
私はご主人様なんて、
あんたなんて、
大嫌い。
「いやあぁぁぁぁ!!!」
私は狂ったような叫ぶ。
★★★★
月奈が大声を上げて泣いている。
月奈は右手にゲームのコントローラーを持ったまま、立ち尽くし、目から滝のように涙を流す。
私は、それを冷めた目で見つめる。
月奈がこんな狂った奴だとは思っていなかった。
くそぅ、体が痛い。
初日に月奈から鞭で打たれた箇所がまだヒリヒリと痛む。
私の手足には、鞭の跡が赤いミミズ腫れとなって、まだくっきりと残っている。
ずっと首輪をつけられていたせいで、首の皮膚が擦れ、チリチリする。
最初はただの興味本位だった。
クラスの誰とも関わろうとせず、常に怯えたように振舞う月奈が、私は気になった。
初めて一緒にお弁当を食べて、一緒に学校から帰って。
声を掛けるたび、びくりと慌てる月奈が、私は面白かった。
ただ、そうやって話しかけている内に、少しずつ月奈が心を開いてきてくれるのを感じた。
月奈は控えめで、無口で、すぐに慌てる。
だけど、決して誰かを傷つけるようなことを言わない、とんでもないお人好しだった。
クラスの友人たちに合わせて、空気を読んで、懸命に嫌われないようにしていた当時の私にとって、月奈は気兼ねなく話しをすることが出来る大切な友達となった。
なのに――――
まさか月奈がこんなことをするとは思わなかった。
ご主人様? 気持ち悪い。
ペット? エサ? 首輪? トイレ?
気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。
月奈は…この女は壊れている。
「―――――!」
月奈はもはや喉が枯れたのか、声を上げることも出来ていない。
今なら、この状態の月奈なら、この忌々しい首輪の鍵を手に入れることが出来るだろう。
渡さないようなら、力づくで奪ってもいい。
月奈は力尽きたように、膝をついて座り込み、顔を手で覆う。
私はそんな月奈に毅然と声を掛ける。
「月奈…もういいでしょう?
こんな遊びはやめて、この首輪をはずして」
「………」
月奈は何も答えず、いやいやと首をふる。
「月奈が渡さないって言うんなら、無理やりにでも奪い取るよ?
今なら私、あなたに対してどんな酷いことでも出来そうなんだ」
「い…いや…だ」
月奈が掠れた声で、呟くように、でも必死に言う。
「いやだ、いやだよ…だって、」
「外に出たら、光はまた私をいじめるでしょう?」
「………………」
「………知ってたんだ」
月奈は壊れている――――だけど、彼女を壊したのは私なのかもしれない。
☪★☪★
月奈は私と親しくなってから、私の友人たちへも積極的に声を掛けるようになった。
最初は友人たちも月奈をどのように扱えばいいか戸惑っているようであったが、不器用ながらも懸命に仲良くなろうとする月奈は次第にみんなから受け入れられていくようになった。
一度受け入れられてしまえば、控えめではあるが、優しくて、気配りが出来て、いつも一生懸命な月奈はすぐにクラスの人気者になった。
以前からもっとクラスに溶け込んだ方がいいと月奈に言っていた私にとって、これは喜ばしい変化だった。
だった、はずなのに――――
どうしてだろう?
月奈が他の誰かと親しくすればするほど、私の心にささくれだった何かが突き刺さる。
月奈は私だけのものだったのに――――
月奈は私のもの、なのに――――
時折、邪な思いが胸を掠める。
月奈のことがたまらなく憎らしくなる。
私以外の人に笑いかけるな。
私以外の人と話すな。
私以外の人を見るな。
私を、私だけを見ろ。
そんな鬱屈とした思いが私の中で大きくなっていった。
はじめは、ちょっとした悪戯のつもりだった。
自分の上履きが隠されたら、月奈はどんな反応をするんだろう、
もしかしたら私に頼ってきてくれるかもしれない。
そんな思いを胸に、私は月奈の上履きを隠したのだ。
しかし、月奈はそのことを誰にも言わず、普段と変わらない態度で過ごしていた。
こんなものでは足りないのかもしれない、もっと酷いことをしなければいけないのかもしれない。
次の日、私は月奈の体操服を泥まみれにした。
それでも、やっぱり月奈は誰にも言わず、普段と変わらない様子で過ごしていた。
何で誰にも言わないのだろう。
何で私に言ってくれないのだろう。
最早、私は歯止めがきかなくなってきていた。
三日目、私は月奈の教科書をカッターで刻んだ。
そして、月奈がそのことに気付くまで教室の影に隠れじっと様子を伺っていた。
月奈が私に言ってくれないのなら、私の方から見つけてやる。
しばらくして、月奈は下校のため勉強道具を取りに教室へやってきた。
幸運なことに、誰も連れていない。
月奈は自分の机を調べてしばし固まる、どうやら教科書が切られていることに気付いたようだ。
私は教室の影から出ると、月奈に声をかけた。
「月奈、どうしたの?」
月奈は私に気付くと、慌てた様子で教科書を机に隠す。
「ん…何でもないよ」
ここまできても、月奈は私に相談をしてくれないのか…。
それとも、私以外の誰かに相談をするつもりなのだろうか?
そんなことは、絶対に許さない。
「何でもないって顔じゃないよ、それに、今隠したのは何?」
「な…何も隠してなんか――――」
「見せて!」
私は強引に月奈の机の中を探り、切り裂かれた教科書を取り出す。
「ひ…ひどい。
誰? 誰にこんなことをされたの?」
「ひ、光…大丈夫だから、私は大丈夫だから」
「大丈夫じゃない!」
「こんなことされて大丈夫なわけないでしょう!?
誰がこんなことしたか、心当たりがあるなら言って?
私は絶対に月奈の味方だから!」
「ううぅ、ひ…かり」
月奈は私に肩を抱かれ、目から涙を流しはじめた。
やった………これで月奈は私のものだ。
私の心を暗い喜びが満たしていく。
私は月奈を励ました。
励ましながら、この一連の嫌がらせは、クラスのみんながやっているかもしれないと伝えた。
クラスの連中は月奈がいない時、よく月奈の悪口を言っていると嘘をついた。
だから、月奈の味方は私だけなのだ、と私は言ったのだ。
月奈はその日から、私から離れなくなった。
私も常に月奈の側に寄り添うようにしていた。
もう月奈を離さない、誰にも渡すものか。
月奈は私のものなんだ。
それでも、時折月奈がクラスの誰かに取られてしまいそうになることがある。
ごめん、今日は誰々と出かける約束をしちゃってて…
月奈がそんなことを言った時、毎回私は月奈に嫌がらせをした。
公衆電話から無言電話をかける。
月奈のお弁当をゴミ箱に捨てる。
月奈のノートに死ね等と罵詈雑言を書きなぐる。
そうすれば、月奈は私に相談に来てくれる。
私は落ち込む月奈を優しく励まし、自分だけは味方だと何度も言って聞かせる。
月奈が私から離れそうになるたび、私は月奈を傷つけ、そしてその傷を癒す。
何度も、何度も
私は、そんな二重生活を何ヶ月も続けた。
ああ、そうか、
壊れているのは月奈じゃない。
私だ。
壊れていたのは、私だったんだ。
☪★☪★
★★★★
白い壁の白い部屋
その真ん中で月奈は床に座り込み、手で顔を覆っている。
私はそんな月奈の前で、呆然と立ち尽くしていた。
「知ってたんだ…月奈に嫌がらせをしてたの…私だってこと」
月奈はうん、と頷く。
そうか、知っていたのか。
「いつから気付いていたの?
何で気付いたの?」
私が月奈に問うと、月奈は俯いたままぽつりぽつりと答えはじめた。
「教科書が切られていた時から…おかしいとは思っていたよ。
だってクラスの皆が私に接する態度、何も変わっていなかったもの」
「そうだね」
「それに、光は、私が光に話していないことも知ってた。
嫌がらせをした本人じゃないとわからないようなこと」
「あらら」
「それに、私のノートの落書き、どう見ても光の字だったし…」
「なるほど」
そうか、そうか、つまり、ほぼ最初から知っていたのか。
知っていながら、友達のフリをしてくれていたのか。
「そっか、だったらこのペットごっこは私への復讐なの?
当たり前…だよね。
月奈は私が憎くて仕方ないでしょう?」
仕方ない。
それなら仕方ない、私は月奈を何度も傷つけた、それも、とても卑怯な方法で…。
「そ、そんな、違うよ!」
ところが月奈は慌てた様子で否定する。
「私は光を憎いだなんて思っていないよ。
光は私の大切な人だもの!」
「大切な人? なんで?」
月奈は胸の前に両手を添え、話し始めた。
「私、うれしかったよ?
今まで誰かと一緒に帰ったり、遊んだり、ご飯を食べたり、そういうのしたことなかった…いや、し たいとも思わなかった。
誰かと一緒にいるって、とても疲れるもの」
「うん…」
「だけどね、光は違ったよ。
一緒にいると、とても幸せな気持ちになる。
いつも一緒にいたいって思える
――――だから…」
「…だから?」
「だから、光にいじめられてるってわかった時、とても苦しかった。
誰かにいじめられるのなんて初めてじゃないし、もっと酷いいじめられ方なんて沢山あったけど…」
「うん…」
「だけど、好きな人から、いじめられたことはなかった。
耐えなきゃって思ったけど、どうしても耐えられなかった…」
「月奈…」
「光は私のことを嫌いになったのかなって思った。
だけど、光はいつも私に優しくしてくれる。
だから、もしかしたらクラスのみんなに言われて、仕方なくやってるのかな、とも思った」
「仕方なく…?」
「光は前に、みんなに合わせて、したくないこともしなくちゃいけないって言ってたでしょう?
だから今回もみんなに合わせて、仕方なくやってるんじゃないかって…もしそうなら、うれしいなっ て思った。」
「だから、だから光と二人になれば、二人っきりになることが出来れば、
光は私をいじめないでくれるんじゃないかなって思ったの」
「それが…このペットごっこを初めた理由?」
「うん…」
月奈が体を震わせている、深く俯き、決して私と目を合わせようとしない。
「私…光が欲しかった。
光を私だけのものにしたかった。
誰かに光を取られてしまうなんて耐えられなかった」
そうだ、私も月奈が欲しかった。
月奈を私だけのものにしたかった。
「ごめんね…月奈」
私は月奈の胸に額をこつんとぶつける。
「私があなたをいじめたのは、誰かに言われたからじゃない、仕方なくなんかじゃない。
私が月奈をいじめたいと思ったから、いじめたの」
私の告白を聞いて、月奈の顔がみるみる青くなり、掠れた声で呟く。
「や、やっぱり…光は、私のこと、嫌い、だった?」
そんな月奈の言葉に、私はゆっくりと首をふる。
「違うよ、私も一緒、私も月奈と一緒だったんだよ。
月奈を私のものにしたい。
そう思ったから、私は月奈をいじめたの」
「私、月奈に沢山酷いことしちゃったね。
沢山、月奈のことを傷つけちゃったね。
だから…いいよ」
「私…月奈のペットになるよ」
月奈がこんな風になってしまったのは、私のせいだ。
私の醜い嫉妬が、月奈を狂わせた。
だから…これは報いなんだろう。
私は月奈に何をされても仕方ない、償わなければいけない。
こんな綺麗な心の人を、私は壊してしまった。
「私、月奈のものになる。
ペットにでも、何にでもなるよ。
月奈が私を許してくれるなら、私に何をしても…いいよ」
だから…
「だから…お願い、私のことを嫌いにならないで」
私を一人にしないで。
他の誰かを見ないで。
私だけを見て。
私のことだけを考えて。
私を、
私を…
「私を愛して…ご主人様」
月奈は壊れている――――だけど、多分私はもっと壊れている。
だって、いま
私はこんなにもご主人様に愛されたいと願っている。
☪★☪★
ガチャリ、と扉の開く音がする。
帰ってきた、ご主人さまが帰ってきてくれた。
「光、遅くなってごめんなさい、気分はどう?」
「うぅ、寂しかったよ。ご主人さまぁ」
私は、急いで立ち上がると、ジャラジャラと鎖の音をたてながら、ご主人さまの胸に顔を埋める。
「あらあら、今日は随分と甘えん坊なのね」
「だって、ご主人さま、最近いつも帰ってくるのが遅いんだもん」
「ごめんなさいね、もうすぐ学校で文化祭があるから、どうしても帰りが遅くなってしまうのよ」
がっこう? がっこうって何だろう?
私はこの白い部屋のことしか知らない、覚えていない。
そんなことよりも……
「ご主人さまぁ、光、おなか空いちゃったよぅ。
エサ、食べたい」
「うん、ちょっと待っててね」
ご主人さまは私の部屋から出ると、オムライスの乗ったお皿を持って戻ってきた。
「はい、お待たせ」
ご主人さまはお皿をテーブルのせる。
「いただきまーす」
私はオムライスに顔を近づけると、そのまま顔を埋めるようにオムライスを食べる。
私の顔はケチャップまみれになってしまうが、もうそんなことは気にしない。
きっと食べ終わったら、ご主人さまが優しく私の顔を拭ってくれる。
ご主人さまのエサは、いつもおいしい。
「ご主人様、今日はずっと一緒に居てくれる?」
私はご主人さまに膝枕をしてもらいながら、そっと顔を伺う。
ご主人さまは私を見つめると、いつもの優しい笑顔を浮かべ、
「ええ、明日はお休みだから、今日はずっと光と一緒よ」
と答えた。
「ほんと!? じゃあ、今日は光と一緒に寝てくれる?」
「ええ」
「えへへ、うれしいなぁ、ご主人さまと一緒だぁ」
私は仰向けになるとご主人さまの方へ手を伸ばす。
ご主人さまが私の髪を撫でる、とても気持ちがいい。
「ねえ光、キスして?」
私がご主人さまの頬に触れると、ご主人さまが私にお願いしてきた。
「うん!」
ご主人さまは私にキスをされるのが好きだ。
「ん…」
私はいつものように、顔を近づけ、ついばむように何度もご主人さまに口付ける。
そのあと、私はご主人さまの胸に抱きつく、ご主人さまもそっと私を抱きしめてくれる。
「光、愛してるわ」
ご主人さまが私の耳元で囁くように言う。
「うん…」
月奈…私も愛しているよ。
「私も、ご主人さまのことが大好き!」