継ぎゆく者
淀んだ空気、錆びた剣の残骸、苔生した地面にひび割れた壁。およそ、遺跡や霊殿と言われたら誰しもがそんな情景を思い浮かべるだろう。
しかし、今日私が訪れた霊殿は、それらの定説には当て嵌まらない、特殊とも呼べる霊殿だった。
この霊殿の特徴を一言で表すとすれば、神聖。もしくは、聖域などが妥当であろう。昨日今日、建設ばかりかと疑うほど美しい外観に、淀みのない清浄な空気。それに加え、名状しがたい神秘的な雰囲気を身に受ければ誰もがこの空間にいる間、敬虔な気分に陥るだろう。
私? ご冗談を。
道に迷うこともなく、霊殿を守るモンスターや、墓荒らしを葬るための罠にも出逢うことはなく、滞りなく目的の場所に辿り着くことができた。
この霊殿には、一般の盗掘者から見れば大したことはないが、それを必要とする者から見れば、まさに至宝と呼ぶに相応しい宝が鎮座されていた。私の目的は勿論、それだ。
「あれか」
台座に掛けられたそれを見て、思わず緊張に息を呑む。
勿論、あまりの美しさに言葉を失うとか、
荘厳な迫力に気圧されたとかの類からくる緊張などではない。
それは、これから手にする力と、それに伴う試練のためであった。
一つ呼吸をし、覚悟を決め、目の前の台座に鎮座する、黄金に輝く二振りの手斧を掴んだ。
次の瞬間世界が反転するような感覚に襲われ、思わず目を閉じてしまった。
開けようとしても開けられない瞼に、どうしようかと考え始めたとき、不意に何者かに話しかけられた気がした。
それは、気のせいではなく、確かに私に向けて声が発せられていた。
「ようこそ。戦士よ」
「誰だ? どこにいる?」
声は答えず、続けた。
「あなたが手に入れようとしているそれは、数えきれないほどの怒りを刻み、数えきれないほどの悲しみを浴び、数えきれないほどの恐怖を聞いてきました」
声はまるで与えられた台詞を読んでいるかの如く、感情を感じさせない口振りだった。
「あなたにそれ背負う覚悟はありますか?」
「ある」
躊躇うことなく答える。
「あなたが欲するそれは決して、綺麗な力ではありません。数多の敵を切り伏せるうちに、悲鳴は歓声に変わり、無数の戦場は晴れやかな舞台に映るでしょう。そんなあなたを、人は血に飢えた獣と呼ぶでしょう」
声の調子が変わった気がしたのは気のせいだろうか。
「あなたは、人でいられますか?」
「ああ」
元から血に飢えた獣と呼ばれた私に、この質問は意味を成さないようにも感じた。
私の返事から数秒、声が途絶えた。
誰かが喋っているのでは? と疑問が浮かびかけたが、その疑念を払拭するように語りが再開した。
「あなたの両手は血で汚れるでしょう。その手は愛する者を守れず、ときに傷付けるでしょう。誰からも許されず、与えられず、受け容れられず、永遠の孤独に抱かれても」
また僅かな間。
「それでもあなたは、戦うのですか?」
「ああ」
戦う。そのために、私はここにきた。
「ではお見せしましょう」
何を? と問う前に、閉じた瞼の裏に景色が貼り付けられたかのように、一つの光景が浮かんできた。
見渡す限りの荒野に、累々たるラースの群れ、その中心にはたった四人の戦士たちがいた。
まさに、目を覆いたくなる光景だ。
「フィニクス、腕は付いた?」
まず、私の耳に飛び込んできた確かな声は、女のものだった。
戦場に女の声とは似付かわしくないが、私は別段驚くことはなかった。その声の正体が誰か判っていたからだ。
「ああ、なんとか。すぐ戦う」
フィニクスと呼ばれた男は自分の左腕を掴み、痛々しい表情を浮かべた。
「フォリウス! フィニクスを援護して!」
女が声を張ると、それに負けじと、フォリウスと呼ばれた男も気合を入れる。
女がフォリウスの方へ気を向けているとき、一匹のラースが隙を突くように飛び出してきた。
「ウィクトリア!」
女を庇うように、一人の男が剣を振るって躍り出た。その手に握られた白刃がラースの赤味がかった肌を切り裂き、物言わぬ死体に変えた。
「ごめんなさい。助かったわ」
女戦士ウィクトリアを守ったのは白き鷹のアダマントゥス。幾つかの歴史書などにも顔を出しているので、私の記憶にもその名と、伝え聞く姿はしっかりと刻まれていた。
襲いかかった一匹を除いて、ラースたちは、異様なほど動きを見せなかった。
ラースと四人の膠着は中々解かれる様子を見せなかったが、四人が何者かの気配を察知したことにより、状況が変化を見せた。
人型であることは確認できたが、詳細な姿は私の視点では窺うことはできないようだ。
視認できる四人の表情から、人影が何かを語りかけているのが掴み取れる。
ウィクトリアが仲間の顔を見回したことで、話の終了と、その内容がウィクトリアに決断を迫る事柄であったことが掴めた。
何を言われたのかは分からないが、その逼迫した表情からは並々ならぬ苦悩が感じ取れる。
「ウィクトリア」
声の主は、先程切断されたと思われる腕を治癒していた、フィニクスと呼ばれた男だ。
多くの血を流し、満身創痍のフィニクスは、笑顔で産まれてきたのかと思ってしまうほどの屈託のない笑みを見せ、言った。
「戦おう」
それに同意するようにフォリウスも、「戦おう、ウィクトリア。俺たちに仲間を見捨てさせないでくれ」と決意を表した。
「私も同じ気持だ」
死を目前にしてなお、冷静さを失わないアダマントゥスは穏やかな声色で、ウィクトリアを諭すように言った。
「何も心配することはない。君の息子も、私たちの家族が守ってくれるはずだ」
彼らの会話の内容から、ウィクトリアの葛藤の原因が大凡把握できた。
皆の決心は固いようだったが、ウィクトリアは納得できずに、「でも」と追い縋った。
「ウィクトリア。例え君を犠牲にこの場を生き延びても、私たちは結局死を選ぶ。ただ生きることに意味などないのだ」
アダマントゥスの深みのある温かい声が、冬の終わりを知らせる春風のようにウィクトリアの震える心を鎮め、従来の思考を取り戻させた。
「そうね……私が馬鹿だったわ」
武器を持つ手に力を込め、身体を巡る想いを胸に集めると、戦うべき敵を見据え言った。
「最後まで一緒に戦いましょう」
その言葉を聞いた敵は、驚く様子もなく、ラースたちへ何らかの指示を下した。
すると、先程までの静寂が嘘のように、その赤く凶暴な外貌を一層膨れ上げ、四人へ雪崩れ込んでいった。
歴史に名だたる勇者たちだけあって、地を埋め尽くさんばかりのラースの群れにも引けを取らず、四人は猛威を振るっていた。
恐ろしさでは他に類を見ないと言われるラースが幼子にでも見えてしまうほど、英雄たちの武勇は輝いていた。
しかし、四人はこれよりも前に激しい戦闘をしていたようであり、フィニクスが切断された腕を治癒していたことから予想できる通り、皆万全の状態ではなかった。
ラースの骸が増えていくと次第に、四人の傷も増えていった。
蓄積された疲労のため、最も傷を受けたフィニクスが最初にラースの凶刃に倒れた。
三人はフィニクスの体が崩れ落ちるのを、思い思いの表情で確認したが、感情を揺らすことはなかった。その代わりに攻撃の手が一層激しさを増し、振り返らないという決意と仲間のための怒りを武器に込めていった。
フォリウスは穢らわしいラースの血を浴び続け、足取りや剣の握りが甘くなっていた。いくら知性が低いラースといえども、あからさまなフォリウスの隙を見逃す筈もなく、足元への攻撃から、フォリウスが体勢を崩した瞬間を狙って、棍棒や粗悪な剣による惨烈な攻撃を加えていった。倒れる瞬間もフォリウスは萎えることなく剣でラースの体を刺し刻んでいった。
ウィクトリアは最も多くの敵を引き受けていたこともあってフォリウスの下へは向かえなかったが、余裕のあったアダマントゥスは赤い濁流を、白銀の剣を以って掻き分けていった。
未だフォリウスの亡骸を嬲り続けるラース共に剣に制裁を加えようと、アダマントゥスが踏み込もうとすると、フォリウスの体がある場所が突然発光し、青白い炎が周囲を飲み込んだ。
異変を察知したアダマントゥスはすぐさま、眼前に目に見えぬ壁を何重にも張り、被害を免れた。
青い炎に消えたラースたちは、炎が消えると跡形もなくなっていた。まるで炎に別の世界へ飛ばされたのかと疑うほどだった。
フォリウスの命を燃やした渾身の一撃により、ラースの数がぐっと減り二人の負担が軽くなった。
しかし、数が減ったとは言えそれでも非常に多くのラースに囲まれた状況に変わりはなく、二人も徐々に追い詰められていった。
歴戦の英雄も長時間これだけの戦闘を繰り広げれば疲労も限界に近付いてくる。距離も詰められ、二人の背中が自然と近付いていった。
しかしながら、ここにきて二人の、特にアダマントゥスの勇猛さは増していった。最後の力を振り絞っているのか、ウィクトリアに背中を預けたことで余裕が生まれたのか私には判別が付かないが、ともかく、凄まじい追い上げだった。
アダマントゥスの奮戦あって先程まで目前だった死が僅かに遠退き、押し返す可能性すら見えってきたとき、死を象徴するかのような漆黒がアダマントゥスの胸を貫いた。
どこからともなく現れ、槍のような、矢のようなそれは、アダマントゥスに気付かれることもなく背後から忍び寄り一瞬の内に男の心臓に眠りを与えた。
不意の出来事に、思わず目を見開いて周囲を見渡すが、辺りにはラース以外何もなく、アダマントゥスの死に呆然とした。
その隙を付いてすかさず一匹のラースが躍り出てきた。
思わず、手に力を込め武器を振るい化け物の首筋に刃を立てる。すると、自分が握っている武器が手斧であることを忘れてしまうほどに、その刃はあっさりと敵の肉体に吸い込まれ、鮮やかな切口を残した。
主の下から離れたラースの首が地面に叩き付けられ生んだ鈍い音で、私は、自分の体が先程まで見ていた光景の真っ只中にあることに気が付いた。
困惑したが、長く混乱している時間を与えてくれるようなラースではなかった。
なんとか戦いを継続させながら思考を整えると、これもまた課せられた試練であると納得した。
敵の数が多い故、苦戦を強いられるかと思ったが、あまりの凄まじい武器の威力に、然しものラースたちも臆したか、勢いに衰えが見えていた。
しかし、このまま長時間戦闘を繰り広げていれば、疲弊は必至。先程、アダマントゥスを射抜いた黒い槍も気掛かりであったし、早めに何とかしなくてはならなかった。
死角や背後に、目に見えぬ壁を張りつつ、ラースを数匹切り捨てたとき、不意にあることに気が付いた。
ウィクトリアが持っていた金斧は、引き継いだと仮定して、今自分が着ている服はどうなる? 先程の状況を全て引き継いでいると考えると、今、私が自分の私服を着ているのはおかしいように思えた。仮定が正しければ斧と同様、服装もウィクトリアの物となるはずだ。
もう一つ仮定を加える。
私が霊殿にいた状況が反映されているとする。だが、その場合、何から私の姿形を投影してるのかが疑問だった。周囲に何かを映し出す物は無かったし、二振りの斧だとしても、あの大きさと位置から顧みて全身は映らない。
もしかしたら私には感知できない何らかの術が作用しているのではと思いかけたそのとき、ある普遍的な考えが頭を過った。
自分が、意識的あるいは無意識的に、そうであると思ったことが反映されているのでは?
確信はなかったが、試してみる価値は見出だせた。
まずこの場を一掃できるような術を思い描いて見たが、何も起こらなかった。何らかの制約がある可能性も考えもう一度、別の想見を試してみる。
ラースの数も効率的な戦いが功を奏して減っていったが、それに対して敵の焦燥感が高まっているようで、斬られることを恐れなくなっていた。
あまり考え事に時間を掛けると思わぬ致命傷を負いかねないと考え、次の想像対象をできるだけ絞り込んでみることにした。
強力な術が駄目だった理由は、恐らく自分に扱えないものは再現できないからだろう。
そうなると、強力な武器なら問題なさそうに思えた。
「トニトルス!」
すぐさま実行に移し、自分が今思いつく中でおよそ最強と呼べるであろう至宝の名を叫ぶ。
しかし、これも失敗に終わった。
落胆によって僅かに揺らいだ精神の隙間に割りこむように、ラースの一撃が左腕を掠った。
「そろそろ限界か……」
これを最後の機会と決め、周囲を見えない壁で覆い、時を稼ぐ。
術も武器も駄目で、自身が大丈夫な理由とはなんだろう。本人の持ち物などでなければ召喚できないのだろうか? だとしたら意味がない。私個人が現在扱えるものにこの状況を脱せるほどの逸品は存在しない。これが試練だと考えるとなおさらその可能性は疑わしい。この状況を抜け出すことができる者にこの斧は不要だからだ。
そこで、試練という言葉に立ち止まる。これが斧を手にする試練なら、この状況も何か斧に関連した物で抜け出すようになっているのではないか? 私が投影されているのは斧に触れているからだと考えると納得がいった。
斧に関連するものを思案してみたがいまいち繋がらない。そこで、ウィクトリアのことに考えを移してみる。すると、少ししてある宝具に行き着いた。それは、長い歴史を持ち、一見、ウィクトリアとは関連がないようにも思えるが、彼女の夫がその武器の持ち主だった。夫婦という強く固い絆で結ばれているのなら関連性は十分だろう。彼女も夫の持ち物は知っていただろうし、そうなれば武器同士の関連も大いにあっただろう。
半ば確信していたが最後になって失敗が怖くなり、慎重に投影を行うことにした。
壁にひびが入るのを感じながら、ゆっくりとそれを想像し始める。
黄金に輝き、無数の円環が連なりし、堅き者。その頂には鋭さを宿し、汝は蛇の如く。偏に追い、頑なに貫き、我が敵を誅せ。
限界まで頭を捻り、召喚士の如く言葉を紡ぐ。それが実を結んでか、私の眼前には見事に目的の聖具が姿を現した。
同時に、防護壁が砕け散り、ラースの渾身の一撃が降り掛かるが、その刃が私に届くことはない。
「行け」
顕現した宝具、グリエルムスの鎖剣を手に収めると、そう命令した。
すると、先端に刃を持つ鎖は意思を持ったかのように、的確に繊細な動きで周囲のラースの頭蓋を貫いていった。
もはやラースなど物の数ではなかった。次から次に離れた位置から的確に魔物の命を喰らって行き、気が付いたら、生きている者は私一人となっていた。
勝利の余韻に浸る間もなく、再び光景を眺めている状態に戻った。
そこに立っていたのは、全身を鮮血に染めたウィクトリア一人で、辺りにはラースの死骸が散乱していた。
息も絶え絶えの彼女が顔を上げた瞬間、アダマントゥスを貫いた物と同じ黒い槍が何本もウィクトリアの体を貫き串刺しにした。
恐らく平時であれば、辺りを絶叫が響き渡ったであろうが、もはやその気力もないのか、痛みを感じていないのか、ウィクトリアは声一つ上げずに虚ろな顔を見せただけだった。
即死は免れたようだが、もはや生存の可能性はないだろう。事実、彼女は歴史でもこの時代に死んでいる。
とっくに死んでもいいはずの傷を受けていたにも拘らず、彼女はまだ息をしているようだった。そして最後の力を振り絞り双斧を片手に乗せ、それを自分にできる限界まで天に掲げた。
そのとき、驚くほど丁度よく、白い大鷹が舞い降り、ウィクトリアの手の輝きをその爪でしっかりと掴み、飛翔し去っていった。
「これが、その刃を手にした者の凄惨な最期です」
不意に声がする。光景はもう見えなくなっており、暗闇しか見えなかった。
「このままそれを手にここを去る権利をあなたは手に入れました。しかし、それを振るうことは災厄を招くことになります。それを肝に命じて下さい」
一呼吸置き、再び語りだす声。
「あなたは、何のために、戦うのですか?」
改めて問われると答えに窮する。なんのため?
「自分のため?」自問する。
「違う」
そもそもここへ来た目的は何だ? 命の危険を犯してまで力を手に入れたかった理由は? 思えば私は、行動するときに限って余り、ものを考えない気がする。奴にからかわれるな。
そのとき、ある三人の男の顔が浮かんだ。
「戦うのは……
少し考え、言う。
「戦うのは生きるため。生きるために戦う」
自分の言葉を確かなものにするように頷く。今の自分にはこれ以上ない完璧な答えに思えた。
そこで、目が開き辺りを見回すと、先と変わらぬ霊殿であった。
「終わった……のか?」
気が付くと、手斧の他に、台座に黄金色の鎖が巻き付いているのが目に映った。彫刻かと思っていたそれは、先程の戦いで世話になったグリエルムスの鎖剣だった。
手に取り、試しに力を込め、動くように命令してみる。
だが、思うように動かず、鎖は少し揺れた程度だった。
「練習が必要だな」
思わず口元が綻んだ。