19:魔神の夜
「今日はどこへ行こうか…」
深夜、皆が寝静まった頃に一人で屋敷を抜け出して、遙か上空から大地を見下ろしながら今夜の”狩り”の行先を思案する。
この行動は、あの2度目の”食事”以降、私の夜の習慣となった。
行為を繰り返すたびに殺人に対する忌避感は薄れていき、今やもう動揺することはなくなった。
相対する対象が泣こうが喚こうが命乞いしようが、感情を動かすことなく、冷静に処置できるようになったし、僅かばかり感じていた罪悪感もほとんどない。
狩りの時の私は、ヒューマンを前世の私と同種である”人”としてではなく、”処理すべき種族”として見ている節がある。
畑の作物を間引くように、余分なヒューマンを狩る。そんな感覚なのだ。
まだ私は、人として許せないと思った者や犯罪行為を行った者しか殺したことはない。
それは私の前世に由来する理性による判断だ。
私はそれを正しいと思うし、これからもそうありたいと望む。
だが一方では、それを”効率の悪い処理”だと考える私がいる。
魔神としての私は、世界を最良の状態に保つことこそが優先事項であり、存在意義でもある。
だからヒューマンの多い街を一つか二つほど壊して、世界のバランスを整えればよい。
そんなふうに考えてしまう。
例えば、買い物に行った街で出会った服屋の店員や雑貨屋の店主、露店の商人―…彼らとの一時は楽しかったし、また訪れたい。私は自分の感情としては、彼らを進んで殺したいとは思わない。
だけどもし、彼らが私の狩りの対象になったならば、私は言葉を交わし好ましく思ったあの者たちでも躊躇無く殺すだろう。たとえ罪が無くとも。たとえ情に訴えかけられようとも。
前世の私とは確かに異なる酷く平坦になった感情―…必要とあらばリュイやアス、レウムでさえ平気で狩れるんじゃないかと、ふと思ったことがある。
そんなことを一瞬でも考えてしまった自分が恐ろしかった。
この世界で心を許せる者を得、屋敷を整え、望んだ自分らしくいられる穏やかな生活を手に入れた。
それは”私”が求める日常。
だが、夜になれば私は命を刈り取る対象を求め、容赦無く殲滅する。
冷徹に、ただ”魔神”の果たすべき責務として。
私は魔神だ。それは理解しているし、魔神としての私に違和もない。
だけど、それなのに、この世界の生活が私の望んだものになっていくたび、魔神として行動するたび、私が―…”私”と”魔神”が乖離していく。
「それでも私はこの行為を止められない。
世界が助けを求めている。世界の悲鳴が聞こえる。こんなにも悲痛な―…
私はこの声を無視することなど、できない。できるはずもない。」
だから私は今日も食事に出かける。
瞳を閉じ、一つ深呼吸をして気持ちを”魔神”に切り替えてしまえば、不安はまるで消えて無くなったかのように鳴りを潜める。
「さあ、殺ろうか。」
向かう先はヒューマンの国のスラム街、そこに巣食う犯罪を生業にしている連中が今夜の狩りの対象だ。
犯罪を生業にしているとはいっても、彼らの中にも好きでそんな生活をしているわけではない者もいるだろう。
親に捨てられ、犯罪に手を染める以外に生きる術がなく止むを得ず…という者もおそらくはいるのではないだろうか。
だけど、そんな事情に何の意味がある?
罰されるべきは王か、宰相か、政治を担う全ての貴族か、それとも子供を捨てる親か、手を差し伸べなかった者たちか―…考えるだけで馬鹿らしい。そんなことをしていたら国一つを潰すことになる。
だから私は考えない。狩ると決めた者たちをただ狩る、それだけだ。
100人や200人の命を奪うことなんて、私にとっては造作も無い。
無尽蔵の魔素による魔神の魔法を阻める者などこの世界には存在しないのだから。
しかし、生きるために犯罪に手を染めるしか方法がなかった者たちを無為に恐怖させ苦しませるのは忍びない。
一部の犯罪行為に快楽を見出す下種には甘い処置になってしまうが、そこは致し方ないだろう。
「魔樹よ、我が子らに安らぎを―… 包め、誘え、世界へ還せ―…」
祈りを込め、魔力を乗せて力ある言葉を紡ぐ。
私の望みを受けて、柔らかな若木の蔦がスラムの薄汚れて今にも崩れ落ちそうな建物の壁を伝って静かに伸びていく。
急速に伸びていく蔓はみるみるスラムを鮮やかな若草色の葉で覆っていき、次々に蕾を付けて、小さな浅紫の花を咲かせた。
その藤に似た小さな花は、開いたそばからはらはらと散っていき、淡い光を撒きながら空気に溶けるように消えていった。
その浅紫の花が放つ淡い光は、人を永遠の眠りへ誘う毒―…
スラム一帯を隈なく花々が覆った頃には、そこにいた誰も彼もが静かな眠りについていた。
「おやすみ… 風化、分解」
今度の魔樹は毒を含んでいるので残すわけにはいかない。
私は力を貸してくれた魔樹を一撫でしてから、スラムの建物や眠る人々とともに全てを無へと還した。
更地になったスラム街を見届けてから屋敷の上空へと戻り、いつものように滝壺に潜って水底に沈む。
これもあの日以来の習慣だ。私は狩りから帰ると必ずここに来る。
なぜかこの冷たい水の底の空間が落ち着くのだ。
魔素濃度が高く心地良いだけではない、なぜか、安心する。
冷たいのに優しい水に身を任せているだけで、私が抱える不安は払拭されていく。自分が心配する必要などない、任せていれば大丈夫なのだという気持ちになる。
その絶大なる安心感、なぜだろうか―…私は何に頼っているのだろうか。分からないけれど、今の私には必要なもの、ただそれだけは分かるのだ。
そして私は魔神としてではない、ただの”私”に戻る。
明日もまた琥珀、リュイ、アス、レウム―…皆とともに笑いあえるだろう。
彼らの顔を思い浮かべるだけで、私は笑顔になれるのだから。
そういえば、ついつい忘れがちになるが、私が魔神だとまだ彼らに話していない。
今はもう、彼らが望む限りともにありたいと私自身が望んでいるし、そもそも彼らが驚くだろうと思って伏せていただけだ。そろそろ伝えてもいいかもしれない。
それに、アスとレウムも萎えた身体のリハビリを積極的にこなし、もうかなり動けるようになってきている。
屋敷での生活基盤はかなり整ってきたので、今度はそれぞれが自由な行動をとれるよう、活動するための環境を作っていくべきだろう。
この場所は人里からは遠く離れすぎていて、魔神である私以外の者では気軽に行き来ができない。
彼らには自由でいてもらいたいので、好きに移動できるように対策をするつもりだが、どんな方法をとるにしても一般常識からは掛け離れた規格外の物になるだろう。説明の手間を省くためにも打ち明けておいた方が良い気がする。
「まぁ、とにかく彼らの移動手段だな。」
転移は魔方陣や魔道具で可能だが、移動距離に比例して増加する必要魔力の供給をどうするかが問題だ。
魔方陣なら、空気中の魔素を取り込んで魔力に変換する式を書きこめば対応できる。これなら誰であろうと何度でも使うことができる。
ただし、予め魔方陣を設置しておかなければいけない上、魔方陣を置いた場所にしか転移できない。
対して魔道具なら、それなりの魔力を含んだ魔晶石を組み込んでおけば、使用者が任意で好きな場所に転移できるように設定することが可能だ。
ただし、魔晶石が含む魔力分しか転移できないので、使用可能な回数に制限が出る。ここから一番近い街まででもかなりの距離があるので、多くて数回が限度だろう。
ということは、いくつかの街に魔方陣を設置しておき、普段はそちらを使う。そして、緊急時用として各々に魔道具を持たせておく。この辺りが妥当だろう。
拠点になりそうな街に魔方陣を置く部屋でも借りるか…いや、家を買った方が安全か。小屋程度の規模でいいしな。
屋敷の方は、空き部屋にでも魔方陣を置くか…あ、それだと靴を履くタイミングが面倒なことになるな。やっぱり玄関に魔方陣を仕込むか。
行き先の指定は思考読み取りよりも、ボタンか何かにした方が分かりやすいかな。それで、ドアを開ける動作を魔方陣の起動に設定して、ドアを潜れば目的地―…よし、これでいこう。
魔道具は自分で作らないと、任意で転移できる物なんてそうそうない。
魔法はすでに在るものを取り寄せることはできるが、無から創造することはできない。
治療魔法と同じく、そこまで問答無用で便利な代物でもないということだな。
ちなみに魔道具というのは、媒体になる物に魔法式を書きこみ、魔力源として魔石か魔晶石をはめ込んだ物のことだ。
石が魔力を帯びた物が魔石で、魔素が結晶化した物が魔晶石、魔力源としては魔晶石の方が優れているが、稀少で高価でもある。
魔道具の魔法式の書きこみは、魔法か、魔力を伝えることができる特殊なインクで行う。これが導線の役割をし、この式に魔力が流れることで魔法が発動する。
魔法式の出来如何で全てが決まるのだ。いやぁ、なかなか作るのも楽しそうだ。
魔道具についてはいくらか確かめたいこともあるし、街で実物を見てから作るかな。
どうせなら材料集めも自分でやるか。素材から徹底的に拘って作ろう。
「よし、移動手段はこんなものだな。明日から取りかかろう。
あとは…アスとレウムには武器を持たせた方がいいかな。
リュイは魔法だろうから杖か。」
武器や防具ならドワーフの国が良いし、魔法用の杖ならエルフの里が良いだろう。
場所も分かるし、気になることもあるから今度行ってみよう。
「とりあえずそろそろ屋敷に戻って寝るか。」
いろいろと考えている間に結構時間がたっていたようで、気が付いたら空が白んできていた。
特に寝なくても大丈夫といえば大丈夫なのだが、前世の感覚を引きずっているのか、少し寝た方がすっきりする。
早く魔道具作成にかかりたい気持ちはあるが、明日からの楽しみとしよう。
2013/7/15 表現変更
(修正前)ヒューマンをかつての私と同種である”人”としてではなく
(修正後)ヒューマンを前世の私と同種である”人”としてではなく
【補足】
違和・・・大辞林 第三版の解説より
1:身心の調和が破れること。
2:雰囲気にそぐわないこと。




