16:魔神の暴走
リュイと琥珀を連れて食料品の露店が集まる市場を歩く。
活気に溢れ、ガヤガヤと騒がしい市場なのだが、なぜか私たちが通りかかると周囲の人々は言葉を亡くしたように立ち尽くしてしまう。
「…やたら見られてるな?やっぱり琥珀が目立つのか?」
(ノワール、我、悪い?)
「いやいや、悪くない。
皆、琥珀が珍しくて美しいから驚いているんだろう。」
(我、美しい?わーい!ノワールに褒められたー)
無遠慮に向けられる視線は不愉快だが、褒められたと無邪気に喜ぶ琥珀はかわいく、そのすべすべの鱗を撫でていれば、そんな些細なことはどうでもよくなる。
「ノワール様はご自分の容姿には無頓着なのですか?」
リュイが訝しげに聞いてきたので、しばし鏡で見た己の姿を思い出してみた。
たしかに髪や瞳は美しい色彩だとは感じたし、それなりに整った顔立ちで美人だと言えなくもなかったが、派手ではないし些か眼が鋭すぎてキツイ印象を与える。
総合すると人々の注目を集めるような容姿ではないだろうと思う。
その旨を伝えると、なぜかリュイには盛大に溜息をつかれてしまったが、特段興味のある話題でもないので気にしないことにした。
「さて、さすがに各露店で買占めると他に迷惑がかかるだろうから、いろんなものを少しづつ買うか。
リュイ、琥珀、好きな食べ物や興味のある食べ物があったら多めに買うから言えよ?」
(我、果物なら何でも好きー)
「そうか。じゃあいろいろ買っていこうな。」
「きゅぃーーーっっ」
嬉しそうに身体を揺らしながら鳴く琥珀を撫でつつ、果物を含め、目に付いたさまざまな作物を片っ端から購入していく。
薦められた物は心持ち多めに、あとは適当に、悩みもせずにどんどん買う。
なにせ、こちらの食べ物は魔神として持っている知識から、名前や生育場所などの生物としての情報だけは引き出せるが、味や調理法は分からない。
魔神の持つ情報というのは、歴代の魔神が得て、蓄積されてきた情報であるので、食事の必要が無い魔神たちは、味や調理法の情報を必要としていなかったことが窺える。
そんなわけで、名前と産地だけは分かるのだが見慣れた形の物はほとんどなく、なんとなく形状から瓜の一種だろうとか、芋だとか、シダ植物だとか、推測できる物があるという程度だ。
はっきり言って味の予想は全くつかないし、それらの食物をどういう料理に使えばいいのかさっぱり分からない。
特に果物に至っては奇抜な形も多く、どうやってどの部分を食べるのかさえ分からない始末だ。
これは前世で東南アジアの市場へ行った時のような感覚だ。
見慣れた食材はバナナやライチくらいしかなく、なるべく無難な物をと、南瓜サイズで形状が玉葱、表面の質感はジャガイモという見た目の、芋であることだけは確実な食材をスープの具材に使ったら、味はなんと大根だったのには軽く衝撃を受けた。
ちなみにヨーロッパのスーパーの記憶もあるが、そちらはトマトだのズッキーニだの、日本とは少し形が違うものの見慣れた食品が並んでいたと思う。
閑話休題、まぁこちらの世界では”検索”の魔法で調べれば調理法の知識はどうとでもなるだろうから、もはやデータベースを作るような感覚で、ほとんど機械的に店頭に並ぶ全種類を揃えていく。
「ノワール様、随分たくさん買うのですね?」
「異空間に入れておけば腐らないし、邪魔にもならないからな。」
(果物いっぱい~楽しみ~)
「ふふっ、良かったですね、ハク。僕も楽しみです。」
2人と1匹で他愛無い会話を楽しみつつ、40分強かけて市場を一巡した。
野菜、果物、肉類、香辛料とかなりの種類を揃えることができた。
しかし、茶葉はこういった市場では売っていないらしい。あれは嗜好品であり、高級品なのだそうだ。
”検索”で茶葉を取り扱っている店を調べると、貴族や裕福な商家向けの店が建ち並ぶ一角にあることがわかった。
ここからは結構距離があるので、時間の節約とリュイの体力温存のため、近くの路地まで転移で移動して店に向かった。
「ここは… あっ!お茶のお店ですか!?」
「そうだ。
とりあえず全種類揃えるつもりだが、好きなものや香りの気に入ったものがあれば多めに買うから。」
「はい!ありがとうございます!」
いつもは穏やかな音調で静かに話すリュイだから、声を上げて喜ぶ姿が妙に子供っぽく見えてなんだかとても微笑ましい。
棚に並べられた確認用の茶葉の瓶を開けて差し出してやると、嬉しそうに一つ一つ香りを確かめていく。
そうして確認が終わった物から順に持ち帰り用の瓶に詰めてもらう。
今回は試しの購入なので大・中・小とあったうちの、中サイズの瓶を選んで一律同じ量を買うことにした。
ただ、リュイが香りを吸い込んだ後に思わずといった感じに微笑みを浮かべた茶葉については大サイズの瓶に詰めてもらった。
店内にあった茶葉はそう多くもなかったので、確認は10分ほどで終わった。
「たくさんご購入いただき、ありがとうございます。
季節限定で入荷する茶葉もありますので、ぜひまたいらしてください。」
「そうか、それは楽しみだ。また来させてもらおう。」
「わぁっ楽しみです!
ノワール様、ありがとうございます。」
購入したお茶を手渡してくれながらそつなく売り込みをかける店主に、適当に対応しつつ店を後にした。
約束の時間が迫ってきているので、少々急いだ方がいいだろう。
上機嫌でお茶の話をするリュイの様子を楽しみながらやや足早に待ち合わせの店に向かった。
そうして、もうすぐ店に着くという時だった。
(ノワール… ノワール、ノワール…)
突如聞えた私を繰り返し呼ぶ、弱々しい囁くような声はアスの声だった。
その声が聞こえた途端、背中をぞわりと表現しがたい感覚が走った。
リュイに手短に状況を伝え、すでに店に着いていたらしいレウムと合流して2人と琥珀を先に屋敷に転移させた。
そしてアスの気配を探って場所を特定すると、周囲の目も気にせず一気に転移した。
そこは街の中心部からは離れた人気のない倉庫街の一角、古ぼけた倉庫だった。
その上空に転移した私は、アスが傷付かないよう彼に防御結界を張り、倉庫の屋根を粉々に吹き飛ばした。
盛大に舞い上がった土煙が晴れていく中に、ぼんやりと私を見上げるアスを見つけた。
そのぼろぼろに痛めつけられた姿―…怒りに目の前が真っ黒に染まった。
何だ、この黒さ… あぁ、私の魔力が暴走しているのか。
頭の片隅で妙に冷静に自分の状態を分析する私がいる。
けれど己の身体から溢れ出て暴れ狂う魔力は止め処もない。
いや、止める必要などあるだろうか。
「アス。あぁ、アス…なぜもっと早く呼ばなかった。
間に合ってよかった。」
暴走する魔力はそのままに、アスをそっと包み込むように抱き上げる。
「ノワール…ごめん。来てくれて嬉しい。」
「いい。しばらく寝ていろ。」
またも全身傷だらけになってしまったアスに回復と眠りの魔法をかける。
アスは素直に身を任せ、安心しきった穏やかな表情で瞳を閉じた。
アスが完全に意識を手放したのを確認してから、視線を倉庫の壁際に転がる男どもに向けた。
さっきまでアスに向けていた微笑が、すっと消えて無表情になったのが自分でも判った。
「「「ひっっ……!!」」」
私の暴走した魔力の嵐に揉まれてすでにボロ雑巾のような様相を呈する男たちは、声にならない悲鳴を上げながらそれでも何とか逃げようと地べたを這った。
「お前たち、アスに何をした?
――…あぁ、そもそもアスがあの研究所に行くことになったのも貴様らのせいか。」
暴走した魔力は調べるつもりのなかったアスの過去まで勝手に調べて付きつけてきた。
魔神たる私の”検索”は正しく起こった事実のみを提示する。
もはやこいつらを許す気などない。
「愚かしく醜い者どもよ、世界へ還れ―…」
そうして私の言葉に従い地中から出現した魔樹に男どもは一瞬で呑まれ、喰われた。
暴走して溢れ出た私の魔力を養分に、魔樹は男どもを喰った後も勢いを緩めず周囲一帯を浸食していったが、私はその様子を冷ややかに眺めていた。
2013/6/26 修正:屋敷に返したのはリュイとレウムと琥珀です。
(修正前)レウムと合流して2人を先に屋敷に転移させた。
(修正後)レウムと合流して2人と琥珀を先に屋敷に転移させた。




