10:魔神の決意
深夜、茶の間で眠る皆の姿を私は一人何をするでもなくぼんやりと眺めていた。
昼食を終えた後、すでに熟睡に入っていた霊獣と眠りかけていたリュイを其々の寝床に寝かせてやり、アスとレウムも休ませた。
結局、リュイとアスはここに残ることになったし、レウムも一度行くところがあるようだが戻ってくることになったので、各々の個室を用意しても構わなかったが、今はまだ茶の間に全員いた方が何かと便利なのでもうしばらくはこのままの状態で養生してもらうことにした。
ちなみに、アスとは特に何も変わりはない。
私としては突然で驚く行動ではあったが、アスはあの後すぐに手を離したし態度も普通に戻った。アスにとっては取り立てて意味のある行動ではなかったのだろう。
それはさておき、今日で私がこの世界に生まれて、彼らを拾ってから丸3日が経った。
彼らは昼からずっと眠り通しだが、もう私が水を飲ませてやる必要もないだろう。部屋の隅に水差しを置いて、目が覚めたときに各自で飲めるようにだけ整えておいた。
あとは他にすることがない。
こうして時間に余裕が出てくると、いろいろと余計なことを考えてしまう。
いやむしろ、考えるのが嫌だったから、今まで無意識に考える時間を作らないようにしていたのだろう。
「はぁーーー…」
一つ大きく息を吐き、私は屋敷から出て空へと飛んだ。
高く高く…魔素の流れに乗って一直線に飛翔する。
屋敷が点にしか見えなくなり、やがて森に紛れて判別できないほどになって、そしてあの大きな滝壺までも点にしか見えなくなった頃、ようやく上昇を止めた。
空を飛ぶのは初めてだったが、不安定さは一切ない。まるでそこに透明な床でもあるかのように、任意の場所に留まっていられる。
前世の感覚で言えば有り得ないことだが、魔神の感覚で言えば何の不思議もない。
自分が誕生した瞬間から、こうして自由自在に力を使いこなせることについても同様だ。
魔神は魔神であるがゆえに、誕生したその瞬間から完全なる唯一無二の魔神である。
魔神はこの”世界”という存在以外の何も必要としない。
ただこの世界が在ればよい。世界が在るとき、魔神も在る。
魔神は世界そのものであるがゆえに。
私は世界の大地を眼下に、両手を広げ、目を瞑り、ゆっくりと深呼吸を行った。
長く長く吐く息に合わせて感覚を広げていく。
魔素の流れに乗って広がっていく感覚はまだおぼろげで、ぼんやりとしか世界を捉えることができないが、今は仕方のないことだ。
この世界は、下部がやや細く伸びた楕円型…つまり卵を逆さにしたような形の透明な器の中に存在している。
器の中には塩水が満たされ、中央に一つ、水面から顔を出すほどの大きさの切り立った高い山脈がある。
その水面から出た部分がこの世界の大陸というわけだ。
さながら、前世で販売されていたインテリア用品のようだ。
ガラスケースの中に生態系を詰め込んだ世界―…それが私が魔神として転生した世界だ。
この世界で魔神がすべきこと、魔神の存在意義、その答えは誕生したその時からすでに魔神の中にある。
だけども魔神にとっては不純物でしかない”私”という存在が、そこに一点の墨となって落ちた。
2つは複雑に入り組み交じり、混じりあい、既に分離することはできない。
けれどまだ、完全に溶けあうこともできていない。
分かっている。
魔神は己以外の何者も必要としない。
永い時の流れをともに歩める者が存在しないゆえに。
だから、彼らの存在を求めたのは魔神ではなく”私”だ。
魔神は、家も、彼らも、何も必要とはしていないのだから。
私が私で在り続けるためにそれらを求めた―…そんなこと初めから気付いていた。
分かっている。
誕生したその日に奪った魔素だけでは到底足りるものではない。
魔神の空腹は世界の空腹であるがゆえに。
それでも”私”は自分の心を整理する時間が欲しかった。
どんなに自分を納得させても、どんなに忌避感の少ない殺し方をしても、凍って砕け散る直前のあの引き攣った表情が頭から離れない―…こうなることは予想していた。
だから彼らを拾って治療した。何かに夢中になっていれば、その間は気を逸らすことができるから。
そう…私が壊れず魔神であり続けるために、私は彼らを利用した。
それでも彼らといて感じた私の気持ちは純粋なものだと、私は私のために信じたい。
この温かな気持ちを罪悪感で汚すことだけはしたくない。
いつか”私”は魔神に摂りこまれるのだろうか。
それとも融合して”私”が魔神になるのだろうか。
人は誰しも矛盾を抱えているものだが、前世の記憶を持つ”私”の意識と、魔神としての意識はあまりにかけ離れている。
2つが完全に融合した時、私はどうなっているのだろうか。
「ははは…こんなことを考えている時点で魔神としてはおかしいのにな。」
不意に、考えてもどうしようもないことをうだうだと思案している自分に馬鹿らしくなって、思い切り笑ってみた。
そのうち大笑いしている自分がおかしくなって、さらに笑った。とにかく笑った。
ひとしきり笑いに笑ってようやくすっきりした気分になった。
「よしっ いい加減に腹を括ろう。
私は私のままで魔神として生きてみせる。
魔神の力に呑み込まれてなどやるものか。」
手始めに、魔神としての2度目の食事に出かけることにした。
ターゲットはもちろん、霊獣の卵を攫った者、そして、それを分かっていて転売した組織だ。
ついでに組織が貯め込んでいる金もいただこう。
私の望む私らしい生活のためにも金は必要だ。
「では、始めよう。」
私は毅然と嫣然と一歩を踏み出した。
ガラスケースの中に小さな生態系を詰め込んだライフサイエンス、「小さな地球」といわれるビーチワールドです。




