09:魔神の提案
アスとレウムがようやく食べ終わったので、お茶を飲みつつ果物を摘まみながら今後の話をすることにした。
「さて、初めに言った通り、私は君たちを拘束するつもりはない。
十分に回復して動けるようになったら、好きな時にここを出ていっていい。」
まず重要なのは、彼らに選択の自由があると分かってもらうこと。
私は、自ら望まない者を傍に置くつもりはない。
「…出ていけと、いうことでしょうか?」
リュイが呟くように聞いてきた。俯いており表情は見えないが、声の調子が固い。
まさかそんな捉えられ方をするとは思わなかったので驚いたが、思い返せば目が覚めるまでの間、一番魘されていたのはリュイだった。
俯いたまま何かを耐えるように小さく肩を震わせているリュイに、気が付いたら手が伸びていた。
綺麗な萌黄色の髪を指で梳くように頭を撫でる。
見た目通りにふわふわと柔らかな感触が手に心地良い。
「リュイがここにいたいのなら、好きなだけここにいればいい。」
私の言葉に、はっと顔をあげたリュイの枯茶色の瞳が涙に滲んでいる。3人の中で一番社交的で落ち着いているように見えていたリュイだったが、相当無理をしていたようだ。
おそらくアスやレウムよりもずっと長い期間研究所にいたのだろうし、最も精神が不安定になっているのは彼なのかもしれない。
眦に溜まった涙を指で拭ってやれば、くしゃりと顔を歪ませてぼろぼろと泣きだした。
大粒の涙が次から次へと溢れては零れ落ちる。
…しまった。よけいに泣かせてしまったか。
こういう時はいっそ思い切り泣いた方がすっきりする。実は”泣く”という行動には大きなリラックス効果があるのだ。
私は少し身体をずらしてリュイに近付くと、背中をゆっくりと撫でてやった。
こういう時に丸いちゃぶ台は自然に移動ができてとても便利だ。
「アスとレウムはどうする?
2人も望むのであればここにいてくれて構わないが…」
リュイを撫でながら、ちょっと放置気味になってしまっていた2人に目をやると、アスとレウムは揃って難しい顔をしていた。
一瞬、なぜ…と思ったが、理由にはすぐに思い当たった。おそらくは片腕片脚であることを心配しているのだろう。
獣人は総じてヒューマンよりも身体能力が高いが、この世界には凶暴な魔物が存在しているし、夜盗も決して少なくはない。五体満足でない者が単独で生き残るのは難しいだろう。
もちろん私は一度助けた以上、みすみす死なすつもりはないし、元より欠損部位は再生させてやるつもりだった。
私の中では決定事項だったために伝えるのを忘れていたのだ。
「あぁ、腕と脚のことなら心配しなくていい。
私があとで再生させてやる。」
「そんなことできるのか!?」
アスがちゃぶ台に手をついて身を乗り出しながら聞いてきた。
まぁ今の魔法師のレベルを考えると、欠損部位の再生が行える者なんてほとんど存在しないだろうから驚くのも無理からぬことか。
しかも欠損しているのは、腕は二の腕から、脚は太腿からというごっそり具合だ。
本当にこれでよく死ななかったものだ。
「私なら可能だ。
ただし、再生に伴って全身の筋組織や骨密度が低下する。」
「きんそ…?こつみ…ど??」
「あー…つまりな、再生前に比べると力が落ちるんだ。
加えて、あちこち脆くなるから怪我しやすくなる。」
「治っても弱くなるってことか。」
「そうだ。だが、永久的にではない。
また鍛え直せば強くなるし、この部屋に張ってある再生の魔方陣の影響下にいれば回復は早くなる。」
肉体再生を行う時、治療を受ける者のたんぱく質やカルシウム等の体組織を材料に、欠損した部位の組織が新たに作られる。
したがって、片腕片脚という大きな部位を再生させると、身体全体の組織の密度や濃度といったものが大幅に低下するのだ。
症状としては、貧血や骨粗鬆症、筋力低下などが起こる。
だが、これらはどれも適切な処置を行えば回復するものだ。
「そっか。助かる。本当にありがとう。
でもなんでノワールはそこまでしてくれるんだ?」
アスはほっとした様子で座りなおしながら聞いてきた。
しかし、なぜと言われても特に理由はないので返答に困る。
「うーん… 強いて言うなら拾ってきた者としての責任、かな。」
「なんだそれ… 俺たち犬や猫じゃないんだけど…」
せっかく正直に答えたというのに、とたんにアスが情けない顔になった。
レウムも相変わらずの無表情だが、耳が心持ち垂れている。
そんな2人の様子に、ちょっとした悪戯心が芽生えた。
「いや、お前たちは正しく犬と猫じゃないか。」
滅多にやらないとびっきりの笑顔で言ってやると、アスは手を床についてがっくりと項垂れ、レウムの耳はしゅーん…と完全に垂れ下がった。
「ひどいぃ…
たしかに俺は猫系だけど、その中でも最強の一角を担うと言われているフェルダーパンサーなのに、あんまりだ…」
「俺はアルバスウルフだ。」
「はははっ!
いやぁすまない、冗談だ。ちょっとからかってみただけだ。」
うん、予想以上にいいへこみっぷりで面白かった。からかい甲斐のある2人だ。
もっとからかってやりたかったが、最初からやりすぎて嫌われるのは得策ではないため、さっさと謝っておく。
「うぅぅ…そんな綺麗な笑顔で謝られたら怒れないよ。
ノワール、美人で優しいのに、微妙に性格悪い。」
「……意地悪だ。」
「アスとレウムがからかいたくなるようなかわいい反応をするのが悪い。
さて、話が逸れたな。
それで、2人は今後どうしたい?」
俺はかわいくないとか、逸らしたのはノワールなのにとか、小声でぶつぶつ言っている2人を無視して話を進める。
しばしの思案の後、先に口を開いたのはレウムだった。
「……戻ってきてもいいか?」
「うん?一度ここを出て、また戻ってきたいということか?」
短すぎる質問に問い返せば、頷きで肯定の意を示された。
「それは構わないが…
一度出ていくのに、どうしてわざわざここに戻ってきたいんだ?」
「ノワールが気に入った。」
私は思わず固まった。次にまじまじとレウムを見る。やはり無表情だが、その涼やかな白藍の瞳は期待に輝き、耳はぴんと立ち、尻尾は元気よく振られている。
…どうやら本気で言っているようだ。
それにしても顔の表情はほとんど動かないのに、それ以外のパーツは表情豊かで、存外に感情表現は素直でわかりやすい男だ。
しかしその行動はまるで犬だ。どうにも大型犬に懐かれたような気持ちになって、思わず笑みが漏れる。
「わかった。
レウムが出ていくときには、ここに戻ってこられるように魔道具を渡そう。」
私が承諾すると、レウムはさらに激しく尻尾を振った。
そして器用に私の元へいざってきたかと思えば、私にひっつくようにして隣に座った。
突然の行動に驚いたが、私の反対側の隣には泣きつかれたリュイがうとうとしながら凭れかかっているので動くに動けない。
まぁ別に嫌じゃないので構わないが、私としてはできれば獣形で懐いてほしい。
そう…この世界の獣人は例外なく獣化という能力を有しているらしく、人と獣の2つの姿を持つのだそうだ。レウムであれば、きっと逞しく美しい狼になるだろう。
ぜひともブラッシングさせてもらいたい。シャンプーも捨てがたい。ここは両方…
「あー… で、アスはどうする?」
とりあえず夢想はほどほどにしてアスを見れば、なぜだが拗ねたようにこちらを睨んでいた。
「…どうした?」
「ずるい……」
「は?」
「俺もノワールが気に入ったのに他の奴ばっかり…」
アスがぼそぼそとほとんど聞き取れない音量で意味不明なことを呟きながら、ちゃぶ台を横にどけていそいそと近付いてきた。
私の手をとり、まっすぐに視線を合わせてくる。
アスの瞳は見事な黄金色だ。その輝く瞳には強い意志を感じる。
軽いノリだった今までの雰囲気とは異なる真剣な面持ちに、不覚にも少しドキリとしてしまった。
「ノワール、あそこから助け出してくれたことも、治療してくれたことも、それから…腕と脚を再生してくれるという言葉にも、いくら感謝してもしたりない。
できることなら俺もノワールに何かを返したい。
ノワールは強い力を持った魔法師だから、俺じゃ何もできないかもしれないけど…
それでも何か返せるものを探したい。
だから、身体が治っても、傍にいさせてほしい。」
「アスは、レウムみたいに行かなければいけない所とか大事な人はいないのか?」
「あぁ。以前はいたんだが… もういないんだ。」
「そうか、わかった。それなら、これからもよろしく頼む。」
「ありがとう。」
ふわりと笑って礼を述べたアスは、すっと上体を倒すと、彼に捕らわれたままだった私の手の甲にキスを落とした。




