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   ナミダカフェ-下

 それからページをめくっていくと、やがて自己紹介が書かれたところへ辿りついた。

「朝香ヒナキ」。特技の欄には控えめで優しい、彼女らしい字で「料理」とある。将来の夢は「自分の店を持つこと」。

──すげぇ、夢叶ってるじゃん。

 俺は。

 将来の夢はイラストレーター……なんて、そんな夢。高3の時、呆気なく崩れたのに。

 小学校の卒業アルバムで、クラスのページの差し絵を描いて、と言われた。その時は普通に嬉しかったし、快く受け入れたのだが。

「……浮かれちゃったんだろうな」

 多分。たった30人程度の中で選ばれただけなのに、他のクラスの1番と比べてもそう目立って上手いということもなかったのに、ただ「俺は1番になった」。「クラスの中で」という部分にはそっと伏せ字をして。

「それに比べると、朝香って本当にすごいんだな」

 いつか、たまたま指が当たったことがある。プリントの受け渡しの時に少し触れただけだったが、その指は乾燥していても温かな、──母さんと同じ手をしていた。きっと、何回も料理失敗したりして、その度に作り直して、あのコーヒーも、パイも、何回でも、納得できるまで。──その努力が、そのまま手に表れたのだと思う。

 俺とは違うものを持ってる朝香が、今とてつもなく大きな存在に思えた。

 次の日は、いつもより遅めに行った。閉店間際の5時45分。

「今日はもう来ないのかと思いました」

少しだけ寂しげに彼女が微笑む。俺も曖昧に笑い返して、カウンター席に座った。

 何も言わなくても、彼女はそっといつものコーヒーを出してくれる。お互いに言葉を交わさないまま時間が過ぎて、やがて朝香が聞いてきた。

「光野君、絵得意でしたよね?」

「え、いや、全然。全っ然!」

 あわてて否定して、目のやり場に困りコーヒーを飲み込む。

「でもよく賞とかもらってたじゃないですか。私絵下手だからすごいなぁって」

朝香が続ける。そう言われると嬉しいというのは否定できないが、なぜ突然絵の話なんか──

「それであの、この店の看板、描いてもらえたらなぁ……とか」

「……へ?」

 なんとか噴き出すのは堪えたものの、唖然として聞き返した。店の看板って、そんなの、え、嘘だろ?

「期待になんか全然沿えないと思うんだけど」

 そんな責任あること、俺には無理だ。視野が狭くて、自己満足だけして、その先に進もうともしないくせに、イラストレーターになりたいなんて夢だけ偉そうに語ってカッコつけてた俺には。

「無理だって……」

 少しだけ景色が滲んできて、朝香にばれないように袖で拭う。

「朝香さん、6時ですけど」

 その時、奥から女の人が顔を出した。

「それなら、外の看板ひっくりかえしといて。あと中から鍵かけて。片付けはしとくから、先に帰ってていいよ」

 女の人は手際良く、といっても簡単なことだが、それを済ませて会釈だけすると、裏口から帰って行った。

 俺は何も言っていないのに、朝香は新しいコーヒー淹れますね、とお湯を沸かし始める。まだあるけど、と声をかけると、冷めてるじゃないですかと笑った。

「……絵、ダメですか」

 スプーンを動かしながら、残念そうに朝香がつぶやく。俺はうつむいた顔をあげることができなかった。出来ることなら、俺だって描きたい。描きたいけど、その自信がない。──だって、何年も描いてないし、まだちゃんと描けるか分かんないし。

 下手で、朝香に失望されたくないというのが理由の7割くらい。

 店内は静かで、お湯の沸ける音がやけに大きく響いていた。

「やってみなきゃ、分かりませんよ」

 ふいに朝香が言う。

「あのコーヒーもパイも、このお店を出すことも、最初は自信の欠片もなかった。みんなには料理上手いんだねとか言ってもらえてたけど、それでも家族とちょっとしかいなかった友達からってだけだし」

何も返せない俺に、朝香は続けた。

「自己満足した時期もありましたけど、いつだったかな、シュークリームかなんか作ろうとして、5回くらいずっと失敗したんです。それで、今まで誉めてもらえてたのも全部お世辞な気がしてきたんです」

 俺もそうだった。小6で成長が止まって、中学の時にはそこから目を逸らして、高3でやっと現実を見た。美術の授業で先生がランクをつけた時に、いつもAをもらっていたのがBに下がって、それから一度もAがとれなくなって、成績まで「5」から「3」に下がった。Aをもらった奴の作品を見てみると明らかに俺のより上手かったし、そこでやっと、井の中から俺は顔を出したのだ。イラストレーターになりたいとか言ってた自分がどうしようもない馬鹿に思えてきて、上手と言ってくれた笑顔が全部作り物に見えてきてしまっていた。

「でも、家庭科の調理実習で光野君が上手いねって言ってくれて。違う班だったんだけど、隣の机から顔出してくれたんです。なぜか、それはお世辞に聞こえなかった。……私が勝手に思っただけなので多分違うんですけどね。──ちょっと夢見てました」

 俺は首を振った。そんなことは覚えてないけど、適当にお世辞を言うタイプではないし、中学の時もそうだった……はず。

「そのおかげで何とか自信持てました。もうちょっと頑張ってみようって思ってそれで、今度は私が光野君に自信あげられたらなぁって。光野君の夢とか知らなかったから何も出来なかったんだけど、いつか絶対、お返ししようと思って」

 ずっと喋りとおして、朝香はフッと息をついた。

「すいません、なんか」

困ったように笑って言う。

「……朝香、あのさ」

 やっと俺は顔をあげて、切り出した。いきなりすぎる気もしたが、今言わないとニ度と言えない。

「朝香のこと、多分好きだ」

 ちゃんと言えなくて、思わず「多分」をつけたことに焦った。

「いや、多分じゃなくて……好きだ」

 しどろもどろに言い直して、そっと朝香を窺う。朝香はしばらく黙っていたが、やがて「すみません」と小さくつぶやいた。どきりとした俺の胸をよそに、小さく笑う。

「コーヒー、忘れてた」

 放置されていたカップに急いでお湯を注ぎ、砂糖を入れてかき混ぜる──と。

 朝香の頬を一筋の涙が滑って行った。手元は見えていなかったが、おそらくそれはカップに落ちて行ったと思う。朝香は気付いたか分からないが、そのままそれを俺の前に置いた。

 俺はとりあえず口をつけて、首を傾げた。──味、戻った。

「なんか変な味しますか」

 不安げに言いつつ、朝香自身もカップを傾ける。

「いや、あの、美味しくなったなぁって。ずっと、2年間この味だったんだけど、えっと、その」

言っていいものかと口をつぐんだが、朝香が目で促してきたので続けた。

「一昨日から、コーヒーの味が落ちた気がして。いや、その十分美味しいけど、でも前と比べると」

 途中からやっぱり言うべきじゃなかった、と後悔した。朝香の顔が目に見えて蒼くなっていったからだ。

「……違いは、淹れる時私が泣いたかどうかです」

 困ったような表情のまま、朝香は続ける。

「私高校でも大学でも、ずっと光野君のこと忘れられなくて。すごく執念深い人みたいだけど、それでも。だから大学出て、光野君が東京行くって中学の時言ってたから、それにすがりついてのこのこと東京まで出て来てみたんです」

 恥ずかしげに彼女は笑った。──でも、どうして此処と分かったのだろう。一番小さい県とはいえど、この広い東京の中で、なんで。

「此処、イラストの学校近いじゃないですか。……勘です、それは。ちょうど冴えてたみたいでよかった」

 思わず俺は朝香の顔を見つめてしまった。朝香の言う事が図星だったからだ。

 来てからこの学校の存在を知って、住むのやめようかなと思いつつも家買っちゃったから仕方なくここに住むことにした──というのは言いわけに過ぎず。本当は美術の学校があることは知っていたし、中学の時はここ行きたいなぁとかまたもカッコつけて言ってみたりしていた。……どうして此処に来てしまったのかは、未だ分かっていない──けど、これも自分についている嘘。画材道具を持って歩く学生とすれ違うとき、必ずニ度見してしまう。東京に来てから、ずっと。この場所を選んで住み着いたのも、学生を思わず見てしまうのも、まだ未練が残っているからだと思う。

「だからこのお店も光野君を追っかけてきた結果で、中学の時の夢叶ったのも光野君のおかげって言っても間違ってないし、だからはじめて光野君が来てくれた時も嬉しくて泣いちゃって、次からは気付いてくれないことに悲しくなっちゃって、でもこの間分かってくれたから笑えるようになりました。──そのせいでコーヒーの味が落ちたっていうのは迂闊というかなんというか、まぁ予想外だったんですけど」

 そして、にっこりと朝香は笑う。

「今好きって言ってもらえて、また嬉しくて泣いちゃった。自分からはちゃんと言えてないけど、光野君から言ってもらえる方がなんか嬉しいし」

「……波留でいいよ」

 俺が言うと、朝香は一瞬口をつぐんだようだったがそっと言った。

「──波留?」

 どうして疑問形なのかということには何も言わないことにして、俺は言ってみる事にした。

「あのさヒナキ、」

 弾かれたように彼女は俺を見る。え、ダメだったのかな、と焦ったが、なんでもないと朝香は首を振った。

「やっぱ看板、描かせて」

 ちゃんと出来るか分からないけど、どんなことになるかなんて想像もできないけど。

「やってみなきゃ分かんないって、言ったよな」

 ヒナキが差しだしてくれた最後の光に、すがりついて、成功できるまでやってみようと思った。ヒナキと同じ手になるまで、何度でも。

「お願いします」

 ヒナキは笑って、頭を下げた。

「あとさ、」

俺が続けると、少しだけ頭を上げる。

「泣かなくてもできる美味しいコーヒーの作り方、探そうな」

はい、とヒナキは笑って耳を引っ張った。

「入ってたのは波留のだけなんだけど……波留が飲んでたそれを、他の人にもあげないとね」

 ヒナキの言葉にうなずき、──その拍子に涙がするりと滑り落ちた。

 昨日アルバムを出した時に一緒に出てきた、捨てるつもりだった画材道具。帰ったら、それに積もった埃と諦めた時に出た涙を払っておこう。これからの自分に、そんなものはいらない。

 挫折した高3の自分に、大丈夫だと言った。

 夢見てた中3の自分には、遅れたけど頑張ると言う。

 なぜか流れ落ちた俺の涙はそのままカップへ落ち、朝香の涙と混ざって、新しい味が生まれたようだった。



なんか、ぐちゃぐちゃじゃね←

いろいろと展開が妙じゃね(

 とりあえず、当時の自分がこれだと頑張って受け止めます(笑


Next→「虹色レンズ」

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