4話 中章1
言葉、修多羅が会敵する数日前。
「はぁ…、退屈だ」
そこは心海大学の講義室。
銀鏡は一定の音程で話し続ける教授の声を聞きながら、ノートをダラダラと片肘をつきながら書き続ける。
「……………」
私は先輩のように強くはない。
いや、異能者の中でも並外れた先輩を基準にするのはおかしいと思うが、そうじゃなくても私は並の異能者には酷く劣る。
異能において攻撃性能が存在しないと言うのは、それほど致命的な要因になる。
「だけど………」
私の《誘導》。
それはいわば思考の制御であって、厳密には操作をしているわけではない。操作はできなくても、長音寺のような振り切ったことをすれば、いわば思考の汚染をすれば、望まぬ戦いを人々に強いることはできる。
「でも、できることとやれることは違う………か」
先輩のように簡単に人をやめられない。
先輩のように簡単に自分を貶められない。
先輩のように簡単に人を救えない。
だから、私は先輩の背を見ることしかできない。
「銀鏡、退屈そうだからマンデラ効果の説明をしてみろ」
「はい。事実の異なる記憶を不特定多数の人が共有している効果のことです」
「正解。続いて、エスカレーター効果は?」
「脳内の記憶と情報に差異が出た場合に、強い違和感を覚える現象です」
「正解。座っていいぞ」
「ふぅー」
ある程度予習しといてよかった。
この教授は唐突に当ててくるから困る。
「すごいね銀鏡さん。難なく答えられて」
横にいたのは、雀居さんという同じゼミの仲間である。メガネのレンズは分厚く、前髪で顔を隠しているため、ちゃんと目を見たことはない。
「でも、雀居さんはテスト1位だったよね?」
「ま、まぁね。テストは答え合わせみたいなものだから」
「頭いい人は言うことから違うね」
答え合わせか。
そんなパズルみたいにポンポンと答えることができれば、勉強も楽しくなるんだろうか。いや、難関大学まで行っておいて、今更勉強をやることに楽しさなんてものは気にしないけど。
リンゴーン。
大学のチャイムが鳴り、90分の授業が終わったことを知らせる。だが、教授はダラダラと説明しながら板書をし続ける。
「最後に言っておくが、心理学は人を分かろうとする指標にするもので、多少合っていると言うだけで、目の前の人間を理解した気になるのは烏滸がましいからな。以上」
教授はいつもの文言を早めに言いながら、講義室を後にする。ピシャリと扉が閉められたあと、講義室の生徒が一斉に肩の力を抜き、ざわざわと話し始める。
「どうしようかな」
「し、銀鏡さん。一緒にご飯でもどう?」
「ご飯?もうそんな時間?」
時計を見ると、時刻はすでに13時だった。
「うん、いいよ」
雀居さんに誘われるまま、私たちは人の波に逆らって学食へと向かった。
「し、銀鏡さんはさ、なんで心理学を専攻してるの?」
トレイを持って食券の列に並びながら、雀居さんがポツリと聞いた。
「なんでって………、成り行き?」
誘導の異能を発現させ、殲滅会に入ったのが中学の話。異能の制御と異能の運用には、人の心理を深く理解する必要があったため、心理学を学ぶ必要があった。
「雀居さんはどうなの?」
「わ、私も成り行きかな。色々あったから」
「まぁ、人に歴史ありって言うからね」
食堂のおばちゃんから蕎麦とうどんをそれぞれ受け取り、返却口の近くのテーブルへと向かい合って座る。
「ちなみにさ、毎回教授が言っている『心理学は人をわかる指標』って言っているけど、あれはなんでだと思う?」
銀鏡はついぞ思っていることを、学友だと思い始めている雀居へと投げかける。雀居は啜る蕎麦を噛みちぎりながら、メガネを直して銀鏡に向き直る。
「どんな学問もそうだけど、"限界"があるからかな」
「限界………か」
「うん。その中でも私が一番致命的なのは、認知の限界だと思う」
「認知の限界?」
「人は自分自身の認識が偏っていることを自覚できないから、どれだけ世界が歪んでいようとも、自分の主観が正しいと思うんだよ」
「それもまた偏った認識じゃないの?」
「そうだと思う。でも、私はそれが正しいと思う。これが、"限界"なんだよ」
「なるほどね」
つまり、自分の考えていることが主観によって正しいと思い込んでいて、それに縛られていると言うわけだ。
「解釈の問題ってわけか」
でもこれを悩み続けるのはノイローゼになるだろう。自分が間違いだと思い続け、人に流されることはできるが、それは流され続けることを選択しているほかない。
それもまた、"偏った認識"なのだろう。
「銀鏡さんはどこが心理学の限界だと思う?」
「私?私はなぁ」
色々思うけど、これが一番だろう。
「再現性の無さ、かな」
「再現性の無さ?」
「いや、法則が確立されているからある程度の再現性は確認はされているんだけどさ。似たような状況に対して、当てはめた法則が合い続けるわけはないと思うんだよね」
「つまり?」
「同じ心で、法則が当てはまり続ける。のであれば、同じ人間が大量生産できることになる」
再現性と多様性。
この2つによって、心理学はすんなりと否定できる。
「成程……、そう言う考え方もあるんだね」
熱い議論を交わし終える頃には互いに食べ終わっていた。銀鏡があらかじめ用意していたコップの水で喉を潤していると、雀居はトレーを持ち上げながら立つ。
「あ、ありがとう。私は次の授業あるから」
「あれ?次は選択制だっけ」
「うん、じゃあ」
「うん」
雀居が返却口へとトレーを返し終わったあと、食堂の出口を出るまでその背を見送る。背が消えた頃に携帯を開くと、時刻は15時を指していた。
「この後は……」
学校の専用ポータルサイトを開いてこの後の授業予定を確認する。この後は、雀居が言ってた通り全て選択授業であり、その中に銀鏡が選択したものは一つもなかった。
「………殲滅会にでも行くか」
携帯の連絡帳を開き、歴木言葉の名前をプッシュする。
『あい、言葉だが』
「先輩、どうせ暇っすよね」
『人を年がら年中暇人みたいに言うんじゃねぇよ。まぁ、暇だが』
携帯の向こうから何かを注ぐ音と、にぎやかな女性の声が聞こえる。どうやら、行きつけの喫茶店へといるようだ。
「先輩、殲滅会まで送ってください」
『どうした、なんかあったのかよ』
「いや、やることないんで行こうかと」
『いや、あそこは暇な時に行く場所じゃねぇだろ』
「問題を積極的に起こす先輩と違って、私はあそこでは可愛がられているんですよ」
『そーかよ。はぁー、まぁめんどくせぇが、行ってやるから1時間ぐらい待て。闘華さんーー』
ブツン。
毎回何かしらを言いながら切るのは癖なんだろうか。
「1時間かー、何をしようかな」
プルルルル。プルルルル。
振動する携帯を確認すると、そこには千里さんの名前があった。
「はい、銀鏡です」
『銀鏡君か。用事があるから、言葉君と一緒に来て欲しいんだ』
「私たち2人ってことは、異能者ですか?」
『うーん、確実性にかけるからなんともいえないけど、まぁ要はそうだね』
「わかりました、先輩と一緒に行きます」
『あぁ、頼んだよ』
通話を切り、携帯をポケットに捩じ込む。
手持ち無沙汰となり、近くのベンチへと腰を落とす。
リンゴーンリンゴーン。
大学の始業のベルが静かにこだまする。
話し声が全く聞こえないのは、周囲に誰もいないからであろう。
「まぁこんなもんだよな」
外で理由もなくダラダラと過ごすのは、外国かぶれの日光浴の人間だけだ。そして、外国語の授業はこの学校にはないため、自動的にそんな人間もいなくなろう。
「お、こんな時間に学生がいるとはな」
「え?」
視線を青空からベンチの横へと目を映すと、そこには白衣を着た大学の名誉教授がいた。
「さ、幸神教授!?」
「ははは、そんなに驚かんでも。教授なんだから、大学にいるのは当然だ」
私はその姿を見るだけで、あんぐりと口を開けるしかなかった。
幸神教授は大学の顔とも言える人間であり、論文で名前を見かけないことがないほどの優秀な人間だ。
「君は授業がないのかね?」
「は、はい。この後は全部選択してなかったので」
「そうだったのかい。僕も担当がこの授業のあとでね、暇つぶしに散歩していたのだよ」
有名な教授が笑っている。
テレビにも出演するような人が。
芸能人みたいというのはおかしい話だが、こうやって見るとただ1人の人間なんだと思う。
「さ、幸神教授」
「なんだい?銀鏡学生」
「っ!?」
「あはは、いちいち驚かない。僕は教員から生徒と掃除員の人まで全員把握してるんだよ」
そうだ、この人の頭の良さにいちいち感動してられない。
「し、心理学の限界ってなんだと思います?」
私は先ほどまで雀居さんと話していたことをぶつけることにした。
「うーん、色々言いたいことはあるけど、究極的な話をすると人間であるからかな」
「人間である………こと?」
「心理学の限界はいろんな定義がある。倫理性とか再現性とか主観性の問題とか。でも、いろんなことをひっくるめると、人間であるからなんだよ」
「???。すみません、教授って途中式書かないタイプですか」
「あはは、そう急かない。説明してやるから。倫理とかは人間の本能で備わっているもので、人間的にはしちゃいけない行動のことを指す。再現性に関しては多様性、つまりは個性の話に直結する。人間という仕組みの都合上、個性が発現するのは明瞭だからね。そして、主観性。これに関しては知識をつければつけるほど、自分の考えが間違ってない裏付けをすることができるし、その悪用してこじつけることもできる。まぁ、これに関しては人間の良心的な部分も関係あるかな」
「……なるほど」
「総じて、人間である以上心理学の限界はやってくるというわけなんだよ」
納得してしまった。理解してしまった。
だけど、ならば。
「なんで、私たちは心理学を学んでいるんですか」
「まぁ、そこを疑問に思うよな」
こめかみを掻きながら、少し伸びをして、幸神は青空を見ながら答える。
「目の前の人間を少しでも理解するためかな」
「…………なる……ほど?」
そんな小学生みたいな解答に、私は思わずそんな疑問符を浮かべるしかなかった。
「わからないか。まぁ、君も学んでいけばわかるんじゃないのかな」
リンゴーン。
終業のベルがなり、授業が終わったことを知らせる。それと同時に、バイクの駆動音が大学の中に入ってきて、中央のロータリーで停まった。
「銀鏡ぃー、来たぞぉー!」
先輩が手を振っている。
だが、この教授との千載一遇のチャンスを。
「行きたまえよ。僕との話なんて、大学にいる限りできるんだから」
「は、はい」
銀鏡はベンチを立ち上がり、そのままロータリーへと歩く。
「遅いぞ、銀鏡」
「すみません」
気になって後ろを振り返るという、そこには教授の姿は跡形もなく消えていた。
「どうしたんだ?」
「いえ、なんでもないです」
「そうか、なら後ろに乗れ」
「はい」
銀鏡はいつものようにバイクの後部座席に腰を下ろして、言葉の腰へと手を回す。
「じゃあ、お願いします」
「へいへい」
バイクはロータリーを一周して、そのまま大学の敷地を出た。




