1話 前章1
世界は英雄を欲する。
その役目を押し付けるために。
異能──それは、数年前に突如として人間に発現した、人ならざる力。
ジャンルで言えばファンタジー。分類で言えば魔法とかスキルに近いものだが、そんな非現実が現代に堂々と流行るはずもない。だから国家機密だ。
存在が知られていないということは、その力を持つ人間がごく少数ということでもある。
……もっとも、ここに二人いる時点で、例外なんて簡単に生まれるわけだが。
俺と、そして今、俺を殺そうとしている彼女だ。
彼女は異能者として実にわかりやすい。額から伸びた一本の角。
もちろん、それだけじゃない。異能の暴走で精神は汚染され、肉体も異形へと変質しつつある。このまま呑気に殴り合っていれば、もう二度と"人間"として戻れない。
まぁ、それを止めるのが俺の役割なのだが。
「死ね」
「マジか」
呪いの言葉ともに心臓を貫手で貫かれた。
戦いに身を投じて四年。それなりに戦闘経験を積んでいる俺だが、まさかこうもあっさり沈むとは思わなかった。
夜でよかった。こんな恥、昼間に晒したくはない。
言い訳をさせてもらえば、俺は殺し合いがしたくて戦っているわけじゃない。
むしろ、できる限り平和的に解決したいといつも思っている。
だが、あのときばかりは——どうしても避けられなかった。
……そんな情けない回想から始めよう。
そう、あれは数日前のことだ。
キーンコーンカーンコーン。
最終下校を知らせるチャイム。
外はとっくに夜の帳が下り、部活の生徒すら帰路に着こうとする。だが、そんな時でも教室にいる生徒がいた。
「ん?あぁ?」
眠い。果てしなく眠い。
「あぁー、19時…か」
どうやらまた朝から夜までぶっ続けで寝ていたようだ。またというのもおかしな話だろうか、学校に来るたびに同じようなことをしているんだから。
「何か…忘れているような気がする」
久々の9時間睡眠で頭が起きるはずもなく、忘れているはずの用事を思い出すことはできなかった。
が、それはすぐに思い出すことになる。
「ようやく、起きたわね」
そこにいたのは修多羅砕破だった。綺麗な黒髪ロングであり、ザ大和撫子を体現したかのような女の子だ。だが、そんな容姿とは裏腹に中学の空手の世界大会で優勝を果たすような人間だ。見るたびに思うが、どこにそんな筋肉を隠しているのか甚だ疑問だ。
「……」
そんな疑問は置いておいて、俺は今命の危機に瀕している。原因としては、話があると引き留めていながら爆睡をしていたからだ。彼女の拳の重さを俺は知らないが、言動次第で頭蓋は粉々に砕け散ることになるだろう。
「待ってくれ。まず、命乞いの時間をくれ」
「はぁ?何を言ってるのよ」
「いやいや、まず生物が命の危機に瀕した時に『殺さないでくれ』って定型文のようにいうじゃないか。それをさせてください!殺さないでくださいッ!」
おかしい。俺は命乞いをしたはずだ。
なのに、修多羅の拳が握られているのは何故だろうか。あ、拳ミシミシ言わせながら握るのやめて。
「人を散々待たせた挙句、要件も話さず、謝罪もせずに、そんなふざけたことを言うなんて。余程殴られたいようね」
「あ、ミスった」
修多羅は拳を振りかぶり、俺の頭蓋を粉々にしたのでした。異能英雄譚、完。
…とはならなかった。
振りかぶられたはずの拳はデコピンへと変わっており、俺の額の前で静かに構えられていた。
「これでチャラよ」
「いてぇ!」
それは頭蓋に響く痛みであり、おおよそデコピンから放たれるような威力でないことは確かだ。
「まず、謝罪」
「はい、寝ててすみません」
「ん、許す」
「はぁ、よかった」
緊迫した状況から脱し、息を深く吐く。
「ったく、そんなことだから不良なんで呼ばれるのよ」
不良。それはこの学校では俺ーー歴木言葉の代名詞だ。それは呼ばれて当然のもので、一ヶ月で二回しか登校しておらず、登校したとしても朝から夜まで寝るというふざけた授業態度を繰り返す。そんな中でも成績は上の下という中途半端とは言えないぐらいのものを出しているため、扱い方に非常に苦労しているという。そのため、せめてもの抵抗として『不良』という呼び名を固定化させた…らしい。
「不良ね。ものを壊したり、支配したりしてないんだけどな」
「そういう厄介なやつを押し並べて不良というのよ。…って、そんなことよりも用ってなんなのよ」
「あ、そうだな。うーんと」
「はぁ?ないのに私をまたせたの?」
「いや違うんだあるんだが…」
臆病者だな。俺は常々自分に対して思う。
いや、いっそのこと愚者と罵倒してくれてもいい。
「"何か"あったか?」
この様だ。
ったく、中学らの付き合いなのに踏み込んだ質問すらできないなんて。
「何かって何よ」
「うーん、イベント?」
「イベント?そんなものないわよ。今日以外」
「ごめんって。そうか…、ないか」
外れたか?
いや、千里さんが見たってことは確かだから、今から起きるってことなのか?
くっそ、性格が災いする。
このせいで、いつだって"後手"にまわる。
「…今から嫌な質問をしていいか」
「何よ急に真面目になって。場合によっては、私の拳が火を吹くけど、それでもいいならどうぞ」
不穏な言葉が聞こえた気がするが、それに構うことなく俺は続ける。
「…おじさんとはどうなんだ」
「そんなことね。いつも通り、ここ数年は顔すら見ていないわ」
「そうか、すまなかった」
詳しいことは知らないが、小学生の頃から修多羅とその父は明確な確執があるらしい。そのことが起因しているのかと思ったが、どうやら思い違いだったようだ。
「終わりかしら?なら読書に戻ってもいいかしら?」
「またそれ読んでいるのか」
「何を言っているのよ。またも何も、私はこの本を読み続けなければならないのよ。この『英雄の証明』をね」
「出たでた。エーユーノ、ショーメイ」
「そうやって馬鹿にしているけれどね、これは本屋大賞を受賞するほどのものよ。まぁ、私はちっとも傑作であると思わないけどね」
「傑作と思えないのに見ていると」
「ええ、76周目よ」
「イかれてんのか」
「イかれてないわよ」
「いや、イかれているだろ」
「いやいや、本当にイかれてないわよ。私はこの本が面白いと思うために、少なからず75回という試行回数を重ねて、74回の考察を行ってきたのだから」
「面白いと思うため?」
「そうよ。私は作品を見る時に、面白くないと思うのは自分の感性の乏しさからくるものだと思っているから」
「いやいや、面白くない作品なんていくらでもあるだろうが」
「そんなものはパッと見ればわかるわ。これは少なからず、初見で『面白さ』を見破れなかった作品なんだから」
ここまでくれば読書家でなく、読書狂とまで言うのだろうか。世界の中でも屈指の空手家が読者にのめり込むとそうなるのか。
いや、そうなってもおかしくはないのか。
"鍛錬"に注いでた時間を全て読書に当てていれば。
プルルッ。
ポケットに突っ込んでいた携帯が着信を知らせる。どうやら、学校の時間は終わりのようだ。
「出なさいよ」
「すまない」
電話の内容はそれは当たり前のことだった。
それはいつも通り、異能者を殺せと言う指示だ。そんな雑な命令でありながら、内容を再度メールに送り、そこには名前や行動パターンなどの詳細な情報がある。プライベートなど完全無視であり、国家機関とは言え権力振りかざしすぎだとは思う。
「また仕事ってやつなのね」
「ってやつじゃなくて仕事そのものだよ。すまんが、先に帰るわ」
「いいわよ。ここまできたら、走が帰ってくるのを待つわ」
「そうか、すまんな」
急いで荷物をまとめ、机の隙間を縫うように歩き、静かに教室の扉を開けようと手を伸ばした時。
「次回から気をつけるのね。私以外は気づかないだろうけど、胸元にあるその物騒なものを持ってこないようにしなさいよ」
「…バレてたか」
「後、どんな仕組みか知らないけど」
器用に体を旋回させながら、修多羅は向き直る。
「怪我を見せないなら上手くやりなさい。パッと見れば傷はなさそうだけど、骨が歪んでいるのね。歩き方が少しおかしいわよ」
訂正だ。と言っても付け加えるだけだが。
彼女は未だ現役の空手家だ。
「あぁ、すまないな」
俺の日本語はおかしかっただろう。
何せ、激しい動揺をしながら俺は教室を後にしたのだから。




