第七話:辺境伯の独占宣言
「これを受け取れ。王都からの公式な書状だ」
アレクセイ閣下が差し出したのは、金色の封蝋がなされた重厚な勅書だった。
王家の紋章が刻印されているが、今の私にとっては、ただの「履行不可能な契約の催促状」に過ぎない。
私はそれを受け取り、封を切った。
中身は予想通り、厚顔無恥な内容だった。
かつて崩壊したという東離宮の修繕、および以前私が停止させた全術式の無償復旧を命じる「国家強制徴用令」である。
「……国家資産の損壊責任を私に転嫁し、個人の知的成果物である術式を無償提供しろとおっしゃるのですね。以前に交わした解除通知で、設計図の複製破棄と使用権の消失は確定しているはずですのに」
私は冷めた声で言った。
かつて、あの夜会で婚約を破棄された際、業務委託契約は正式に解除された。
管理権を返上し、使用権の消失をエドワード様も認めたはずだ。
公的な手続きを経て解消された権利関係を、後出しの勅書で一方的に「公的な奉仕」にすり替えようとするなど、法治国家としての基礎が揺らいでいる。
「断る。貴様をあんな場所へ帰しはしない」
アレクセイ閣下の声が、執務室の空気を震わせた。
彼は私の手から勅書を奪い取ると、まるでゴミでも扱うように机に放り出した。
「閣下、これは国王陛下の名による命令ですわ。拒否すれば、ザハロフ領への公費支出が凍結される恐れも……」
「構わん。最初からこの領地の地盤は、王都の支援などという泥濘の上には建っていない。俺と民、そして貴様の技術で固めた岩盤の上にある」
アレクセイ閣下は、私の肩を力強く掴んだ。
以前、城の床暖房を初めて稼働させた時に見せた驚愕よりも、ずっと深い、暗い情熱がその瞳に宿っている。
その瞳に映る私は、もはや「地味で冷徹な建築令嬢」などではなかった。
「イリス。俺は貴様と、新しい契約を結びたい」
「契約……? 魔法都市開発の追加条項でしょうか。それとも融雪システムの……」
「違う」
アレクセイ閣下は、私の手を引き寄せた。
そして、私の右手の指先に、深く、熱い唇を落とした。
精密な術式を構築するために酷使され、小さなタコができている、私の誇りである手に。
以前、エドワード様が「夢がない」と目を逸らしたその手を、彼は愛おしそうに見つめた。
「技術者としてではない。一人の女として、俺の生涯の隣にいてほしい。……これは命令でも依頼でもない。俺の人生という名の設計図を、貴様と共に描きたいという願いだ」
心臓の鼓動が、急激に速くなる。
建築士としての理性で抑え込もうとしても、魂の基礎が激しく揺れ動くのを止められない。
かつて砂上の楼閣に住んでいた私は、いつも足元が崩れる恐怖に怯えていた。
だが、アレクセイ閣下の隣にいる今は、まるで太古の岩盤の上にそびえ立つ城のように、揺るぎない安心感がある。
「閣下……私を、独占したいとおっしゃるのですか?」
「ああ。貴様のその知恵も、その指先も、その魂も。誰にも、どこにも渡さない。王宮が瓦礫になろうと、世界が吹雪に閉ざされようと、俺の人生の支柱は貴様だけだ」
無骨で、合理的で、それでいてあまりに身勝手な独占宣言。
それはどんな甘い求愛の言葉よりも深く、私の存在理由という名の基礎へと染み込んでいった。
「……承知いたしました。その契約、謹んでお受けしますわ」
私は微笑み、彼の頑丈な胸に身を預けた。
以前、温泉の湧き出る湯気に包まれて足湯を楽しんだ時よりも、ずっと心の芯が温かい。
「ただし、契約内容は厳密に。……私の生涯の使用権、および独占的居住権は、閣下お一人のものとして登録させていただきます」
「ああ。違約金は、俺の命だ」
執務室の外では、王宮からの使者が冷たい風に吹かれて待っている。
だが、この部屋の耐震強度は、今、大陸のどこよりも高く保たれていた。




