第六話:崩落する王太子の離宮
遠く離れた王都から、一通の報告書が届いた。
私は北の大地に建設した温泉施設の点検を終え、アレクセイ閣下の執務室でそれを受け取った。
以前、あの煌びやかな夜会で全ての関係を断ち切った際、私が予測していた通りの結果が記されている。
報告書を持つ指先に、冷たい冬の風が吹き抜けた。
「……王宮の東離宮が、一部崩落したそうですわ」
私の言葉に、アレクセイ閣下が書類から顔を上げた。
「崩落だと? あそこは数年前に改修したばかりのはずだ」
「ええ。ですが、あの建物はもともと地盤が弱く、私の補強魔法で辛うじて強度を保っていたのです。以前、私が管理権を返上し、維持管理の術式を完全に停止させたことを、エドワード様は軽視しすぎていました」
報告書によれば、王太子は愛妾であるリリアのために、離宮へ「真珠の間」なる豪華な増築を強行したらしい。
設計を担当したのは、王宮に新しく雇われたお抱えの魔導師たち。
彼らは建物の表面を飾る魔法には長けていたが、地下の構造計算までは頭が回らなかったようだ。
以前、私が使用権の消失を宣言し、速やかな破棄と返還を求めたはずの「古い下書き」。
エドワード様はそれらを勝手に持ち出し、あろうことか勝手に改ざんして増築の参考にしたという。
かつて私が管理権とともに引き揚げた「構造補強魔法」の術式。
それが組み込まれていない下書きなど、構造的にはただの紙屑に過ぎないというのに。
「所有権が王家にある建物に対し、管理責任者である王太子が、正当な権利のない図面を用いて構造を無視した負荷をかけた。……これは人災ですわね」
私は淡々と分析した。
かつて、私が王宮の片隅で、泥に汚れながら基礎を点検していた姿を、エドワード様は「地味で無能」と笑った。
華やかな装飾こそが王家の権威だと信じ、目に見えない「支柱」の重要性を理解しようとしなかった結果だ。
「被害は、どの程度だ?」
アレクセイ閣下が低い声で尋ねる。
「建物は全壊に近い状態ですが、幸いにもリリア様とエドワード様はかすり傷で済んだようです。ただし、王家の内廷費から出された莫大な増築資金は、瓦礫とともに消え去りました。……国庫からの補填も、国民の反発を恐れた国王陛下が拒否されたとか」
「自業自得だな」
アレクセイ閣下は短く吐き捨て、私の手から報告書を取った。
そして、その鋭い瞳で私をじっと見つめる。
「イリス。貴様が去った後、あちらの地盤は崩れ、こちらの地盤は強固になった。……貴様という『財産』を奪い合った結果がこれだ」
「財産だなんて。私はただ、自分の仕事に責任を持ちたかっただけですわ」
「その責任感が、この北の民を救っている。……あんな愚か者のところに、二度と帰すつもりはない」
アレクセイ閣下の手が、私の肩を力強く掴んだ。
かつて、エドワード様から「代わりなどいくらでもいる」と言われたとき、私の心に走った亀裂。
それが、アレクセイ閣下の言葉によって、温かな魔導コンクリートで埋められていくような感覚がした。
だが、王都の混乱はこれで終わりではない。
責任を追及され、追い詰められたエドワード様は、今度は「設計者の過失」を主張し始めているという。
私が以前に提供していた魔法が、最初から不完全だったと言い張るつもりなのだろう。
「構造計算にミスはございません。ミスをしたのは、人を、権利を、そして技術を軽んじたエドワード様ご自身です」
私は銀色の円盤を握り締めた。
かつて王宮の図書室で、誰にも見られずに描き上げた無数の図面たち。
それらの所有権とプライドは、誰にも渡さない。
「閣下、まもなく王都から正式な『修繕命令』が届くでしょう。……ですが、私はもう、王家の召使いではありませんわ」
「当然だ。貴様は俺の……いや、この領地になくてはならない設計士だ」
アレクセイ閣下の言葉が、心地よく響く。
外では、新しく完成した魔法の長屋から、領民たちの笑い声が聞こえてくる。
私はもう、砂上の楼閣を支えるつもりはない。
今、私が立っているのは、私自身の力で固めた、揺るぎない大地の上なのだから。




