第三話:氷の城の魔導床暖房
カチ、カチ、と小気味よい音が石造りの廊下に響く。
私は銀色の円盤――かつて王宮の空調を制御し、今は私の私物である魔導ツールを手に、城館の地下室を検分していた。
隣に立つアレクセイ閣下は、不機嫌そうに腕を組んでいる。
彼の吐く息は白く、この場所が「居住空間」としての機能を果たしていないことを物語っていた。
「閣下、この城の基礎となっている石材は、魔導コンクリートの一種ですわね。魔力を通しやすく、形状固定に優れていますが、断熱性能が致命的に不足しています」
「……そんな専門用語はいい。どうにかできるのか」
「もちろんです。無から有は作れませんが、既存の物質の『性質変化』は私の得意分野ですから」
私は床に膝をつき、冷え切った石材に手を触れた。
以前、あの煌びやかなパーティー会場で「構造補強魔法」を解除したときとは逆の手順。
今度は、冷え切った素材の中に「熱を蓄え、循環させる道」を設計していく。
私は掌から魔力を流し込んだ。
円盤状のデバイスが淡く光り、石材の分子構造を一時的に組み替えていく。
石の中に、髪の毛よりも細い「魔導熱管」を網の目のように巡らせる設計図が、私の脳内に鮮明に浮かび上がる。
「性質変化、開始。形状固定、永続化」
囁くような詠唱とともに、石の床がわずかに脈打った。
かつて王宮の離宮で、華やかさのために浪費されていた熱エネルギー。
それを今度は、極寒の地で「生きるための温もり」へと転換する。
「……っ、何だ、これは」
アレクセイ閣下が声を漏らした。
凍てついていた地下室の空気が、足元からじわじわと和らいでいく。
冷気は物理的に遮断され、石材そのものが熱源へと変わったのだ。
「これが『魔導床暖房』です。城の廃熱を回収し、この管を通じて循環させます。魔法の持続時間は、私が設計した魔力回路の精密さに依存しますが……。この構造なら、外部からの魔力供給なしで百年は維持できるでしょう」
私は立ち上がり、埃を払った。
少しだけ魔力を使い、視界がわずかに揺れる。
無理をしたつもりはなかったが、この寒さの中での精密作業は、予想以上に体力を削るらしい。
「おい、大丈夫か」
倒れそうになった私の肩を、アレクセイ閣下の大きな手が支えた。
厚い手袋越しでも伝わる、確かな体温。
彼は私の顔を覗き込み、その鋭い瞳に隠しきれない驚愕を浮かべていた。
「貴様……たった一人で、この短時間に城の熱循環を書き換えたというのか。王宮の魔導師たちが数人がかりで一ヶ月かける仕事を」
「専門ですから。それに、これは私の知的成果物を用いた独自の術式です。他の方には真似できませんわ」
私は彼の腕を借りて、何とか姿勢を正した。
すると、アレクセイ閣下はそのまま私の右手を取り、まじまじと見つめた。
建築魔法を操るために酷使され、指先には小さなタコができている、可愛げのない私の手を。
「……あんな無能な王太子のために、この手を使わせていたのか。あいつは、自分が何を捨てたのか全く理解していなかったようだな」
「それは、私にとってもう終わった契約ですので」
「そうだな。だが、今の契約主は俺だ」
アレクセイ閣下の指に、力がこもる。
それは、かつてエドワード様が私に向けた、義務的で冷ややかな接触とは全く異なるものだった。
熱を帯びた、深い敬意と、逃がさないという強い執着。
「これが必要だった。この温もりがあれば、冬を越せる民が増える。イリス、貴様をここに呼んだのは正解だったようだ」
「光栄です、閣下」
顔を背けた彼の、無骨な指にこもった力が、その言葉以上の執着を物語っていた。
握られた私の手は、しばらくの間、放されることはなかった。
足元から伝わる柔らかな暖かさが、二人の間に漂う冷気を溶かしていく。
「まずは、閣下の寝室も設計し直しましょう。冷えた地盤では、良い統治はできませんから」
「……ふん。好きにしろ」
アレクセイは不器用な肯定を返したが、その視線は私の手元から離れなかった。
まだ、城の一画を直したに過ぎない。
だが、この温もりが城全体、そして領地全体に広がったとき。
私は本当の意味で、この国に反撃を突きつけられるのだと確信した。




