第ニ話:極寒の地への再就職
吹き荒ぶ風が、馬車の隙間から容赦なく入り込んでくる。
王都を発ってから数日。
車窓から見える景色は、穏やかな緑から、命を拒絶するような白一色の世界へと変わっていた。
ここが大陸の北端、ザハロフ辺境伯領だ。
私は膝の上で、銀色の円盤をそっと撫でた。
あの夜、王宮の機能を停止させた際に手元に残した、私だけの魔導ツール。
王宮の設備を管理するためのアクセス権はすでに返上したが、このデバイス自体と、その中に蓄積された私独自の術式構成図は、私個人の知的成果物である。
「お嬢様、本当によろしいのですか? このような死の地で……」
御者が不安そうに声を上げる。
彼はランドール侯爵家で長く雇われているベテランだが、その声は恐怖で震えていた。
私は毛布にくるまりながら、冷静に答えた。
「ええ。装飾ばかりが豪華な中央の建物より、私はこの厳しい環境に耐えうる真実の構造を求めているのです」
馬車が止まった。
目の前に現れたのは、巨大な石造りの城館だ。
威厳はある。だが、建築士としての私の目には、あまりにも「熱効率」が悪い。
石材は冷気を蓄え、窓からは容赦なく熱が逃げていくだろう。
私は馬車を降り、凍てつく大地に足を踏み出した。
肺に突き刺さるような冷気。
かつて華やかなパーティー会場で感じた、あの契約解除の瞬間の冷え込みなど、比較にもならない。
「ランドール侯爵令嬢、イリス・フォン・ランドールです。辺境伯閣下に拝謁を」
重厚な扉が開く。
出迎えたのは、黒い軍服を纏った大柄な男だった。
ザハロフ辺境伯、アレクセイ。
その瞳は、北の海のように冷たく、鋭い。
「……王都を追われた悪役令嬢が、何の用だ」
アレクセイの声は低く、地響きのように響いた。
挨拶もそこそこに、彼は私を値踏みするように睨む。
中央の貴族たちのように、お世辞や社交辞令を述べるつもりは一切ないらしい。
その合理的な態度は、私にとって好ましかった。
「再就職の売り込みに参りました。閣下、この城館の維持費……特に燃料費に頭を悩ませておいでではありませんか?」
アレクセイの眉が、わずかに動いた。
「私の専門は魔導建築学。特に素材の性質変化と形状固定による、高度な断熱と熱循環の構築です」
「……あのような、見せかけだけの王宮を造った女がか」
「あれは王家の要望通りの『装飾重視』の設計でした。私は依頼主のオーダーに従ったまでです。そして現在、あの建物との管理契約は完全に解消されております。私は今、完全にフリーの技術者です」
私は懐から、一枚の羊皮紙を取り出した。
それは王家の紋章が入った正式な公文書。
婚約解消に伴う全業務の契約解除通知だ。
この情報の所有権は私にあり、私の実績が「無効」ではないことを証明する唯一の手段。
アレクセイは無言でそれを受け取り、一瞥した。
そして、彼は鼻で笑った。
「面白い。だが、ここは王都とは違う。魔法の華やかさで腹は膨れず、冬は等しく命を奪う。中央の温室で育った令嬢に、何ができる」
「温室ではなく、強固な避難所を造れます。私はこの北国を、誰もが凍えずに済む魔法都市へと作り替えるために来ました」
私は彼の瞳を真っ直ぐに見返した。
私の行動原理は、常に明確だ。
安全で快適な空間の創造。
そのためなら、この荒れ狂う冬すらも設計の材料にしてみせる。
アレクセイは数秒の間、私を沈黙のまま見つめていた。
やがて、彼は重い口を開いた。
「いいだろう。貴様が単なる口先だけの女か、それとも狂人か、確かめてやる。だが、警告しておく」
アレクセイが私に一歩近づいた。
その巨体から放たれる威圧感は、地盤の緩みを知らぬ強固な支柱のようだ。
「俺の領地は、命がけでなければ住めない場所だ。口先でないことを、明日からの仕事で証明してみせろ。貴様が造るものが、民を一人でも救えなかったその時、貴様には責任を取ってもらう」
「契約、成立ですわね。閣下」
私は微笑んだ。
恐怖はない。むしろ、新しい設計図を描ける喜びで、指先が熱くなるのを感じていた。
この凍てつく北の大地。
ここが私の、新しい現場だ。




