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紅葉-くれは-  作者: 菊池まりな


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第98話 足跡が消えた朝

美奈は、気づけば祐真にもたれかかったまま眠っていた。

 小屋の隙間から差し込む朝の光で、ようやく夜が明けたのだと知る。


 祐真はほとんど眠れなかったようで、目の下に深いクマをつくりながらも、美奈が起きたのを見て小さく息をついた。


「……大丈夫か、美奈」


 声は疲れきっていたが、確かな優しさがあった。


「……夢じゃなかったですよね……あの声」


「ああ。俺も聞いた」


 祐真は板で塞いでいた入口をそっと外し、外の様子を窺う。

 朝の光が射し込むと、あの夜の気配は嘘のように霧散していった。


 ──しかし。


「……なんで?」


 祐真が眉をひそめた。

 美奈が外へ出ると、彼の視線の先には異様な光景が広がっていた。


 足跡が、一つもない。


 昨夜、確かに小屋の周囲をぐるぐると歩き回っていた不気味な足音。

 土が柔らかい場所も多く、踏み跡が残っているはずだった。


 なのに。


「……何も、残っていません……無風だったのに」


「あいつの跡だけじゃない。俺たちの足跡まで……全部消えてる」


 美奈は思わず祐真の腕にしがみついた。


「そんな……どうして……」


「誰かが意図的に消したのか……だとしたら、昨夜のうちに何者かが近くまで来ていたことになる」


 祐真は森の奥の方を警戒するように見つめる。

 木々が揺れ、風が動く──

 それだけなのに、どこか“こちらを見ている”気配が濃い。


 そして、美奈は気づいてしまった。


「……祐真さん。見てください」


 指差したのは、小屋から少し離れたところ。

 葉が落ちて土が露出した地面に、ただ一つだけ跡が残っていた。


 小さな、裸足の足跡。


 それは森の奥へ続き、湿った土の中にくっきりと刻まれている。

 子どものものだ。

 または──


「……美桜ちゃん?」

 美奈は口を押さえた。


 だが祐真の表情は、さらに鋭く強張る。


「いや……位置がおかしい」


「位置……?」


「小屋からの距離……あの子が歩いたにしては近すぎる。

 まるで──昨夜、俺たちのすぐそばにいたみたいだ」


 美奈の背筋が凍る。


(じゃあ……あの声……“返して”って言ったのは……)


 子ども。

 20年前に消えた美桜。


 しかし──それだけでは終わらなかった。


 祐真は足跡の端をしゃがんで見つめ、手で軽く触れた。

 指先についた土を見て、息を呑む。


「……美奈。これは……まだ湿っている。乾いていない。

 つまり──」


 足跡は昨夜ついたばかり。


 美奈は震えながら言った。


「じゃあ……美桜ちゃんは、生きて……?」


 しかし祐真は、首を横に振った。


「……違う。生きていたら……こんな足跡にはならない」


「え……?」


「土の沈み込みが浅すぎる。軽すぎる。

 これは……“重さのない足跡”だ」


 美奈は思わず後ずさる。


「重さの……ない……?」


「生きている人間じゃない。

 触れられるけど重さのない……あれは、そういう“存在”なんだ」


 確信を持った声ではなかった。

 だが、美奈には祐真が昨夜の出来事をごまかしたり、否定したりする余裕がないほど追い詰められているのが分かった。


 二人が凍りついたように立ち尽くしていると──


 茂みの奥から、誰かが駆け寄ってきた。


「美奈! 祐真さん!」


 春香だった。

 息を切らし、顔は青ざめ、手には何か布を握りしめている。


「春香さん……どうしてここに?」


「……見つけたの……家の前に落ちてたの……紅葉の……っ」


 春香が差し出した布を見た瞬間、美奈の目が大きく見開かれた。


「それ……紅葉が、秋祭りの夜に持っていた──“巾着”……!」


 紅葉が失踪した夜、屋台で買った小さな赤い巾着。

 中にはお守りが入っていたはずだ。


 春香の手の震えは止まらず、祐真がゆっくり受け取る。


 巾着は──泥で汚れていた。


 しかも。


 泥は、ついさっき触れたかのように湿っている。


 祐真は巾着の裏側を見て、凍りついた。


 そこに、濡れた小さな手形がついていた。


「……この手形……サイズが……」


 美奈の声が震える。


「紅葉……じゃない」


 春香は、喉をかきむしるように叫んだ。


「美桜……なの……?

 あなた……また……私の子を……連れていったの……?」


 森の奥から、風が吹いた。


 まるで返事をするかのように。


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