第93話 森が喰う夜
森の中は、夜の帳が完全に落ちていた。
葉の隙間からこぼれる月明かりが、まるで血のように赤く滲んでいる。
氷川美奈は、スマホのライトを頼りに細い獣道を進んでいた。
春香と祐真が地下から戻らないことが気がかりで、ひとりで探しに来たのだ。
けれど、歩くほどに空気が変わる。──重く、湿って、息苦しい。
足元の落ち葉が踏みしめるたびに、奇妙な“ずれた音”が返ってきた。
まるで地面の下に、別の何かが息づいているようだった。
「くれは……?」
小さく名前を呼ぶ。
その瞬間、森の奥から“カラ……ン”と鈴の音が返ってきた。
──遠く、しかし確かに、紅葉の髪飾りの音だ。
美奈は息を呑んで走り出した。
木々の合間を抜けると、小さな空き地が広がっていた。
そこに、黒く焦げたような地面がある。
かつて、秋祭りの夜に火が焚かれた場所──。
あの夜、紅葉が姿を消したのも、ここだった。
足を止めると、焦げ跡の中央に、白い布の切れ端が落ちているのが見えた。
拾い上げると、それは紅葉の制服の袖口の一部だった。
だが、その端には茶色く乾いた泥と、赤黒い染みが混ざっている。
美奈の喉がきゅっと鳴った。
と、その時、足元から“かさり”と音がした。
「……え?」
地面の一部が、わずかに動いた。
土が呼吸しているように、ゆっくりと盛り上がり、沈む。
美奈は後ずさる。
だが、すぐにその“呼吸”の正体が見えた。
──そこには、誰かの手があった。
細く、土に爪を立てた小さな手。
今にも何かを掴もうとするように、震えながら地上を探っている。
「……くれはっ!?」
叫んで駆け寄る。
だが、掘り返した瞬間、手はすっと引っ込んだ。
同時に、足元の焦げ跡から赤黒い液体が滲み出し、土を染めていく。
それは血のようでもあり、腐った水のようでもある。
美奈は後ずさりながら、スマホを構えた。
画面の光がかすかに照らし出したのは、焦げた地面の下に埋まる“何かの形”。
──人の顔。
目を閉じたまま、微笑んでいる“少女の顔”。
それを見た瞬間、胸の奥に焼け付くような痛みが走った。
記憶の底で、誰かの声が囁く。
> 「美奈、もし私がいなくなったら、森の中を探して。
> でもね──“下”は見ちゃだめだよ」
──紅葉の声だ。
美奈の唇が震える。
けれど、逃げるよりも、確かめなければならないという衝動のほうが強かった。
その手で、もう一度、焦げた土を掻き分けようとした──その時だった。
「美奈!」
後ろから春香の叫び声が響いた。
振り返ると、祐真と春香が懐中電灯を掲げて駆け寄ってくる。
祐真は彼女の前に飛び込み、手を掴んだ。
「離れろ! そこは──」
言い終える前に、地面が“ズズ……”と沈み始めた。
焦げた土の下に穴があり、三人とも飲み込まれそうになる。
祐真が美奈を抱えて後退し、なんとか崩落を逃れる。
だが、ライトの先、崩れた穴の底には──
白い布に包まれた、もう一つの“誰か”。
そして、その胸元には、赤い鈴が二つ、揺れていた。




