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紅葉-くれは-  作者: 菊池まりな


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第88話 森が覚えている

少女の姿は、霧の中で輪郭を揺らめかせていた。

 その足元から漂う白い靄が、春香たちの足首を絡め取るように広がっていく。


 「紅葉……? 紅葉なの?」

 春香の声は震え、喉が焼けるほど乾いていた。

 答えはない。ただ、少女はゆっくりと微笑み、森の奥へと歩き出す。


 ──チリン。チリン。


 鈴の音が、呼吸のように等間隔で響く。

 そのたびに、春香の胸の奥で何かが疼いた。

 この音を、彼女は知っている。

 二十年前のあの夜にも、確かに──この音を聞いた。


 「待って!」

 春香は駆け出した。

 祐真と美奈が慌てて追いかける。


 霧が濃くなる。木々の間を抜けるたびに、空気が冷たく変わる。

 まるで時間そのものが巻き戻っているようだった。


 「おかしい……。方角が、違う」

 祐真が低くつぶやく。

 GPSの端末は反応せず、コンパスの針も狂っていた。

 森が、彼らを“閉じ込めている”。


 「ここ……どこ?」

 美奈の声がかすれる。

 そこには見覚えのない空間が広がっていた。


 木々の根が絡み合い、中央には古びた祠があった。

 祠の前には、小さな木箱。

 その上には、錆びついた鈴と──折り紙のような紙片が置かれている。


 祐真が慎重に拾い上げると、紙は湿気でふやけていた。

 “ミオ”と、震えるような文字で書かれている。


 「……美桜だ」

 春香の膝が崩れた。

 手を震わせながら木箱を開ける。


 中には、子どもの髪束と、小さな靴の片方。

 どちらも泥にまみれ、土の匂いがした。


 「二十年前……この場所で……?」

 祐真がつぶやく。

 脳裏に、あの夜の記憶がフラッシュのように蘇る。


 ──走る子どもたちの声。

 ──森の奥から響く鈴の音。

 ──そして、美桜の小さな手が、何かに引かれて消えた瞬間。


 「俺は……あのとき、見たんだ」

 祐真の声は掠れていた。

 「“誰か”が、美桜の手を掴んでいた。子どもじゃなかった……もっと、冷たい何かが」


 春香が顔を上げる。

 「それが、今……紅葉を……?」


 その言葉に応えるように、祠の奥で小枝が折れる音がした。

 祐真がライトを向ける。


 そこに──紅葉の姿があった。


 だが、その背中には、誰かの“手”が絡みついていた。

 白く細い指。無数に伸び、紅葉の肩から首筋へと這い上がる。


 「紅葉っ!!」

 春香の叫びと同時に、霧が一斉にざわめいた。

 木々が軋み、風が逆流する。


 ──返して。

 ──ひとりじゃ、いや。


 少女の声が、森全体に反響した。

 美奈が両耳を塞ぐ。

 祐真が叫んだ。

 「下がれ! 触れるな!!」


 だが春香は、一歩、また一歩と紅葉へ近づいていく。

 その手を伸ばした瞬間、祠の中から黒い影が吹き上がった。


 それは風ではなく──“怨念の形”だった。


 闇が三人を包み込む中、祐真は確かに見た。

 祠の奥の壁に、古い墨で書かれた文字。


 「この森は、母を喰らう」


 チリン──。


 最後に鳴った鈴の音が、血のように赤く響いた。


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