第82話 森が囁く夜
森は、夜を抱きしめていた。
ざわめく枝の音すら、どこか人の声のように聞こえる。
春香は足元の落ち葉を踏みしめながら、懐中電灯を握りしめた。
隣を歩く美奈の息は、かすかに震えている。
祐真は前を歩き、慎重にあたりを見渡していた。
「……この辺り、紅葉と最後に来た場所だよね?」
祐真が声を落とす。
美奈はうなずきながら唇を噛んだ。
「はい。秋祭りの夜、ここで──“誰かの声”が聞こえたって……紅葉、そう言ってました。」
春香の胸がざわめく。
その言葉は、二十年前、美桜がいなくなったときにも聞いた記憶がある。
“呼ばれたの”──あのとき、3歳の娘が最後に言った言葉だ。
「……呼ばれた?」
春香が思わず呟いたその瞬間、足元で何かが“軋む”音を立てた。
祐真がライトを向ける。
そこだけ土が黒ずみ、掘り返された跡が残っていた。
草が不自然に踏み倒され、つい先日、誰かがここに立っていたことを示している。
「ここ……誰かが出入りしてる」
美奈の声が震えた。
祐真がしゃがみこみ、手袋をはめて地面を撫でる。
「この土、柔らかいな。……雨で崩れた跡じゃない。人為的だ。」
「紅葉が、ここに──?」
春香の問いに、祐真は答えず、ただ静かに辺りを見回した。
夜の森は音を呑み込み、息づくように沈黙している。
その沈黙の中で──
チリン……チリン……。
風もないのに、鈴の音が響いた。
美奈がはっと顔を上げる。
「聞こえました?……鈴の音……」
春香の脳裏に浮かぶのは、紅葉の後ろ髪を結ぶ小さな髪飾り。
あの夜、確かに付けて出て行った──けれど、まだ戻ってきていない。
祐真が声を潜める。
「この森、20年前も“鈴の音がした”って証言がある。……あの時も、美桜ちゃんの行方はわからなかった。」
春香は顔色を失った。
二十年前の夜、確かに聞こえた。娘の笑い声に混じって、微かに鳴った鈴の音。
それは、森に呼ばれる合図だったのだろうか。
「……祐真さん、やめましょう。これ以上、進んだら……」
美奈の声が震える。
だが、祐真はライトを強く照らした。
「待って。何かある」
光の先、掘り返された土の中に、錆びた鉄の取っ手が見えた。
半分ほど埋もれた金属の蓋。まるで、誰かが隠すように埋めた箱だ。
春香は声を失った。
その場所──まさに、二十年前に美桜が消えた場所と重なっていた。
「……どうして、またここなの」
チリン……チリン……。
風もないのに、音だけが鳴り続ける。
祐真の手が、ゆっくりとその取っ手に伸びた。
そして、土を払いながら呟いた。
「これは……“誰か”が戻ってきた証拠だ」
美奈は息を呑み、春香の手を強く握った。
森の奥から、確かに“何か”が彼らを見ていた。




