第72話 沈黙の村
橘春香と氷川美奈が森で“それ”を見つけた翌朝、村は不気味な静けさに包まれていた。
カラスの鳴き声も、子どもの声もない。まるで、村全体が息を潜めているようだった。
駐在所の前で、一ノ瀬祐真は深くため息をついた。
夜明け前から通報を受け、現場を確認したが、あの穴も、骨も、浴衣の布も――跡形もなく消えていたのだ。
代わりに残っていたのは、土の上に散らばった紅い枯葉と、泥に残る春香と美奈の足跡だけ。
「……そんなはずない。確かに、ここで掘った跡があったのに」
祐真は写真を撮ったスマートフォンの画面を開く。だがそこにも、異常があった。
現場写真はすべて“黒い靄”に覆われ、何も映っていない。まるでレンズそのものが、何かを拒んだかのようだった。
そのとき、背後から声がした。
「一ノ瀬さん……あんまり、深入りしんほうがええで」
声の主は、地元の古老・田嶋だった。
村のことを誰よりも知る男であり、かつて祐真が子どものころよく世話になった人物だ。
だが今の田嶋の目は、どこか怯えていた。
「田嶋さん……どういう意味ですか?」
「“あれ”は昔からあるもんや。掘り返したら、また誰かが呼ばれる」
「呼ばれる……?」
「紅葉ちゃんだけやない。昔も何人も、森に呼ばれて消えた。あんた、忘れとるやろ。一ノ瀬祐真、お前も──あのとき、そこにおったやないか」
その言葉に、祐真の心臓が凍りついた。
頭の奥で、記憶の断片がざわつく。
20年前、秋祭りの日。森の奥で笑う子どもたち。紅い着物。呼びかける声。
そして──消えた、小さな背中。
「……美桜……?」
呟いた瞬間、田嶋はハッとしたように祐真を見た。
「やっぱり、思い出したか。……ええか、あの森はな、“紅葉さま”のものなんや。掘り返したら、祟りがくる。誰も、あそこには触れたらいかん」
祐真は言葉を失った。
“紅葉さま”──それは、祐真が子どものころ、村の年寄りたちが語っていた古い伝承だった。
紅葉が舞う頃、森の奥で“神隠し”が起きる。呼ばれた者は戻らず、森の主の一部になるという。
「……それでも、放っておけません」
祐真は立ち上がった。
「もう、誰も消えてはいけないんです。紅葉ちゃんも、美桜も……これ以上、犠牲を出すわけには」
だが、田嶋は首を振る。
「犠牲を出さへん方法は一つや。『知らんふり』をすることや。一ノ瀬、あんたもよう考えや。森に踏み込んだ者は、みな帰ってこぉへん」
その言葉を背に、祐真は駐在所をあとにした。
胸の奥で、何かがざわめいている。
森の奥で見た“紅葉の笑顔”が、どうしても頭から離れない。
そして、あの夜、美桜が最後に言った言葉が──脳裏をよぎった。
「ねぇ、ゆうまくん。あの声、聞こえる? 呼んでるの、私たちの名前」
祐真は顔を上げた。
遠く、森の方角に紅い光が瞬いた気がした。
まるで、誰かが──再び“扉”を開こうとしているように。




