表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅葉-くれは-  作者: 菊池まりな


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

65/154

第64話 紅葉のノート

夜は静まり返っていた。

 森から戻った春香たちは、それぞれに疲弊しきっていた。

 美奈は居間のソファに横たわり、祐真は窓際で何度も煙草に火をつけようとしては、結局ポケットに戻した。


 春香は、紅葉の部屋の扉を開けた。

 部屋には、かすかにシャンプーの香りが残っていた。

 机の上には、紅葉が使っていたスケッチブックと、開きかけのノートが置かれている。


 彼女はそれをそっと手に取った。


 ページの最初には、整った文字で日付が記されていた。

 > 10月2日 秋祭りまであと5日。

 > 今年は美奈と一緒に行けるかな。


 春香は微笑みかけた。紅葉らしい、他愛もない日記。

 だが、次のページをめくった瞬間、その笑みは凍りついた。


 > 10月5日 また夢を見た。

 > 森の中で、小さな女の子が手を振っていた。

 > 名前は……たぶん、「みお」。


 春香の指が震える。

 「美桜……?」思わず声が漏れた。


 さらにページをめくる。

 > 10月6日 声がした。

 > “紅葉、来て”

 > “あなたは、私のかわり”


 字が乱れていた。線が震え、インクが滲んでいる。

 紅葉が怯えながら書いたのは明らかだった。


 そこへ、背後から足音。

 美奈が目を覚まし、静かに部屋に入ってきた。


 「……それ、紅葉の?」

 「ええ。でも──これを見て」


 春香がノートを差し出すと、美奈は青ざめた顔でページをめくった。

 彼女の指が止まる。


 > 10月7日 “呼ばれた”

 > でも行かなくちゃ。

 > だって、あの人が言ったんだ。

 > “森の下に、ほんとうの名前がある”


 「……“ほんとうの名前”?」

 美奈が声を潜めてつぶやく。


 春香はしばらく黙ったあと、机の引き出しを開けた。

 中には、封を切られていない白い封筒が入っていた。宛名は“橘春香様”。

 紅葉の筆跡ではない。


 封を開けると、中から数枚の紙と、古びた写真が出てきた。


 一枚目の紙には、見覚えのある記号のようなもの──森の鳥居の札に描かれていた“朱の模様”が描かれていた。

 その下に、震えるような文字でこう書かれていた。


 > 呼ばれた子は、名を忘れる。

 > 名を呼ぶ者は、記憶を失う。

 > それが、“境界の代償”。


 写真の中には、子どもたちが数人、森の奥の祠の前で並んでいる。

 その中央には、見間違うはずのない小さな少女──橘美桜がいた。

 隣に立つ少年の顔を見た瞬間、春香の息が止まる。


 ──一ノ瀬祐真。


 幼い彼が、笑っていた。


 「どうして……祐真さんがここに……?」

 美奈が声を詰まらせる。


 春香の頭の中で、すべてが繋がりかけていた。

 二十年前の森。

 美桜の失踪。

 紅葉の夢。

 “呼ばれた”という言葉。


 そのとき、部屋の照明が一瞬だけ点滅した。

 窓の外、真っ暗な夜の中に──人影が立っていた。


 白いワンピース。長い髪。

 そして、光に照らされたその顔は、見覚えのある少女。


 紅葉。


 だが、その瞳は深い闇のように沈んでいた。

 紅葉は唇をゆっくりと動かした。


 > 「……お母さん、もう“呼ばないで”」


 声は聞こえなかった。

 それでも、はっきりと唇がそう言ったことを、春香は理解していた。


 次の瞬間、部屋の電気が落ち、闇が一気に押し寄せた。

 そして、階下から祐真の叫び声が響く。


 「春香さんっ! 出てください! “森の封印”が──」


 彼の言葉が最後まで届く前に、家中の時計が一斉に止まった。


 午前2時44分。


 静寂。

 その中で、春香の手の中のノートだけが、かすかに熱を帯びていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ