第55話 紅葉祭の真実
夜の村は、異様な静けさに包まれていた。
秋祭りの後片づけが終わったはずの境内に、紙灯籠がいくつも残され、風もないのに小さく揺れている。
橘春香は、震える指先を押さえながら、寺の本堂の戸を叩いた。
「古沢さん……お願い、話してください。あの“祈祷の間”は何なんですか。紅葉に、何が……」
戸が軋み、古沢住職が現れた。
白髪に覆われた額の皺が、灯の陰影でさらに深く見える。
住職は三人をゆっくりと見渡し、ため息のような声を漏らした。
「……お前たちは、見てしまったんだな。湖を」
春香は何も言わず頷いた。
美奈が喉の奥で唾を飲み込み、勇気を振り絞るように口を開いた。
「紅葉は……湖の中にいました。姿が……見えたんです」
「そうか」
古沢の声が小さく震えた。
「それなら、もう時間がない」
祐真が眉をひそめた。
「どういう意味ですか。──時間がないって」
住職は本堂の奥から古びた木箱を取り出し、ゆっくりと蓋を開けた。
中には一冊の黒ずんだ和綴じの書物が入っていた。
表紙には、かすれた筆文字でこう書かれていた。
『紅葉祭記』
春香は息を呑んだ。
祭りの由来を記す村の古文書。だが、そこには表向きの祝いではなく、“封印”の儀式としての記録が刻まれていた。
「紅葉祭──あれは、森に宿る“還り神”を鎮めるための祭事だ」
古沢は低く言った。
「この地には昔、“紅葉の神”と呼ばれる存在がいた。生贄を求め、人を森へ誘う。
選ばれたのは、いつも“紅葉の印”を持つ子どもだ」
「紅葉の……印?」
美奈がつぶやいた。
古沢は頷く。
「右耳の裏、葉の形をした痣。紅葉ちゃんにもあったはずだ」
春香は、両手で口を覆った。
──確かにあった。
生まれたときから、紅葉の右耳の裏には、淡い紅色の痣があったのだ。
まるで名前を刻まれたように。
「じゃあ……あの子は、“選ばれて”生まれたっていうの?」
春香の声が震える。
古沢は静かに目を閉じた。
「否。呼ばれて、生まれたのだ」
その言葉に、祐真が顔を上げた。
何かが、心の奥底で軋んだ。
まるで長年封じ込めていた記憶が、誰かに無理やりこじ開けられるような感覚。
──20年前、秋の終わり。
幼い祐真は、美桜と、他の子どもたちと森で遊んでいた。
木漏れ日の中に、ふと聞こえた声。
「おいで……」
振り返ると、美桜が笑っていた。
次の瞬間、彼女の足元の影が、地面に吸い込まれるように揺らいだ。
祐真は叫び、手を伸ばしたが、指先が届いたのは空気だけだった。
そのときの冷たさ、声、風の音──全部が、今また蘇る。
「……あのとき、俺は見たんです」
祐真の声が掠れる。
「影の中に、紅い葉が舞ってた。……まるで、誰かが彼女を呼んでるみたいに」
古沢がゆっくりと頷いた。
「それが、“還り神”だ。
お前も……呼ばれた一人なのだよ」
祐真は息を詰まらせた。
春香が彼の顔を見つめる。
「じゃあ……紅葉も、同じように──」
そのとき、本堂の灯がふっと揺れた。
美奈が驚いて振り向く。
境内の方から、かすかな鈴の音が聞こえた。
──チリン、チリン……。
夜風に乗って流れるその音は、あの秋祭りの日と同じだった。
春香は立ち尽くしたまま、震える声でつぶやいた。
「紅葉……あの子が、呼んでるの?」
鈴の音が、一瞬だけ止んだ。
そして次の瞬間、闇の向こうから子どもの声が響いた。
「おかあさん──もう、迎えが来たよ」
本堂の扉が、音もなく開いた。




