第46話 還れぬ光
──白い。
光が、やけに白い。
春香はまぶたの裏でそれを感じていた。
けれど、すぐにそれが“蛍光灯の白”ではないことに気づく。
やわらかく、冷たく、どこか湿っている光だった。
ゆっくりと目を開ける。
視界に広がったのは、研究室の天井……ではなかった。
古い木の梁、土壁のような茶色。
床に転がるはずのノートも、机も、消えている。
「……ここ、どこ……?」
声がかすれる。
隣で、美奈が目を覚ました。
蒼白な顔であたりを見渡し、春香の腕をつかむ。
「は、春香さん……ここ、森の中じゃないですよね……?」
春香は答えられなかった。
まるでラボが“そのまま別の場所にすり替わった”ようだった。
壁にかかっている古い掛け軸。
そこには、墨で「還」と一文字だけが書かれている。
「──還れぬ者、って……ことなの?」
美奈の小さな声が、やけに響いた。
そのとき、外から誰かの足音が近づいてきた。
春香が身構えると、扉が軋みを立てて開く。
光の中に立っていたのは、祐真だった。
「橘さん!氷川さん! 無事ですか!」
祐真の姿を見た瞬間、春香の胸の奥に安堵が広がった。
だが、同時に、彼の表情に“何か”を感じ取る。
顔色が悪く、目の奥がどこか焦点を結んでいない。
「ここ……どこなの、祐真さん?」
「わからない。ラボに入ったときには、誰もいなくて──気づいたら、ここにいたんです」
祐真の足元を見ると、床には落ち葉が散っていた。
紅い葉──紅葉。
それはラボにはなかったはずのものだった。
春香がそれを拾い上げると、葉の裏に黒い墨のような文字が滲んでいた。
> “みつけて”
「紅葉の……字?」
美奈の声が震える。
「ねぇ、春香さん…あたし、あの夜……紅葉が言ってたんです。“もし、私が消えたら、探しに来ないでね”って……」
春香は息を呑んだ。
美奈の告白が、空気を一気に冷たくした。
「どういうこと……?」
「でも……そのあと、こうも言ったんです。
“どうせ、みんな呼ばれるから”って……」
部屋の中の灯が、一瞬ふっと消えた。
暗闇のなか、祐真の背後の障子に、淡い影が浮かぶ。
それは少女の輪郭をしていた。
春香が思わず名を呼ぶ。
「……紅葉?」
だが、影は静かに微笑むと、森の方へと背を向けた。
その輪郭が溶けて消えると同時に、部屋の灯りが戻る。
祐真が息を呑み、震える声で呟いた。
「橘さん……この村で消えた子どもたち、全員──橘さんのお子さんの“美桜”ちゃんと同じ年齢くらいの時に呼ばれていたんです。」
春香と美奈は、互いに顔を見合わせた。
その瞬間、床下からかすかな囁き声が響いた。
> 「──みつけて。みつけて。みつけて。」
祐真は足元にライトを向けた。
床の隙間から覗くのは、土でも虫でもない。
そこには、小さな人の手のようなものが、こちらに向かって伸びていた。
春香が悲鳴を上げた。
美奈がその手をつかもうとした瞬間、祐真が彼女を強く引き戻した。
「触るなッ! それは──」
叫びは、木霊のように部屋に響いた。
その瞬間、手はふっと消えた。
だが、代わりに、床の上に紅葉のノートが落ちていた。
表紙がひとりでに開き、最後のページが春香の目に映る。
> “還れぬ光を追うな”
春香はその言葉を読み、唇を震わせた。
「紅葉……あなたは、どこへ行こうとしてるの……?」
その問いに、外の森がざわめいた。
風もないのに、木々の枝が一斉に揺れた。
まるで答えるように──。




