第45話 呼び声の記憶
その夜、駐在所の無線がかすかに鳴った。
「橘家の近くで、停電発生……」
淡々とした通信の声が、祐真の胸の奥をざわつかせた。
外に出ると、村の南側が不自然に暗い。
電灯が一列、途中でぷつりと途切れている。
祐真は無意識のうちに、ハンドライトを手に取り歩き出した。
森の方角に、冷たい風が吹き抜けていく。
──秋祭りの夜。
──あの子が、呼ばれた夜も、同じ風が吹いていた。
その記憶は、長いあいだ封じていたはずだった。
祐真がまだ八歳のころ、森の入り口でいくつかの提灯を持って、近所の子どもたちと遊んでいた。
橘美桜が、小さな鈴を手に笑っていたのを覚えている。
次の瞬間──鈴の音が、ふっと遠くへ引きずられるように消えた。
そして、美桜の姿も。
そのとき、自分も確かに“誰かの声”を聞いたのだ。
けれど、その内容だけは、どうしても思い出せない。
「……呼ばれてたのは、美桜だけじゃなかったのか?」
呟いたそのとき、ラボの方向で閃光が走った。
ライトのような白ではない、淡い青の光。
そして、静寂。
祐真は走り出した。
森を抜け、研究棟の入口まで駆けつけると、扉がわずかに開いていた。
中から微かな焦げた匂いと、紙の擦れる音がした。
「橘さん!氷川さん!」
返事はない。
足元の床には、誰かが落としたノートが散らばっている。
紅葉のノートだ。
ページの隙間に、黒い影のようなものが滲んでいる。
祐真はそっと拾い上げ、ページをめくった。
そこに、見覚えのある筆跡があった。
幼い文字──「みお」。
胸の奥が一瞬、焼けるように熱くなる。
ページには、子どもの落書きのように、同じ言葉が何度も繰り返されていた。
> よばれてる
> でも こわくない
> すぐ もどるね
祐真の手が震えた。
その文字を見つめるうちに、あの夜の声が、耳の奥で蘇る。
──「いっしょにおいで。」
その声は、確かに自分にも向けられていた。
もしあのとき、一歩でも前に出ていたら─♯︎。
不意に背後で、軋む音がした。
振り向くと、廊下の先にぼんやりと人影が立っている。
春香──ではない。
長い髪の少女が、こちらを見つめていた。
紅葉……?
声を出そうとした瞬間、照明が一斉に点灯した。
その光に目を細めたとき、少女の姿はもう消えていた。
代わりに、机の上に置かれたノートがひとりでに開く。
最後のページに、新たな文字が浮かび上がっていた。
赤黒いインクで、滲むように書かれた言葉。
> ──呼ばれし理由は、まだ終わっていない。
祐真はその場に立ち尽くした。
遠くで風がうなり、ラボの窓を叩く。
外の森が、まるで彼を呼んでいるように揺れていた。




