第41話 母の直感
影が幾重にも重なり、森の中は赤黒い靄に覆われていく。
春香は美奈を庇うように腕を回しながら、じっとその中心を凝視した。
恐怖に心臓が締めつけられながらも──そこにただならぬ“気配”を感じ取っていた。
「……美奈ちゃん、あの声……聞こえる?」
「……うん。『返せ』って……でも、それだけじゃない」
二人の耳に届く囁きは、確かに不気味な合唱のようだった。
だが春香には、その中にかすかな違和感──いや、懐かしい響きが混ざっているように思えた。
「……“かあさん”って、言った……」
春香の唇が震える。
その瞬間、影の輪郭がふっと揺らぎ、幼子の姿が浮かんだ。
小さな手を伸ばし、泣き笑いのような表情でこちらを見ている。
──それは、二十年前に森で失った美桜の面影だった。
春香の胸に、母としての直感が鋭く走る。
「この影……全部が怪異なんじゃない。美桜も……紅葉も……その中に囚われている」
美奈が顔を上げる。
「紅葉も……一緒に?」
「そうよ。あの子の声も混ざってる。……母親だから分かる」
影は嘲笑うようにうねり、次々と形を変えた。
紅葉の笑顔、泣き顔、そして見知らぬ子供たちの影が幾重にも重なり合い、叫び声が空気を裂く。
古沢住職が必死に印を強める。
「橘殿、気を乱すでない! これは“境界の狭間”に引きずり込む罠だ!」
だが春香は、住職の声を振り切るように一歩前に進んだ。
「でも──この子たちは、ただの幻じゃない!」
美奈が慌てて止める。
「春香さん、危ない!」
「……紅葉は、まだ呼んでいる。『ここにいる』って──」
その言葉に、美奈の胸にもざわめきが走った。
確かに、影の中で紅葉の声だけははっきりと届く気がする。
「ミナ……大丈夫……」と、あの優しい声で。
美奈は唇を噛みしめた。
「……紅葉……本当に……?」
春香の直感が告げていた。
──紅葉も美桜も、この影の奥にいる。
だからこそ、影は母である自分たちに反応し、揺らいでいるのだ。
しかしその瞬間、影の“口”が大きく裂け、低い声が重なった。
「返せ……返せ……奪ったものを……返せ……!」
祐真の幻覚の世界では、幼い美桜が彼の手を掴み、川の向こうへ引こうとしていた。
「祐真おにいちゃん……いっしょに……」
現実と幻覚の狭間で、彼らは同時に試されていた。




