第40話 現れしもの
石碑に刻まれた紋様が赤々と脈打ち始めた。
それは灯籠の火のような安定した光ではなく、生き物の鼓動のように強弱を繰り返しながら、闇を押し広げていく。
春香は胸を締めつけられるように感じ、思わず美奈の手を握った。
美奈も怯えながら、その温もりに縋る。
「……おかしい」
古沢住職の額に冷や汗が浮かぶ。
「印は本来、静かに封を保つものだ。こんな……呼応のような反応を示すはずがない……」
その言葉と同時に、石碑の周囲の空気がゆらぎ始めた。
冷気が渦巻き、土と落ち葉が小さな竜巻のように舞い上がる。
祐真が懐中電灯を向けた瞬間、彼の目に映ったのは──
石碑の前に、輪郭の定まらない“影”が立ち現れる姿だった。
それは人の形をしていた。
だが、顔は闇に溶け、手足はゆらゆらと煙のように崩れかけている。
そして、口のような裂け目が開き、低く、湿った声がもれた。
「……かえして……」
春香は息を呑んだ。
その声は、二十年前、最後に美桜を呼んだ“声”と同じ響きだったからだ。
「……美桜……なの?」
思わず名を呼んだその瞬間、影の輪郭が一瞬だけ少女の姿をかたどった。
小さな腕、小さな瞳。──しかし、すぐにそれは闇に溶け、歪んでいく。
美奈が悲鳴を上げた。
「紅葉!?」
確かに、影の中には紅葉の顔にも似た一瞬の像が浮かんだ。
二人の少女の姿が、まるで重なるように交互に現れては消えていく。
「やめろッ!」
祐真が一歩前に出た。
「お前は……何者だ!? 美桜でも、紅葉でもないだろう!」
影は答える代わりに、長い指を伸ばし、祐真の胸を撫でるようにかざした。
瞬間、祐真の視界が白に弾け飛ぶ。
──気づけば、彼は森ではなく、夕暮れの川辺に立っていた。
まだ幼い自分と、笑う美桜がそこにいる。
「いっしょにおいで」と、小さな声が祐真を誘う。
「……幻覚だ……!」
祐真は唇を噛み、意識を繋ぎ止めようとした。
その頃、現実の春香と美奈は、石碑の周りで赤黒い影に取り囲まれていた。
囁き声が重なり、無数の「返せ」という声が木霊する。
古沢住職が印を切り、必死に経を唱える。
だがその声すら掻き消されるように、影の圧は増していく──。




