第37話 選ばれる者
足元に浮かんだ《ひとり ささげよ》の文字を見つめ、三人は凍りついたように動けなかった。
春香の胸は激しく上下し、声がかすれる。
「……こんなもの……こんなもの、ただの幻よ……」
必死に否定しようとするが、足の裏から伝わる冷たい感触が現実を突きつけてくる。落ち葉は確かに動き、意思をもって言葉を描いたのだ。
美奈は蒼ざめた顔で祐真に縋りついた。
「警察の人なんでしょ……何とかしてください……!」
祐真は懐中電灯を強く握りしめ、無言で周囲を照らす。
だが、光はすぐに闇に呑まれ、僅かな樹皮の影しか浮かび上がらない。
「……この森は、外の理屈は通じない」
祐真は低い声で言った。
「昔からそうだ。俺たちは選ばされる……誰を差し出すか」
その言葉に春香は反発した。
「ふざけないで! 誰かを犠牲にするなんて……そんなこと、できるはずがない!」
その瞬間、森の奥から、鈴の音のような声が響いた。
──おかあさん。
春香の膝が崩れ落ちる。
耳に届いた声は、確かに紅葉のものだった。
「紅葉……紅葉なのね……? どこにいるの……」
しかし祐真が鋭く制した。
「聞くな! それは紅葉の声を借りた“何か”だ!」
だが春香の胸に芽生えた希望は消えない。母親として、たとえ幻だとしても娘の声を無視できるはずがなかった。
美奈は震える声で告白した。
「……実は、紅葉は私に言ったんです。『もし私がいなくなったら……代わりに、あなたが』って」
春香は美奈を振り返り、絶句した。
「な、何を言ってるの……?」
「本当なんです! だから……もしかしたら、紅葉は初めから……私を……」
春香の胸に冷たい疑念が広がる。
──紅葉は美奈を犠牲にするつもりだったのか?
いや、そんなはずはない。けれど、娘が最後に残した“森で待ってる”という言葉の裏には、別の意味が隠されていたのではないか。
祐真が二人を睨み、吐き捨てる。
「……これが森のやり方だ。疑わせるんだ。親と子、友と友を引き裂いて、“差し出す者”を選ばせる」
春香は耳を塞ぎ、必死に首を振った。
「やめて……そんなこと考えたくない……紅葉はそんな子じゃない!」
だがそのとき、足元の落ち葉が再びざわめき、文字を描き直した。
《いま きめよ》
森が、猶予を与えず迫ってきていた。
三人は互いを見つめ合い、沈黙した。
春香の胸の奥には、母としての愛と、森が突きつける冷酷な“選択”が重くのしかかっていた。
──選ばれるのは、誰なのか。




