第33話 残された言葉
夜が深まり、村は静けさに包まれていた。
春香と美奈は、集会所の片隅で並んで座っていた。外からは風の音がかすかに入り込み、木々が擦れ合うたびに、どこかで誰かが囁いているように聞こえた。
その沈黙を破ったのは、美奈だった。
「……春香さん。紅葉が消える前に、私、あの子の言葉を聞いたんです」
春香は驚いて顔を向けた。美奈の指先は小さく震え、視線は床に落ちていた。
「どういうこと……? なぜ今まで黙ってたの?」
美奈は唇を噛んだ。
「怖かったんです。言ったら、紅葉が本当に……戻れない気がして。でも……もう隠していられない」
春香の胸が強く打つ。紅葉の母として、その一言一言を聞き逃すまいと美奈を見つめた。
「秋祭りの夜、屋台の灯りから離れたとき、紅葉が立ち止まったんです。……まるで誰かに呼ばれたみたいに」
美奈の声は震えていた。
「私、手を握ったんですけど、紅葉は笑って言いました。『だいじょうぶ。私、呼ばれてるから』って……」
春香の呼吸が止まった。
「呼ばれてる……?」
その言葉は、二十年前に美桜が消えたときと同じ噂に重なっていた。
美奈はさらに顔を歪める。
「そして……紅葉は小さな声で続けました。『お母さんに伝えて。私、森で待ってるから』って」
春香の目に涙が溢れた。紅葉が最後に残した“手がかり”──それは、母への言伝だった。
けれどもその言葉は、希望ではなく恐怖を孕んでいた。森は子どもを“呼ぶ”。その中に紅葉も引き込まれてしまったのだ。
春香は胸を押さえ、美奈の肩にすがるように問う。
「紅葉は……本当に森にいるの?」
美奈は目を伏せ、かすかな声で答えた。
「わかりません。でも……あのときの笑顔は、まるで別人のようで。あれは……紅葉自身じゃなく、“何か”に操られていたように思えるんです」
部屋の灯りが小さく揺らいだ。風の音の中で、ふたりは言葉を失った。
紅葉が残した最後の言葉は、手がかりであると同時に、不気味な呼び水でもあったのだ。




