第27話 影なき微笑み
「紅葉……なの?」
春香の声は震えていた。
娘の姿をした影は、微笑みを浮かべたまま、静かに手を差し伸べてくる。
「お母さん。私、寒いの。抱きしめて」
その声は確かに紅葉のもの。
幼い頃から変わらぬ、甘える時の調子だった。
春香の胸に熱が込み上げる。
(やっと……やっと会えた……)
彼女は一歩、また一歩と近づく。
「ダメです!」美奈が叫んだ。
「紅葉じゃない……! だって、あの子の足……地面に触れてない!」
春香の動きが止まる。
見れば、少女の足先は土を踏まず、宙を滑るように揺れていた。
古沢が数珠を握り締め、低く唱える。
「これぞ“森が生む残響”。生者の未練を食らい、その姿を借りる影だ」
その言葉に、紅葉の影がかすかに笑った。
「知られちゃったね」
声は紅葉のままなのに、響きは冷たく、耳の奥を凍らせる。
春香は耳を塞ぎ、首を振った。
「違う! この子は紅葉よ! 私の娘よ!」
「お母さん……信じて」
影は涙を浮かべる仕草をした。
「私、置いていかれるのが一番つらいの……」
春香の瞳から涙が溢れる。
胸の奥に刻まれた「美桜を置き去りにした記憶」が疼き、現実と幻の境界が崩れていく。
美奈は必死に春香の手を握った。
「おばさん! 思い出して! 本物の紅葉なら……“あの夜の約束”をどうして知ってるんですか!?」
影がぴたりと動きを止めた。
春香は目を見開く。
「……約束?」
美奈は震えながら続けた。
「紅葉と私しか知らない……祭りの帰り道で交わした言葉。もし本物なら、答えられるはずです!」
影の紅葉は微笑んだ。
「もちろん覚えてるよ。ずっと友達だって、言ったでしょ?」
一瞬、美奈の心が揺れる。
だが、何かが違った。
その言い方は、紅葉が口にした“あの瞬間の温かさ”を持っていなかった。
ただ、記録をなぞったような、空虚な響きだった。
美奈は声を張り上げた。
「違う! あのとき紅葉は──“ずっと一緒に笑っていよう”って言ったの! “友達”なんて言葉、使わなかった!」
春香の顔色が変わる。
影の微笑みが、ぐにゃりと歪んだ。
次の瞬間、影は鋭い叫び声を上げた。
「……黙れェェェ!」
森全体が揺れ、無数の影が木々から溢れ出した。
声は紅葉でも、美桜でも、知らない子供の泣き声でもあった。
耳を塞いでも突き抜けてくるような、地獄の合唱。
春香は両手で顔を覆い、崩れ落ちた。
美奈は震えながら春香を抱き寄せ、古沢の背後へ下がる。
古沢は数珠を掲げ、厳しい声で叫んだ。
「退け……これは生きた娘ではない。親と友を惑わす影法師だ!」
だがその言葉の直後、影の群れの中から、確かに紅葉の声が響いた。
──お母さん……助けて。
──美奈……怖いよ。
春香の心がまた揺らぐ。
美奈の手も、震えを止められなかった。




