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紅葉-くれは-  作者: 菊池まりな


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第22話 失われた記憶の断片

祠を覆う夜気は、まるで冷たい水の底に沈められたように重く、三人の胸を圧迫していた。

 春香の視線の先に立つ“くれは”の影は、微笑んでいるのか、泣いているのか判別できない表情でこちらを見つめている。


「くれは……本当に、あなたなの?」

 春香の声は震え、しかし必死に届かせようとする母の響きを帯びていた。


 影は答えず、ただ一歩ずつ近づいてくる。

 そのたびに、落ち葉がざわざわと鳴り、森全体が反響するかのようにざわめいた。


 そして――囁きが混じる。

 「美桜……あの日、泣いていた」


 春香の瞳が大きく見開かれた。

「やめて……やめて……!」

 彼女は頭を抱え、石段に膝をついた。記憶の奥底に閉じ込めていた映像が、無理やりこじ開けられるように蘇ってくる。


 ――二十年前の秋祭り。

 人混みの中でふと手を離した瞬間、美桜の姿が消えた。

 必死で名前を呼びながら探した。

 だが、耳の奥で聞こえていた。確かに泣き声を……森の方から。


「……私は……聞こえていたのに、追えなかった」

 春香の嗚咽が夜に溶ける。

「怖くて……祭りのざわめきに紛れたと思い込もうとした……。でも、美桜は、森で……」


 その告白に、美奈の顔が蒼白になる。

「じゃあ……美桜さんは、最初から……森に?」


 春香は頷けなかった。ただ、涙に濡れた手で顔を覆った。


 その横で、祐真もまた苦しげに額を押さえていた。

 彼の耳には別の声が響いていた。

 「どうして助けなかったの……あのとき、すぐ傍にいたのに」


 場面が揺らぎ、彼の視界に幼い子どもの影が浮かぶ。

 ――赤い風船を握った小さな手。

 祭囃子と笑い声の中で、誰かが確かに助けを求めていた。


「……まさか、俺が……?」

 祐真の脳裏に、忘れていた断片が重なり合っていく。

 自分はあの日、森に近づいた。泣き声も聞いた。けれど背を向けた。

 ――なぜなら、自分には“見てはいけない”理由があったから。


 その瞬間、祠の奥から生暖かい風が吹き抜けた。

 闇の中から幾つもの小さな手が伸び、春香と祐真の足首を掴もうとする。


「――っ!」美奈が悲鳴をあげた。

 だが古沢透住職は一歩も引かず、経をさらに強く唱え続ける。

「これはお前たちの心が映し出す幻だ。逃げれば喰われる。だが、向き合えば……道は開かれる」


 春香は涙に濡れた顔を上げた。

「……美桜、くれは。私は逃げない。今度こそ、あなたたちを……見つけ出す」


 その決意と同時に、祠の影がぐらりと揺らぎ、少女の影が霧のように消えていった。

 しかし、祐真の耳にはまだあの声がこだましていた。


 「あなたは、まだ……隠している」


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