第18話 封じられた夜
夜の寺は静まり返り、蝋燭の火だけが本堂を照らしていた。
橘春香は祐真と美奈を前に、震える手を膝に置き、言葉を探していた。
古沢住職が静かに促す。
「春香さん、もう胸に抱えておくのは苦しいでしょう。ここで明かすのです」
春香は深く息を吐き、そして語り始めた。
「……二十年前の秋祭りの日、私は三歳の娘を失いました。名前は美桜。祭りの賑わいの中、ほんの一瞬、手を離したすきに……彼女は森の方へ駆けていったのです」
美奈が目を丸くする。春香の声は掠れて震えていた。
「追いかけました。でも、美桜はもうどこにもいなかった。ただ、森の中から小さな声が聞こえてきたのです。『かあさん、こっち』と」
祐真は拳を固く握った。
それは「迷子」ではなく、「呼ばれた」ような失踪だったのだ。
「……それだけじゃありません」
春香の瞳が揺れる。
「今度は十七歳になった次女の紅葉が……同じように、森に消えました。彼女は言ったのです。『美桜が呼んでる。迎えに行かなくちゃ』と」
言葉が途切れ、春香は唇を噛んだ。
「私は二度も……あの森に娘を奪われました。どちらも、遺体も痕跡も見つからない。ただ、風に混じって声だけが残るのです」
美奈は思わず春香の手を握った。
「そんな……紅葉も……?」
古沢住職が低い声で続けた。
「あの森は“魂を呼ぶ地”と伝えられてきました。愛する者の声を借りて誘い、連れ去る。人は抗えぬまま、影の中に溶けていく……」
美奈は蒼白になり、かすれた声で言った。
「じゃあ、私が聞いている声も……」
春香は激しく首を振った。
「違うの、美奈ちゃん。あなたはまだ呼ばれただけ。応じなければいい。どうか……どうか行かないで」
その必死な叫びに、美奈の瞳が潤む。
「でも……声はとても優しいんです。私を責めないで、苦しみを和らげてくれるようで……」
祐真が彼女に問いかける。
「慰めるような声……。美奈、君は何か後悔していることがあるのか?」
美奈は唇を噛み、答えなかった。
しかしその沈黙が、心の奥に“隙”を抱えていることを物語っていた。
その時、本堂に風が吹き込み、蝋燭が揺らいだ。
廊下の奥で、小さな声が囁く。
──美桜……紅葉……みんな待ってる。おいで……
春香は立ち上がり、声を張り上げた。
「やめて! この子だけは奪わせない!」
古沢住職が経を唱え始め、祐真は美奈の手を強く握った。
その温もりだけが、彼女を現実につなぎ止めていた。
だが、森の影は確実に忍び寄っていた。




