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紅葉-くれは-  作者: 菊池まりな


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第16話 白蓮の庭

夜が明け、山寺の鐘が静かに鳴り響いた。

 一ノ瀬祐真は、夢とも幻ともつかぬ精神世界での体験から目を覚まし、汗ばんだ額を押さえながら息を整えていた。

 彼の胸にはまだ、罪悪感の影がまとわりついている。だが、同時に「真実を見届けなければ」という強い執念も生まれていた。


 橘春香は縁側に座り、朝日に照らされる庭を見つめていた。その背中には、二十年前に娘を失った痛みが沈殿している。

 そこへ現れたのは、住職・古沢透だった。白い袈裟に身を包んだ彼は、庭に咲く白蓮を撫でながら、静かな声で言った。


「祐真殿、春香殿……白蓮は泥の中から咲きます。人もまた、苦しみの淵から立ち上がるものです」


 その言葉に春香はわずかに肩を震わせた。だが答えはせず、視線を逸らした。


 しばし沈黙が流れた後、境内に小走りで入ってきた少女がいた。

 セーラー服姿の氷川美奈──この土地に暮らす高校生で、幼い頃から寺に通い慣れている娘だった。


「住職さん、おはようございます!……あれ、知らない人がいる」

 大きな瞳で祐真を見上げ、美奈は屈託なく微笑んだ。


「一ノ瀬祐真だ。事件を追って、ここに滞在している」

「ふうん、刑事さん? 探偵さん? それとも……」

 春香が慌てて口を挟んだ。

「美奈ちゃん、この人はただの……調査をしている人よ」

「へえ、怪しいなあ。でも面白そう」


 美奈は人懐っこく春香に近づき、袖を引いた。

「ねえ春香さん、今日も一緒に畑に行きませんか? お母さんが春香さんに野菜を分けたいって言ってたの」


 春香は一瞬迷ったが、結局うなずいた。祐真もまた、同行を許されることになった。




 氷川家の畑は寺から少し下った丘に広がっていた。青々と茄子や胡瓜が伸び、風に揺れている。

 美奈の母が笑顔で迎え、春香に籠いっぱいの野菜を渡した。


 その光景を見ていた祐真は、心の奥で妙な感覚を覚えていた。

 春香が美奈に向ける視線──それはどこか母親のようで、失った娘を重ねているのではないか、と。


「ねえ祐真さん」

 帰り道、美奈が唐突に声をかけてきた。

「この森には“白い影”が出るって知ってますか? うちの学校の友達、夜に見たって言ってました」


「白い影?」

「そう。女の人みたいに見えたって。……でも、私は怖くないですよ。だって森は、私が小さい頃から秘密の遊び場ですから」


 無邪気に笑う美奈の言葉に、春香の表情が凍りついた。

 彼女は低い声で、美奈の手を掴んだ。


「美奈ちゃん……あの森に夜は近づいちゃだめ」


 美奈は首をかしげたが、その強い眼差しに押されて黙った。

 祐真はそんな二人を見つめながら、心の中で思った。


──春香が娘を失った“あの夜”と、この森の“白い影”。

 すべてが一本の糸で結ばれている気がする。


 その糸を手繰り寄せるために、自分はここへ来たのだ。


 白蓮の庭に吹く風が、過去の囁きを運んでいるように思えた。



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