第105話 社裏の掘り返された夜
鳥居の前に立った瞬間、空気の質が変わった。
湿った風が、まるで穴の底から吹き上がってくるように冷たい。
春香も、祐真も、そして私(美奈)も、一言も話さなかった。
──何かが、いる。
言葉にできないのに、はっきりとそう感じた。
「……灯り、つけます」
祐真が懐中電灯のスイッチを押す。
光の輪が、鳥居の奥へ吸い込まれるように伸びた。
石段を上るたび、靴の底が湿った土に沈む。
やがて、社務所の跡地が見えてきた。
壁は朽ち、ガラスは割れ、昔の嵐に吹き飛ばされたような無残な姿。
だが、そこに――
「……誰かが、最近入ってる?」
思わず声が震えた。
床板に、砂埃の薄い筋。
足跡は残らない程度だが、何か重いものを引きずった跡だけが、不自然に続いている。
春香も気づいた。
「これ……紅葉よね? 紅葉がここに来たんじゃないの?」
そう思いたいのに、心の奥が強く否定した。
──これは、紅葉の歩幅じゃない。
──これは、もっと重く、もっと……人じゃない何かが引きずった跡。
私の指先が冷たくなった。
「祐真さん……これ、どこまで続いてますか?」
「……社の裏手だ。気をつけて」
祐真が先に進む。
私と春香も、その後ろへつづいた。
裏手に回った瞬間、鼻を刺すような湿った匂いが漂った。
土が掘り返されている。
獣ではない。人がスコップで掘ったような、深く楕円形の穴。
「……出入りしてたのは、ここか」
祐真の声が低く沈む。
春香は口元を押さえた。
「これって……紅葉が……?」
「違います」
私は即答した。
「紅葉なら、こんな掘り返し方はしません。……これは、誰かが“何かを埋めて、また掘り返した”跡です」
土の匂いに混じって、金属の匂いがした。
懐中電灯を当てると、そこに──
白い布の端が、土から少しだけ覗いていた。
人が何かを包んだような、古びた布。
春香が震える声で言う。
「……美桜……なの?」
違う、と言いたかった。
でも、布は古すぎて、20年は経っているように見えた。
しかし──
「……待ってください」
私は、気づいてしまった。
布のすぐ横に、新しい土の盛り上がりがある。
そこには、しめった泥に、なにか細いものが突き刺さった跡があった。
引き抜かれたような形。
「祐真さん、この“新しい方の穴”……人が何かを持ち出した跡です。これは……最近です」
春香が震えた。
「じゃあ……紅葉が持ち出したの……?」
ちがう。
紅葉じゃない。
この跡の深さ、幅。
紅葉の力ではあり得ない。
私は声を震わせて言った。
「……紅葉は“これ”を掘り返した誰かに、連れていかれたのかもしれません」
春香が崩れるようにしゃがみ込んだ。
「いや……いや……紅葉……!」
そのとき──
社の奥から、コツ……コツ……と、何かが木の床を歩く音が響いた。
人の足音ではない。
軽いのに、まっすぐこちらへ向かってくる、乾いた音。
私の鼓動が、耳の奥で跳ねた。
祐真が懐中電灯を社の奥へ向ける──
光の輪の中で、揺れているものがあった。
垂れ下がった、赤い……布。
いや、布ではない。
紅葉が、秋祭りのときに買った“赤い髪飾りの紐”だった。
風もないのに、ゆらり、と揺れた。
春香が息を呑む。
「紅葉……?」
私は言った。
「……誰かが、ここへ持ち込んだんです」
そのとき。
社の奥で、“ガリ……”と、木をひっかく音がした。
何かが、そこにいる。
私たちはまだ知らなかった。
──この社は、ただの「遺留品」の隠し場所ではない。
──20年前、美桜が消えた“最初の場所”だったことを。
そして、
紅葉もまた、同じ場所に連れてこられたのだと。




