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紅葉-くれは-  作者: 菊池まりな


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第104話 戻れぬ夜道

森を抜けた瞬間、三人は同時に振り返った。


 ……静寂。


 追ってくる気配は──ない。

 だが、森の奥からは、確かに誰かが覗いているような“重たい視線”だけが残っていた。


 春香は荒い息をつきながら、祐真の服の袖を掴んだ。


「祐真さん……あれ、やっぱり……美桜なの……?

 私……あの声、聞き覚えが……」


 祐真は首を振る。

 震えは、否定のためではなく、自分を落ち着かせるため。


「……わからない。でも、ひとつだけ言える。

 あれは、生きている人間の動きじゃなかった。

 春香さんの思い出の中にいる美桜とは……違う」


 春香の表情が崩れる。

 その肩に手を置いたのは美奈だった。


「春香さん……落ち着いて。

 紅葉ちゃん、あんなのに連れていかれたんじゃないよ。もっと……もっと違う理由があるはず」


 美奈の言葉は震えていたが、それでも必死に前を向いていた。


 だが、祐真だけは気づいていた。

 “違う理由”という言葉が、どれほど脆い希望かを。




 三人は灯籠の消えた参道をゆっくり下る。

 夜はすでに濃く、月が雲に隠れれば足元すら見えない。


 そのとき、美奈がふいに立ち止まった。


「……ねぇ、これ……前に誰か通った痕じゃない?」


 ライトの先、参道の砂利がわずかに乱れている。


 春香も覗き込む。


「誰かが……引きずられたみたいな形ね……」


 確かに、細くえぐれた線が地表を斜めに走っていた。

 靴跡ではない。

 人間が歩けば、もっとまばらで広い痕になる。


 まるで、


 腕を引っ張られ、ズルズルと地面を擦って引きずられたような──。


「紅葉……?」

 春香の唇が震える。


「違う。サイズが合わない。

 もっと……小さい」

 祐真が低く言う。


 また、美桜だ。

 20年前の“あの日”の痕と似ている。


 春香は口元を押さえた。


「どうして……? どうして美桜の痕が今……?」


 祐真は息を吸い、覚悟を決めたように言った。


「春香さん。

 ……20年前のあの日、美桜が消えたとき……僕も、あそこにいた」


 春香と美奈が驚いたように祐真を見つめた。


「え……祐真さん、あの日のこと……覚えて……?」


「断片的に……最近は特に、鮮明になるんだ。

 “誰かに呼ばれた声”……

 あれが、美桜の方に向かって……」


 祐真は言葉を切る。


 その記憶は、未だ確信を持てない曖昧な影のようだった。

 だが、森で聞いたあの“名を呼ぶ声”が、祐真の過去の蓋をこじ開けていた。


 春香は、祐真に一歩近づいた。


「祐真さん……お願い。

 その記憶を全部、話して。

 紅葉を助けるには……きっと必要だから」


 祐真はしばらく迷っていた。


 だが──そのとき。


 ザ……ザッ……


 参道の後ろ。

 三人が通ってきたばかりの闇から、乾いた足音がした。


 美奈が祐真の背中に隠れ込む。


「いま……絶対に誰かいた。

 春香さん!? 見た!?」


 しかし春香は、蒼白な顔で一点を見つめていた。


 参道から少し外れた藪の向こう。

 月が雲から顔を出し、淡い光が草を照らす。


 暗がりの中に……

 “子どもほどの影”が立っていた。


 背丈は、三歳児ほど。

 首は不自然に傾き、髪が湿って頬に張りついている。


 周囲に誰もいないはずの夜道で、

 その影だけが、動かずじっとこちらを向いていた。


 春香の喉がかすれた。


「……み……お……?」


 影は、ゆっくりと首をまっすぐに戻した。

 ぎ……ぎぃ……と骨の擦れるような音を立てて。


 そして──


 影が、笑った。


 歪んだ、口角のない笑顔。

 そこだけが、異様にひきつっていた。


「走れ!!」

 祐真の叫び声が闇に響いた。


 三人は再び駆け出す。

 背後からは、重たい何かを引きずるような音が迫ってきた。


 ザ……リ……

 ザ……リ……

 ザ……リ……


 まるで“地面に触れた何か”を引きずりながら──。



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