第103話 引きずられた跡
春香が“逆向きの足跡”に気づいた瞬間──
美奈が震える声で祐真を見上げた。
「……これ、紅葉ちゃんの靴のサイズじゃない?
ほら……この幅……確かに17センチくらいで……」
祐真はしゃがみ込み、ライトで足跡を照らす。
落ち葉の上に刻まれた泥の輪郭。
それは、幼い子どもの足よりも一回り大きい。
「……違う。これ、紅葉の足じゃない。
小学生くらいの……もっと小さな……」
祐真は言いかけて、喉の奥で言葉をつまらせた。
(……美桜の、頃……)
その瞬間、森の奥から、また“それ”が聞こえた。
ザ……ザ……ッ……
ザ……リ……
落ち葉を引きずる重たい音。
何かが、地面に身体を預けながら、こちらへ這ってくるような音。
春香は祐真の袖を強く握った。
「祐真さん……ねぇ、あれ……近づいてる……?
紅葉じゃ……ないよね……?」
祐真は答えられなかった。
戻ろうと口を開きかけたその時──
美奈が突然、別の方向を指差した。
「見て! あれ……!」
祐真も春香も、息を呑んだ。
空き地の奥。
倒木の根元──腐った土がわずかに盛り上がり、今まさに“動いている”。
土が……呼吸するように上下している。
「……中に、何かいる……?」
美奈の声が震える。
「近づくな!」
祐真が制したが、美奈は目を離せずに一歩踏み出す。
その瞬間──
土が、破裂するように裂けた。
ボッ……
湿った黒土が四方へ飛び散り、腐葉が空中に舞う。
美奈の悲鳴が森に響き渡る。
土の裂け目から覗いたのは──
かつて子どもだった“何か”の小さな靴。
しかし、靴だけが、不自然にまっすぐ地面に突き立っている。
まるで、上から押し刺されたように。
「……美桜……なの……?」
春香が呟いた。
だが、それは違った。
祐真がライトを当てた瞬間、靴の周りの土が再び“内部へ吸い込まれるように”沈んだ。
靴は沈む。
地面に吸い込まれるように、じわ……じわ……と。
「春香さん、美奈さん、今すぐ離れて!」
祐真はふたりを抱えるようにして後退させた。
その刹那──
足元の落ち葉が、両足首に絡みつくように巻き上がった。
ザサァッ!
「きゃあっ!」
「うわっ……!」
春香と美奈が転びかける。
祐真もバランスを崩しそうになった。
違う。
落ち葉じゃない。
落ち葉の下から伸びていた“黒い指”だった。
老人のように細く、枯れ枝のように乾いた指。
しかし、その動きは異様に速い。
指たちは土の中へ逃げ込むように、シュルシュルと沈んだ。
春香は泣きそうな声で祐真に訴える。
「もう無理……こんなの、紅葉が……こんなところで……っ」
祐真は、春香の肩を抱きながら、必死に冷静さを保とうとした。
「春香さん……美奈さん……
一度、集会所に戻ろう。ここは……何かがおかしすぎる。
“人間ではない何か”がいる」
春香は涙を拭き、震えながら頷く。
美奈は、もう一度倒木の方を見た。
沈んだ靴も、破れた地面も、すべて元通りのように静まり返っている。
まるで、
最初からそこには何もなかった
と告げるように。
「でも……」
美奈は言った。
「私、聞いたんだよ……あの声……
“ま……ま……”って……
あれ、紅葉じゃない……。
でもね……紅葉、あの日、言ってたの。
“最近ね、森で誰かに名前呼ばれるんだ”って……」
春香と祐真の表情が固まる。
美奈は続けた。
「“美桜ちゃんの声に似てる”って……言ってた」
風が森を走り、葉のざわめきが三人を包んだ。
そのざわめきの中で──
確かに、あの壊れた子どもの声が混ざった。
「……ま……ぁ……」
祐真は即座に振り返る。
「走れっ!」
3人は森を駆け抜けた。
背後では、ざわ……ざわ……と“何か”が追いすがるように木々を揺らしていた。




