桜花咲き誇る吉野山で詠まれた連歌
挿絵の画像を生成する際には、「Ainova AI」を使用させて頂きました。
今年の六月に住吉大社で挙式を挙げる私と竜太郎さんにとって、残り僅かとなった婚約期間は掛け替えのない一時と言っても過言では御座いませんの。
そこで貴重な独身時代を二人で謳歌すべく、御互いに予定を繰り合わせてデートをさせて頂いておりますわ。
竜太郎さんの御実家である生駒家は爵位持ちの華族様で御座いますし、私にも実家である小野寺教育出版の事務職員としての務めが御座いますからね。
それ故にデートと申しましても然程の遠出は出来ず、御互いの実家から日帰りでアクセス出来る関西一円が主な行き先ですの。
昨年の秋には竜太郎さんの親戚が御住まいの京都で紅葉を愛でましたし、今冬には私の実家である船場からも程近い御堂筋のイルミネーションを二人で楽しませて頂きましたわ。
そして今年の春はと申しますと、吉野山での観桜デートという趣向を取らせて頂きましたの。
金峯山寺や如意輪寺といった寺社仏閣の参拝では心が洗われましたし、千本口駅から吉野山駅までを結ぶ吉野山ロープウェイの車窓からは素晴らしい絶景を堪能する事が出来ましたわ。
しかし春の吉野山散策の醍醐味は何と申しましても、「日本一の桜」と名高い風光明媚な眺望で御座いますの。
花矢倉展望台から一望出来る約三万本の桜の絶景たるや、山肌一面を鮮やかに染め上げてそれは見事な美しさで御座いますわ。
「本当に感謝しますよ、真弓さん。行き先から服装まで、何から何まで僕の希望を受け入れて下さって。今の花盛りの時期の吉野山は、まるで芋の子を洗うような混雑振りだというのに…」
「そう恐縮なさらないで下さい、竜太郎さん。行く行くは夫婦となる私と竜太郎さんの仲では御座いませんか。この和装に致しましても、気兼ねは御無用ですのよ。小野寺教育出版社長令嬢として、そして次期生駒家当主夫人として。淑女たる者、和装は当然の嗜みですわ。」
そう申しながら、私は袖に降り注ぐ桜の花弁を軽く払い除けましたの。
この桜色の和服は私と致しましても御気に入りの春物なのですが、此度のように実際の花見に合わせて着用するのも風情があって良う御座いますね。
「あら…?」
「あっ、いや…」
そうして何気なく花弁を払い除けた私は、竜太郎さんから注がれる熱い視線に気付いてしまいましたの。
そこに重要な意味がある事は、向き直った私からサッと視線を逸らした点からも一目瞭然ですわ。
「ホホホ…まあ、竜太郎さん。遠からず夫婦となる私共、今更になって斯様な水臭い真似は野暮という物ですわ。それとも今の私に、我が小野寺家の御先祖様の面影を感じられたとでも…?」
「いや、それは…僕の口からはちょっと…」
悪戯心から鎌をかけてみましたが、どうやら図星で御座いますのね。
それと申しますのも、竜太郎さんの初恋の御相手は私の御先祖様にあたる小野寺法華夫人で御座いますの。
我が小野寺教育出版は明治時代に創業した老舗の教科書会社で御座いますが、その当時は幻灯機とガラス種板を教材用に取り扱っておりましたの。
明治期における小野寺家当主の勝満氏は新婚間もない新妻の法華夫人に大層惚れ込んでおり、その美しさを内外に誇示すべく京都旅行の記念写真をガラス種板の原版に加えたのですわ。
その幻灯機とガラス種板が長い年月を経て少年時代の竜太郎さんの手に渡り、竜太郎さんはガラス種板に焼き付けられた私の御先祖様に恋をしてしまいましたの。
−初恋の相手が明治期の女性である以上、幾ら思いを募らせた所で決して成就する事はない。
こうして割り切ったはずの少年時代の初恋は、竜太郎さんが適齢期を迎えられた時に再燃致しましたの。
数あるお見合い写真の束の中から見出した、少年時代の初恋の人と瓜二つの女性。
それこそが、私こと小野寺真弓だったのですわ。
昨年秋における京都でのお見合いデートの席でこの話を聞かされた際には、合縁奇縁の奥深さに大いに驚かされましたわ。
御先祖様との意外な巡り合わせもさる事ながら、厳格な御曹司という第一印象だった竜太郎さんの少年のような直向きな情熱に共感させて頂き、私は生駒家への御輿入れを決意致しましたの。
私と竜太郎さんが結ばれたのも、或いは御先祖様の思し召しなのかも知れませんわね。
こうして御先祖様の事について想いを馳せていた私の脳裏に、素晴らしい妙案が閃きましたの。
「ねえ、竜太郎さん。昨年の晩秋に私の実家へ御越し頂いた折に、私の御先祖様縁の掛け軸を御覧頂きましたわね?」
「勿論ですよ、真弓さん。明治期における小野寺家当主の勝満氏と、その奥方の法華夫人。鴛鴦夫婦と評判だった二人が詠まれたという、二首の和歌の事でしょう。京都での新婚旅行の思い出を振り返りながら、御互いへの愛を和歌に託す。御二人の教養の高さと御互いへの愛の深さがひしひしと感じられて、僕も感銘を受けた次第です。」
勝満様の「京洛を 茜に染めし もみじ葉と 君の姿を 夢寐にも忘れじ」という懸け歌と法華夫人の「臥龍池の 水より澄みし君の目に 我の姿を 永久と(とわ)に写せよ」という返歌が寄り添うように大書された掛け軸は、御先祖様達の愛の深さの証として我が小野寺家に受け継がれておりますの。
これから小野寺家の親族となる竜太郎さんにも御評価頂けて、喜ばしい限りですわ。
「いかがかしら、竜太郎さん。もうすぐ夫婦となる私共も、そんな御先祖様に倣って一句詠んでみては。流石に即興で和歌を詠むのは難しゅう御座いますので、上の句と下の句の連歌はいかがでしょう。」
「成る程、それは良い趣向ですね。上の句ならば俳句感覚で一句詠めそうですよ。それに此処は、桜も満開の吉野山。あの千本桜を堪能しておいて一句も詠まないというのは、却って無粋という物です。それでは真弓さん、『君と行く 桜花綻ぶ 吉野山』という上の句などいかがでしょうか。お眼鏡に適えば宜しいのですが…」
御眼鏡に適うも何も、私は竜太郎さんの上の句ならば大歓迎で御座いますわ。
「その上の句ならば、『次来し春は 夫婦なるらむ』と続けたい所ですわね、竜太郎さん。」
祝言を上げて夫婦となった私共の目には、来年の桜はどのように写るのでしょう。
それが今から楽しみで御座いますわね。
その時の為に、此度の連歌も表装して掛け軸に仕立て上げねばなりませんわね。
君と行く 桜花綻ぶ 吉野山
次来し春は 夫婦なるらむ
祝言に先駆けて行った二人の共同作業も、なかなか良い出来栄えですわね。
輿入れ先の生駒家の床の間に、是非とも飾りたい所ですわ。