僕が言ったのは“パーティーから”って意味で
「そう言えば“追放もの”も“婚約破棄もの”もファンタジーの世界だよな」って思ったのがきっかけで、さらにイビりババアも絡めてみました。何かのゲーム紹介で「嫁姑問題を絡めた」なんて書いてあったのを思い出して。
「この馬鹿者があぁぁぁぁぁ!」
罵声と共に繰り出された拳が、ハインレーヴの右頬に直撃する。彼は倒れそうになるのを必死でこらえた。
宿屋の一室でのんびり寝ていたハインレーヴだが、血相を変えた女将に呼ばれて廊下に出たところ、父親のオーディル・ゼセル伯爵が待っていた。
何の用か訊く前にこの仕打ち。患部を撫でながら口を尖らせる。
「……っいたたた……父上、いきなり何をするんですか?」
昨夜からの充実感が一気に吹っ飛び、ぼやく息子を父はにらみつけるのみ。
ここでもう一人の人物を確認したハインレーヴだが、問える空気には程遠い。
ただならぬ予感にハインレーヴは後ずさるが、思い当たる事柄はゼロだ。
すると、後ろで戸を開く音が。見ると一人の少女が顔を出し、寝ぼけ眼をこすっていた。
「……ん~……ハインくん、一体何~?」
「フ、フローザ、今は中に入ってくれ」
少女に頼むと、彼女は素直に従ってくれた。
慌ててオーディルに向き直ると、眉間のシワが増えている。光線を口から放つ寸前のドラゴンさながらの息をつき、
「-ーそういえば、お前以外にも馬鹿がいるんだったな。フローザとヒミュラヌにディジェットにポリライナとか言ったか? 話があるからさっさと叩き起こせ」
「落ち着いてください。オーディル様」
付き添いが宥めにかかる。
ハインレーヴも知っている。アゼッロという執事だが、彼はゼセル家に籍を置かぬはずだ。
疑問が頭をよぎるが、オーディルの全身からほとばしる圧力に屈し、ハインレーヴは部屋に戻る。
「フローザ! ヒミュラヌ! ディジェット! ポリライナ! 早く起きて支度してくれ! 父上が来たんだ!」
父上。
五人寝ても充分な広さあるベッドに、シロップ煮のリンゴみたいに身体を委ねていた四人。先の単語で全身を跳ねさせて起き上がった。
「もしかしてあの人が!? ハインくんのお父さんなの!? 一体何の用かなぁ!?」
フローザはピンクのワンピースを着ると、同じ色の先の尖った帽子を被った。小柄な体型で幼さの残る顔立ちだが魔法使いとしては一流で、火属性を得意とする。
「何ウキウキしてるんだよ。ハインとの結婚話しに来たとでも思っているのか?」
男性的な喋り方なのはヒミュラヌだ。魔道処理を施した革鎧をノースリーブの上につけ、ホットパンツから伸びる脚は膝上のブーツを履いている。格闘家であり、しなやかな脚から繰り出した技で、これまで文字通り敵を蹴散らしてきた。
「……でも、妙に慌ててたわね。一体どうしたのかしら?」
背中が大きく開き、両脇にスリット入りのドレスを身に纏ったディジェットが、顎に手を当て首をかしげる。酒場の踊り子に見える容姿だが、糸使いとしての腕は確か。すんなりとした指から紡がれる糸は、時に盾となって身を守り、時に刃となって仇なす者を切り裂く。
「-ーとりあえず、話を聴いてみないとわかりませんね」
白のローブとフードで五体を覆ったポリライナが静かに告げた。治癒術士としては五本の指に入る能力を持ち、一度に五十人の怪我人を完治させたことがあると言われている。
ちなみに全員女性。男はハインレーヴだけだ。
準備を終えたところで、息子は父と付き添いを中に入れた。
すでに座っている四人の元に行き、ハインレーヴが空いている席に着くと、オーディルは上座に座った。アゼッロは賓客の横に控えると、書類とペンを、更に被って身につける仮面とボロきれ同然のポンチョを。
筆記用具の意味はわからないが、衣服には見覚えがあった。一昨日の夜、追放したメンバー、リルのものである。
「……昨日、セロドゥード伯爵から連絡があってな、ルルドリール嬢とお前との婚約を破棄したいそうだ。わたしとしてはなんとしても繋ぎ止めたかったが、貴様の所業を知るに受け入れざるを得なくてな。なんでも公衆の面前で“無能はいらない”と言ったそうだな? しかもそれだけではないだろう? 軽く調べただけで証拠は山ほど出てきたぞ」
「ちょっ! ちょっと待ってください! それは違います! 僕が言ったのは“パーティーから”って意味で、リルと婚約破棄するつもりはありません!」
重々しい口調で父が淀みなく述べると、息子は声を裏返らせて弁明した。
「……旦那様も腹を立てておいででしたよ。お嬢様が説得してどうにか抑えてくれましたが」
「お前は黙ってろ!」
アゼッロの冷静な発言は、ハインレーヴの神経を逆撫でした。
「ねぇ……ハインくん……婚約ってどういうこと? フローザ、聞いてないんだけど……」
目を瞬かせながら、とんがり帽子の魔法使いが尋ねる。
「それに“伯爵”や“嬢”って……なぁ! 説明しろ! リルは使用人じゃなかったのか!?」
切れ長の目を鋭くさせて、格闘家は男性メンバーを見つめる。語調はフローザより固い。
「バ、バカ、静かにしろ」
小声でハインレーヴは二人をたしなめるが、そんなもの意味はない。
「ねえ、ハイン。あなた、私たちにウソをついていたの? リル……えぇと……その……」
「-ーああ、自己紹介が遅れたな。わたしはオーディル。ゼセル家の当主だ。こちらにいるのがアゼッロ。セロドゥード伯爵家に籍を置き、ルルドリール嬢付きに復帰した執事だ。そしてここに座っているのがハインレーヴ。血縁上はまだ一応わたしの息子だ」
ハインレーヴの父親をどう呼ぶか、逡巡を見せるディジェットの内心を読んだか、彼は短く説明した。
血縁上はまだ一応わたしの息子。
その塊にハインレーヴの顔色は日陰のキュウリに変じる。だが、他にも聞き逃せない成分が。
「ふ……復帰とはどういうことだ?」
「言葉通りの意味です。あなたとお嬢様の婚約が破棄された今、旦那様から許されましてね。あなたの発言を受け入れてお嬢様から一旦離れることになりましたが」
アゼッロの口述にハインレーヴは何も言えなくなる。
「あ! あの! 発言をお許しください!」
ポリライナが恐縮しながらも介入してきた。
「そ、その……わたくしたちはリル……じゃなくて、ルルドリール様、ですか? その方がハインレーヴ様の婚約者だということも、ましてや貴族だったことも知らなかったんです。だからてっきりパーティーからの追放だと思い込んでいて……信じてください! わたくしたちは貴族同士の婚約を破棄させるつもりはなかったんです!」
身を乗り出して、ポリライナは眉尻、目尻、口角を下げながら訴える。
「それはそうだと言えますね」
執事の取り澄ました態度に、女性陣の表情が明るくなる。ハインレーヴは奥歯を噛み締めた。いつも涼しい雰囲気で容貌もさほどではないクセに女性を虜にするアゼッロ。状況が許せば殴っているところだ。
「…確か、“無能はいらないんです”とか、“ハインレーヴ様の金魚のフン”とか、“役立たずは死ねばよかったんですよ”と言っていたが、それは伯爵令嬢と知らなかったからだと言いたいのか?」
治癒術士は言葉に詰まった。
「-ーハインレーヴ、そもそもなぜお前はルルドリール嬢をないがしろにしていたのだ? お前の態度がこいつらの暴挙に拍車をかけたんだぞ」
「いや、それは……」
父親の質問に、息子は言葉を濁して目をそらす。
「まさか、ナナティラの愚行を止めるどころか、加担するとはな。いや、そもそも事の発端は貴様か」
「「「「ナナティラ……?」」」」
オーディルの紡いだ人物名に、フローザ、ヒミュラヌ、ディジェット、ポリライナの視線がハインレーヴに集中する。その質は毒を塗った刃だ。
「-ー貴様らの思っているような関係ではないから安心しろ。この愚か者の母親だ」
「つまり……」
何やら言いかけたフローザに、ヒミュラヌは脇腹をつつく。魔法使いは即座に口を閉ざした。
「貴様らはなぜこの愚か者が冒険者ギルドに登録し、貴様らとパーティーを組んだかわかっているか?」
「いろいろな経験を積んで成長したいからでしょう?」
ディジェットは即座に応える。ハインレーヴがかつて言った台詞を。
オーディルは唇を真一文字にし、鼻から息を吐く。
「-ー娯楽小説を読んで、自分も女の子にモテたいと思ったからだ。それを聴いたルルドリール嬢は“そんな理由で冒険者になっても長続きしませんよ”とたしなめた。そうしたらこいつはデタラメをナナティラに吹き込んでな! しかもナナティラはルルドリール嬢を騙し討ちする形でこの仮面とポンチョをつけさせたんだ! “ゼセル家の嫁にふさわしい人間になるまで外せない”って呪いをかけてな」
「いやだって僕の嫁になるんだったら僕の言うことを聞いて当然でしょう!? 妻たるもの愛人の一人二人許さないと!!」
「……ゼセル伯爵は妻一人しかおりませんし、浮気したという噂もありませんが」
息子の主張に、元婚約者の執事が淡々と述べる。
フローザはわななかせていた口を開いた。
「何それ愛人って!? フローザ聞いてないよ! ハインくんのお嫁さんになれると思ってたのに……」
「それになんだ? “僕の嫁になるんだったら僕の言うことを聞いて当然”って。ハインがそんな人間なんて思わなかったよ」
普段の涼やかな声音とはかけ離れた、烈風の如し勢いでヒミュラヌは抗議する。
「あとナナティラとやらも気になるんだけど。もしかして嫁……じゃなくって婚約者だけど、イビる女なの? それにまさかハインってマザコンなの?」
ディジェットが片眉を跳ね上げて、ハインレーヴを真っ向から見据える。
「……それより、少々お訊きしたいことがあるのですが……」
辺りの空気を探るように、ポリライナは単語を組み合わせている。
「なんだ?」
聞く価値はないと言わんばかりに、オーディルは顎を突き出す。
「あの……ルルドリール様がどこにおられるか、おわかりになりますか? 許されるとは思いませんが、せめてわたくしたちが慚愧に耐えないことをお伝えしたいのです。本当に愚かでした」
「-ーそれはわたしが伝えておきましょう」
うつむくポリライナに、アゼッロが即答した。
ゼセル伯爵はハインレーヴに何かを押しやる。
仮面だ。
「これには映像と音声を送れる宝珠がはめ込まれていてな、ナナティラは客人に観せていたんだ。たびたび茶会を開いてな」
息を整える。
「これをつけていたルルドリール嬢がそこの魔法使いに火炎魔法を当てられたり、そこの格闘家に蹴りを入れられたり、そこの糸使いにモンスターの群れに突っ込まれたり、そこの治癒術士にケガを治してもらわなかったりしたのをな。まあ、ナナティラとしてはハインレーヴを持ち上げて、ルルドリール嬢をこき下ろしたかったのだろうがな。客人たち……主に貴族の夫人だな、彼女たちはルルドリール嬢に同情していたぞ。そしてゼセル伯爵家との付き合いを考えたいと言ってきたんだ。そうなると婚約破棄だけではすまなくなる。だからナナティラと別れ、貴様をゼセル家の籍から抜くことにした。あと、慰謝料はゼセル家が出すが、あくまで貴様らに貸した形だ。十日以内に返済しないと強制労働所に送ることも考えている」
「……あの、“貴様ら”って、わたくしたちもですか?」
オーディルの長口上が終わったところで、治癒術士は問いかける。
「そうに決まっているだろう。まあ、この馬鹿者より払う金は少ないが、貴様らは仲間なのだろう? なら、協力しあうのは当然ではないか? 何、難しいことではなかろう? 今まで通りやればいいだけのことではないか」
父親はそう述べたのち、ハインレーヴに目を向けると、
「そうだ、ルルドリール嬢との婚約を破棄したわけだからな。だからすでに彼女の術には頼れんぞ。能力上昇の恩恵はすでになくなったからな。まったく、自分にだけかけさせておいて“無能”呼ばわりはないだろう」
「「「「能力上昇の術を自分にだけかけさせていた……?」」」」
消し炭を食らった面持ちでゼセル伯爵がのたまえば、女子四人の唇はそろって動く。ハインレーヴは身を縮めていた。
「あとナナティラは手続きをしてドゥヴィラ更生施設に身柄を預けている。平民の手続きをした上でな。お前がナナティラと一緒のところに入ろうが、ナナティラと共にその者たちと組んで依頼をこなそうが、好きにしろ」
「ドゥヴィラ……更生施設……?」
ハインレーヴは固有名詞を口内でこね回す。
「わかったなら早くこの書類にサインしろ。貴様にできるのはそれくらいだ」
父親に急かされて、息子はテーブルに置かれた最終宣告にペンを伸ばし、署名した。
翌日の昼-ー
フローザは痛む頭を押さえて馬車に乗っていた。
それまで世話になっていた四頭立てとは違い、人間が納まる場所は狭いし、道のデコボコを反映して揺れる。
だが、一番の問題は最近加入した女だ。
ナナティラ。
そう、ハインレーヴの実母である。
-ー用を済ませたオーディルとアゼッロが去るや、ハインレーヴは母がいるドゥヴィラ更生施設へと向かうことを主張した。なんでも彼女を伴って、ルルドリールとの話し合いをすると決めたのだとか。
白い歯を見せた輝くばかりの表情に、魔法使いは肩を落としてため息をついた。明らかに自分に都合のいいことだけを考えている。
以前は我を忘れて見惚れていたが、所詮は“以前”、過去の話。
オーディルから明かされた真実は、ハインレーヴの虚像を盛大に削り取っていた。
どうせならそいつを放り捨てて女子四人で仕事をこなしたかったが、伯爵家が絡んでいるため、下手な真似はできない。
正直、そこらの有象無象をねじ伏せる実力はあるが、お尋ね者になるのは勘弁だ。ヒミュラヌもディジェットもポリライナも同感であろう。
話の大半は酔っぱらいの戯言以下であったが、聞き逃せない要素もあった。
ルルドリール。
馬鹿男がつまらないプライドで貶めていた元婚約者。その空気が伝染して、フローザたちも一緒になっていたぶっていた。
そう、ハインレーヴがきちんと紹介していれば、自分たちも正しい態度で接していた。
それを伝えればどうにかなる。魔法使いは確信していた。
認めたくはないが、ルルドリールの居場所に心当たりがあるのは、元伯爵令息のみ。渋々だが、彼に望みを託した。
-ー嫌な予感はしていた。
ドゥヴィラ更生施設では、主に軽犯罪者への思想改善や手にまっとうな職をつけさせる教育を行っている。問題のない貴族の夫人が、しかも平民落ちさせて入れられる場所に非ず。
つまり、それだけの奴というわけで……
もっともハインレーヴも同類だ。血縁なのを差し引いても。
不安定にすぎる内情などお構いなしに、元伯爵令息はやらかした。母親の入所した施設にやってきたはいいが、責任者に暴言を吐き、殴りかかろうとしたのだ。
ポリライナが頭を下げてどうにか収まったが、ナナティラもナナティラといったところか。わたしは全然悪くないとばかりに肩をそびやかせてあらわれたのだ。
子持ちの、おまけにフローザたちよりはるかに年上だが、事実容色は人目を惹く域に達している。どうにかすれば、金満家の後妻か愛人として食べていけるのではないか。そう結論づけるくらい。
ハインレーヴに仲間だと女子四人を紹介されたナナティラは、口はへの字、胸を突き出した値踏みの姿勢を剥き出しにして、魔法使い、格闘家、糸使い、治癒術士を無遠慮に見やる。
「なんなの? あんたたち、冒険者だけあって土臭くなるのは仕方ないけど、もう少し身なりに気を遣ったらどうなの?」
土臭い-ー
女冒険者に対して“不細工”“無能”に並ぶ禁句である。
「しょうがないですよ、母上。所詮平民ですから」
息子は母親の機嫌を取っているだけだろうが、本音があらわになっている。
「すごい」「ありがとう」「流石だね」。
そう褒められて頬を緩めていたあの日を、なかったことにしたくなった。
「……キミらもそうなっただろうが」
ヒミュラヌの抑えた尖り声が、二人の鼓膜を揺らさなかったのは幸いであろう。
「-ーで、これからどうするの?」
くだけた調子でディジェットが呼びかける。あえてこちらから問いかけたのは、フローザにも理解できた。
「だから言ったろう。ルルドリールのところに行くと? 忘れたのかい?」
その表情と声音に魔法使いは覚えがあった。目の前の馬鹿男が当時の婚約者に浴びせていた動静。
「じゃあ早く行くわよ。あの小娘に一言言ってやらなきゃ気がすまないわ」
息巻くナナティラに引っ張られ、建造物を出たフローザたちは待ってもらった馬車に乗る。
貴族の依頼を受けた経験もあるが、ナナティラはこれまで出会った方々の遥かに下を行く人間性だ。いや、平民になったのにその自覚はなく、だからこそ一層タチが悪い。
馬車は一台借りているのだが、もう一台追加した方がよかった。ナナティラの愚痴を聞きながらフローザは悔やむ。
他のメンバーを観察すると、ヒミュラヌは結んだ口元が痙攣しているし、ディジェットは窓についたカーテンを手でこね回している。ポリライナは目を閉じて深呼吸しているが、さりげなく馬鹿親子から距離をとろうと、席の、それどころか扉ギリギリまで身体を移動していた。
こいつらと離れられるなら徒歩でも荷車でも望むところ……
そう思考が行き着くや、思い出した。
自分たちは馬車で、ルルドリールはそれに牽かせた肥車に押しやって移動したときのことを。
降りてきた彼女を「臭い」と言って、ヒミュラヌが川に蹴り飛ばして、フローザが火炎の上位魔法を放って……
血の気が一気に引いてくる。やばい、どう考えても伯爵令嬢の殺害を図ったと判断される。
「……もう少し考えたらどうです?」
その台詞を無視したが、まったくもって当然だ。
無にできぬ記憶に震えをこらえていたら、アクシデントが。元伯爵夫人が食事を所望したのだ。
慣れた足取りでハインレーヴが席に案内し、割りきれぬままに女性メンバーも胃を満たしたのだが、とんでもない事実が発覚した。
なんでもこの店はセロドゥード伯爵の息がかかっており、これまではルルドリールの婚約者だったため便宜を図ってきたが、破棄されたためもうないと。
フローザはズレた帽子を直し、彼と過ごしてきた日々を辿っていく。
アイテムも食事も馬車も宿もそれ以外のことも、ハインレーヴのおかげでいいものが安く手に入ったし。おいしい料理も食べられた。温かいお風呂にも入れたし、ふかふかのベッドで眠れもした。
だが、もしかしてそれもルルドリールの、彼女がいた恩恵だったと?
「……ね、ねぇ、これマズいんじゃない?」
魔法使いは側にいた治癒術士に耳打ちする。
一応今回は値段が高くなったとはいえ払えた。本来これで当たり前と言われたらそれまでだが。しかし、この先婚約破棄前と同じような振る舞いを続けたら話にならない。
「-ーハインレーヴ様、このままだとおそらくあちこちで今のようなことが起きるでしょう。ですから一刻も早く、謝罪しなければなりません。わたくしたちも誠意を持って向き合うと約束しましょう。そうすれば、最悪の事態は免れます」
ポリライナは呪文を唱える如く言葉を紡いだ。
「そうよ、グズグズ先延ばししていたら大変なことになるわ」
ディジェットも加勢する。
だが、ナナティラは聴いていない。
「まったく……あの小娘がここまで陰険だとは思わなかったわ」
ルルドリールに責任をなすりつけている。
-ーそれをあんたが言うのかよ。息子の婚約者だったお嬢様を騙し討ちしたクセに。
「そうですよ、たかがあれくらいで」
息子も母を擁護する。
-ーってかさぁ、さっきからあんたママとばっかりお話してない!? フローザたちもいるのわかってる!? ねぇ! 無視しないでよ!
フローザの感情は業火と化す。
「……?」
唐突に口を塞がれ、魔法使いは身を震わせる。
やったのはヒミュラヌだ。
「落ち着けフローザ。こんなところで魔法を使ったらあいつらだけじゃすまないぞ」
格闘家に諭され、気づく。
-ーもしかしてフローザ、呪文唱えてた……?
無意識の内に、ハインレーヴとナナティラを灼きつくそうとしていたのか……
少なくともルルドリールに呪文を炸裂させたときは、発動させる一部始終自覚はあった。改めて鑑みるに、それもそれで重罪だが。
改めて己を知るに、改めて馬鹿親子に鉄槌を食らわしたい衝動に駆られるが、どうにか堪える。伯爵令嬢へのお目通りには、この二人が欠かせないのだ。
「あー! もうイヤ! 今日はここまでにしましょう!」
とんでもない発言が辺りに響く。
「「「「え……?」」」」
一瞬、魔法使いは耳を疑った。格闘家も糸使いも治癒術士も同じ模様、漏らした声が見事に合わさった。
「-ーいいですね。幸い宿屋もこの辺にありますし、朝イチで行けば間に合いますから」
馬鹿の導いた阿呆な案の典型だが、フローザたちもこの短時間でかなり疲弊していたし、反論する労力も惜しい。だから迷わず近くの宿屋で受付をしたのだが、またしてもナナティラは吠えた。
もっと言い部屋はないのか、狭苦しいし臭い、一人部屋じゃないと嫌だ……
結局お貴族様の元妻は宿屋一番の高級部屋に泊まることになった。一人で。
ハインレーヴもそれに次ぐ部屋を選ぶ。フローザたちは彼と別の部屋に決めた。元伯爵令息をどうにか言いくるめて。
母親がいる状況で女体を貪ろうと思う奴じゃなくてよかった。魔法使いは心の底から安堵した。
四人は馬鹿親子の目が届かなくなるや、思い切り愚痴をこぼす。それだけでストレスが発散されたが、ポリライナは神妙な顔つきを崩さなかった。
「……どうしたの? ポリライナ」
フローザが訊くと、ポリライナは三人を順に見やる。
「-ーあなたたちはゼセル伯爵が言ったことを覚えてますか。ルルドリール様の仮面には映像と音声を送る宝珠がついていた、と」
「ああ、確かにそうだったな」
ヒミュラヌが答える。
「ですが、考えてみたらわたくしたちは誰も、どのようなものが記録されていたか観ても聴いてもいませんよね」
続く音吐は妙に固くなっていた。
「そういえば、そうよね」
ディジェットが記憶を手繰るような口ぶりで認める。
「-ーあの方はハインレーヴに言われて、野宿をしたこともあります。しかしわたくしたちはその間、あの方に何があったかも何をしていたかも知りません。これはあくまでも可能性ですが、あの方の実力なり人脈なりが記録されていた可能性があります。そしてナナティラはそれを他の貴族に観せていた……ルルドリール様に協力したいという方もいるでしょうし、わたくしたちの知らないところで、わたくしたちのことが噂されているでしょうし、本来接点のない人間同士でもつながります。そうなれば、結果は火を見るより明らかです」
治癒術士の話した内容に、魔法使いは息を呑んだ。彼女だけでない、格闘家も糸使いも同じである。
「じゃあどうすればいいのさ!?」
フローザは泣きたくなった。
「-ーとりあえず、ルルドリール様……もしくはアゼッロ様にお会いしてからが本番です」
アゼッロ-ー
萎えかけた気力が立ち直る。そうだ、彼なら大丈夫かもしれない。
-ーそれはわたしが伝えておきましょう。
涼やかな面立ちと声質が鮮明に蘇る。
「あの執事ならわかってくれるだろうな」
格闘家の物言いにも力が入っている。
「ええ、話せば伝わるに決まっているわ」
糸使いの奏でが艶を帯びる。
四人は握り拳を合わせる。そこに憔悴の色はなかった。
夜が明けて現実が訪れたが、アゼッロの存在はフローザの精神的支柱となり、鬱積は軽減された。
道を突き進む馬車、どこからネタは出てくるんだとばかりに今日も今日とてナナティラはハインレーヴにルルドリールの悪口を喋っている。
こんな調子で貴族夫人にも茶会で伯爵令嬢を蔑んでいたのだろうと、フローザには想像できてしまった。
なんとなく外を眺めると、不意にこれまでのとは違った物体が遠くに現れた。
それまで見た中でも上品な雰囲気の建造物。物珍しさもあって、興味はそちらに向かう。
「-ーもう、そろそろか」
耳朶はそのつぶやきを絡め取った。ヒミュラヌにもディジェットにもポリライナにも、目に光が宿る。それどころか煌めきだ。
しばらくして、一堂を運んできた乗り物は停止した。
元伯爵令息、元伯爵夫人、治癒術士、糸使い、格闘家、そして魔法使いの順に降りる。
一瞬、しんがりは足が止まった。ハインレーヴの口述を聞き流したつもりはないが。
眼前にそびえる屋敷はあからさまに金や宝石やらでゴテゴテと飾り立ててはいないが、貴族が住まうにふさわしい佇まいだ。細やかな彫刻を施した白い屋根と壁は上品の二文字しか出ない。むしろシンプルな故に、目にとどめたいと思わせる外観だ。
「……相変わらず地味ね」
悪態をついたのはやはりナナティラ。
「そうですね、うちとは大違い」
-ーその“うち”ってもうあんたん家じゃないよね?
そうぶつけてやりたいが、無視する。優先すべきはそこではない。
大盾を彷彿とさせるドアには、天使を象ったノッカーが。ハインレーヴは掴むや否や、壊すのではと危惧する風情で殴りつけた。
扉が開かれ、出てきたのは見覚えのある青年。セロドゥード伯爵家の執事、アゼッロだ。
つくづくわからせられる。彼が鷹ならハインレーヴはカラス。いや、それが食らう生ゴミ。
「これはこれは、ハインレーヴ様にナナティラ様、フローザ様にヒミュラヌ様にディジェット様にポリライナ様。おはようございます。失礼を承知で申し上げますが、ご用件は手短にお願いいたします」
「ルルドリールはどこだ!?」
あくまでも儀礼上の応対だが、執事の纏う空気は澄んでいる。平民落ちしたものの、昨日まで貴族だった馬鹿男とは比べるのが失礼な域で。
「お嬢様は心配なさったご友人方と旅行に出かけました」
「ふざけないで! どこ行ったのよ! 教えなさい!」
ナナティラが詰め寄るが、アゼッロは平然としている。
「-ー二人とも落ち着いてください。話せるものも話せなくなります。アゼッロ様、申し訳ありません」
ポリライナが馬鹿親子を諌め、執事に詫びる。
「いえいえ、わたしは気にしておりません。ポリライナ様」
それまでにない華やいだ顏を披露し、改まった面持ちでハインレーヴとナナティラを見据えると、
「非常に心が痛みますが、行き先を教えることはできません。そもそもあなた方は婚約破棄書が受理された時点で、まったくの他人になりましたが」
平坦な語調で述べたのち、封筒を取り出す。
「どうぞ」
差し出されたのはフローザである。
「えっ……」
刹那、胸が高鳴る。昨日今日でハインレーヴに負の感情が膨れ上がっていただけに。甘い要素皆無と理解していても。
「ルルドリール様はおっしゃっていましたよ。“ハインレーヴ様よりフローザ様の方が魔法に詳しいから”と。おそらく金策の手段でしょうが」
「-ー一体何よ」
ひったくったのはナナティラであった。封を破くと、中身を広げる。
「一体なんです?」
「魔石作成所とやらの地図らしいわ」
息子の尋ねに、母はあからさまに魔法使いを見下しながら、地図を押しやる。
魔石製作所。
初耳ではあるが、同封された資料によると、最近できたばかりの施設だそうだ。
「つまり……そこで魔石作って渡せってことだよね。もしくは売れってことか」
フローザは分析する。
アゼッロの伝言から察するに、魔力を変換して魔石を作るのだと考えられる。
だが、そこに横たわるのは一つのほぼ確定した未来。
この馬鹿親子、絶対自分たちは働かない。
フローザの魔力量はずば抜けていると自負しているが、自分や仲間たちの分はともかく、こいつらの尻拭いは真っ平御免だ。
「-ー行きましょう。行かなければ始まりません。アゼッロ様、ありがとうございました」
ポリライナに倣い、フローザもヒミュラヌもディジェットも頭を下げる。
「……ったく、しょうがないな」
わざとらしくハインレーヴは肩を竦める。誰に向けてのものか。
「しかたないわね。これが済んだらあの小娘を叱り飛ばしてやるわ」
ナナティラは鼻を鳴らして言った。
一人の少女が椅子に座り、報告書を読んでいた。
ルルドリール・セロドゥード。セロドゥード伯爵の娘で、ハインレーヴの元婚約者だ。
細い眉の下に菫色の瞳がバランスよく配置されており、桜色の唇は艶がある。令嬢らしくないパンツスタイルだが、纏う風情は湖畔に咲く水仙。
アゼッロに渡されたそれには、ハインレーヴたちがどうなったかがしたためられていた。
魔石製作所を訪れた元伯爵令息は、魔法使いたちに目的の品を作るよう命じた。
それを聴いたフローザたちは仮説を述べた。
自画自賛は承知だが、彼女たちの魔力からできた物質ならば慰謝料は払えるが、伯爵令嬢がイチャモンをつける確率が高い。そのため、女冒険者四人がハインレーヴとナナティラに魔力を送り、それで創造した作成物を渡した方がいいと。
息子も母も賛同し、実行に移した。
結果、過剰な魔力を送られた二人は、身体がボロボロになる大怪我を負った。
女冒険者たちはそのまま立ち去ろうとしたが、世の中は甘くない。
ナナティラによって、ルルドリールに対するハインレーヴにフローザ、ヒミュラヌ、ディジェット、そしてポリライナの悪行は、貴族夫人たちに知られている。しかも観客はあちこちで話していた。
おまけに、元伯爵令息たちは覚えていないだろうが、直接被害に遭った者もいる。何せ、増長してギルドの受付嬢を脅したり、レストラン従業員をののしったり、わざとぶつかっておいて相手を殴ったり、店のアイテムを無理矢理割り引かせたり、他の冒険者に怪我をさせたり……
ポリライナの危惧は的中し、老若男女平民貴族満遍なく馬鹿親子一堂の情報は行き渡り、打倒の意志持つ勇者たち-ー勇気ある者をそう呼ぶならば-ーが集束していた。
いくら実力者でも、実力を発揮できなければ幼児に劣る。稀有なる才能を持った魔法使いでも、格闘家でも、糸使いでも、治癒術士でも。
大量の痺れ薬と眠り薬を併用して投入されたところを襲われれば、ひとたまりもない。命は一応助かったが、心に深い傷を負い、冒険者として復帰することは叶わないそうだ。
慰謝料が入ったため、余程のことがなければルルドリールは介入するつもりはない。処理はオーディルに任せる。
「-ーお嬢様、どちらへ?」
「魔石製作所です」
執事に問われ、伯爵令嬢は答える。
-ーナナティラにイビられ、ハインレーヴに虐げられ、フローザやヒミュラヌやディジェットやポリライナに踏みにじられてきた日々。まがいではあるが、冒険者として行動してきた。そのため、令嬢としてだけの生活で知らずにいたことも知った。
考えたのだ。魔力に秀でた人間が他の誰かに分けたり、物品にすることで何かに使えないか。
魔石作成所は、伯爵令嬢と彼女に賛成してくれた有志たちの手で創設された工房だ。
「じゃあ、留守を頼みますね」
言うと、ルルドリールは外に出た。
-ーナナティラは知らぬだろう。呪いの仮面とポンチョを外す引き金になったのが、愛する息子、ハインレーヴだと。まあ、ルルドリールも少しずつ解呪をしてきたが。
パーティーから追放されることは、ルルドリールを拒むことを意味する。つまり、“ゼセル家の嫁失格”扱いだが、伯爵令嬢にとっていい方向に作用した。
ハインレーヴがルルドリールを捨てるなどと、ましてルルドリールがハインレーヴと縁を切ろうと目論んでいたのだと、ナナティラは想像だにしていなかったのだ。
そう、元ゼセル伯爵夫人には予想外の出来事故に、伯爵令嬢は解放されたのだ。
もちろん、母親盲信馬鹿息子と息子偏愛馬鹿母に説明してやる義理はない。
ルルドリールには些末な要素だから。