ep.97 「ここは砂漠だ」
想像以上に厄介だ。
というより、どうしようもない。
この王は、そもそも生きてすらいない。
その実態は「役割」だ。
王としての役割そのものの具現化であり、死を力とするものだ。
だから、眼の前のこのシェリを打ち倒したところで意味がない。
それは肉体を――こいつの「取り憑いた肉体」を壊すだけに過ぎない。
このクソ野郎は、フェダール国がフェダール国として在るかぎり、倒すことは不可能だ。
「おまえは、想像もできぬだろうな」
味わうかのように、己の指を動かす様子を確かめながら、その王は笑う。
「生きるということは、この上ないほどの贅沢だ。どれだけの金銀財宝を積み上げたところで決して得られぬ。その隔絶を誰も知らぬ。カカ、この心臓の一鼓動ですらも、俺にとっては最大級の慰撫となる!」
その唇は青白い。
きっとその心臓が一鼓動することにも多大な負荷がかかっている。死そのものをあれだけ体内に受け入れて、そう長く生存できるはずもない。
スフィンクスが狂乱したのも無理もなかった。こんな「死」そのものが入り込んだら、マトモに思考すらできない。
「ひとつ、聞きたい」
「ふん、待て」
どかりと座り直し、もうすっかり冷めてしまったお茶を飲む。
この国ものではない、アイトゥーレ島から輸入したものだけれど、とてもうれしそうに味わい、目を細める。
「茶を楽しむひとときの時間くらいは必要だ。違うか?」
テメエは他人の体を消費しながら、なに楽しげに茶とか飲んでんだよと言いたいが、とりあえずは座り直す。
茶会で茶を飲まないのは、無作法極まりない。
「ふふん」
気軽な様子は、先程までのシェリにはないものだ。
本当に、ただ肉体があることを喜んでいる。
生きていることを謳歌している。
冷めて香りも飛んだお茶を、まるで至高の液体のように味わっている。もっとも、合間に吐き出される息はとても冷たそうだけれど。
「……あんたは、いつから生きているんだ」
「さあな? 今の俺は生きているのか?」
「弁論術には興味ねえよ」
「そも、今の俺と、生前の俺は同一であるのか否か」
「あん?」
「今の俺は役割だ。王としての役割として在る」
「……そうだな」
それが人格を持ち、こうして憑依みたいなことをしている。
役割としての「王」と、人格としての「王」が同一になっている異常事態だ。
「それを、「俺」は望んだと思うか?」
「それは――」
フェダール国開祖は英傑として知られている。
さまざまな問題を解決し、国を発展へと導いた。
同時に、そのやり口は強引であり、他国からは蛇蝎の如く嫌われてもいた。
「他の連中にそうされたと言いたいのか」
「そうだな、少なくとも俺はそう認識している。俺が実行するのであれば、このような不確かなあり方を望まない。もっと俺自身が横暴を振るうことが可能となるやり方を選ぶだろうよ」
シェリは、起きたとか表現していた。
おそらく、コイツが自意識を持って表に出られる時間は限られている。
「だが、俺という存在は求められてここにある。カカ、俺の存在そのものが、俺という役割がこの国になくてはならぬことの証左だ」
「迷惑なことしたもんだな」
「それに関しては同意しよう。俺は不本意な形で王に縛られている」
偉大な王が亡くなって、どうにかしたいと求めた。
そのために「王としての役割」とコイツとを結びつけた。
「さて、おまえの罪は、俺の血筋によって洗い流された。おまえは罪なき身となった」
「……そうらしいな」
先程まで苛んでいたものが、キレイに消えていた。
ちゃんとした道路に戻った。踏み外して地面に触れていない。そんな安心感が、悔しいけれどある。
「お前は客だ。なあ?」
「なにが言いたい」
「そして俺は王であり、おまえに役割を与えるものだ」
「――それは」
「先程前の、役割としての形しか持たぬ俺では無理だった。だが、生身の体を持ち、王としてある今ならば、自由におまえに対して役割を割り振れる」
あ、これ、やべえ……ッ!?
「お前!」
「カカカ、安心するがいい、仮にも俺はお前の罪を許した。ならば奴隷に落とすようなことはすまい」
安心は、まったくできない。
その目は弱った獲物が足掻く姿を楽しむ狩人のそれだ。
「王としてお前に役割を与える。お前は「賓客」だ。国としてもてなすべき客だ」
「!?」
何かが、瞬時に変化したことを認識する。
体を取り巻くものが変質する。
「したがって、俺の許可があるまでこの国から出ることは許さん。同時に、この王宮から出ることも禁じる。これはおまえの身を守るための措置だ。なあ、どうやら飛行する怪異を擁する村があるらしいぞ? カカ、万が一にも害されてはたまらんからなぁ」
一見するとこの上ない厚遇。
だけど、そんなわけがない。
「この…!!」
「だからこそ、おまえの生意気な口調も赦そう。その代わり、おまえは生涯ここにいろ。どこにも行かず籠内の鳥となれ。さあ、俺を楽しませてみろ」
役割という枷によって、身動きを封じられた。
明確な悪意を以て、そうされた。
「せっかくの生をこのような形で消費することは惜しい気もするが、巡り合わせだろうなぁ。カカ、喜べ? 俺という王の降臨を、おまえのために使おうというのだからな」
「ふざけんな、ここで老衰しろってか」
「ああ、それは安心しろ。そう長いことかからん。この体もそこまでは持たんしなぁ」
「……どういうことだ」
「この王宮は俺のための場所だ。普段より他には誰もおらず、何も貯蔵されておらん。余計な水も食い物も皆無だ。運び手も俺がいる間は通れん。そして――」
手にしたカップを放り投げる。
それは、わたしのそれとぶつかり、中身をぶちまけた。
「たった今、最後のそれもなくなった」
ティーポットを逆さにし、中身をこぼしながら、王は心底楽しそうに笑いつづけた。
「ここは砂漠だ」
断言する。
「水などという贅沢はどこにもない。枯れ草ですらも最上の恵みだ。この乾いた地から、おまえは出られない」
指をさし、クックと喉奥で笑う姿。
「さあ、おまえの「死」を間近で俺に見せてみろ、それが客としてのおまえの役割だ。喜んでその義務を果たせ」
わたしと王以外は誰もいない中で、その声は冷たく響き渡る




