ep.92 「ここは、死の国だ」
王宮へと強制連行されるのはわたし一人だ。
アマニアやカリスはもちろん、デスピナですらも引き剥がされた。
たった一人で立ち向かうというと大げさだけど、久しぶりに一人きりになった気がする。
ただ、それでも念の為に保険はかけておく。
カリスの奴といくらか話をできるくらいの時間はあったので、頼みごとをしておいた。
無駄になる可能性はかなり高いけど、まあ、そうなったらその時だ。
「ようこそ」
「お招きに預かり光栄です」
ちなみに今のわたしは「客人」としての役割が与えられていた。
普通ならある程度の手続きが必要で、そう気軽にぽいぽいと付け替えることは不可能だけど、なにせやったのは王族だ。
この国のトップに立つものが「これは客である」と認めた。
「そんなに堅苦しくならなくていいよ、他の国民の前だと困るけれど、ここなら他に誰もいない」
通されたのは、王宮の奥の、ちょっとした歓待場だ。
広々としたものじゃなく、かなり狭い。
テーブルと移動できる空間があるだけだ。
どう見ても正式なものじゃない。
ここだと、どばどばと香油を頭から塗りたくられるのが通過儀礼というか、歓待を示すものだけど、そういうこともない。
あくまでも私的な、秘密裏の招きだ。
「そうかよ、肩がこらなくて助かる」
「楽にしすぎじゃないかい?」
それでも歓迎の意思はあるのか、テーブルに茶器など、アイトゥーレ式の設備が整えられていた。
わたしとシェリは、そこで向かい合う位置関係だ。
彼女の頭に王としての権威を示す縞柄の頭巾はない。
だから、彼女自身が王じゃないと判断できた。海外の文化を取り入れて真似ただけだ。
「わざわざわたしを呼んだ理由は?」
「君は私が任命した道路敷設者見習いだ、今回の遠征の本当の立役者を黙って見送っては名折れだろう」
そんな名前、折れてしまえ。
「本当の理由はなんだよ」
「恨み言を伝えるためさ」
「うわぁ」
周囲を見る。
本当なら、見えないだけで従者がそこかしこに侍るはずだけど、本当に誰もいそうにない。
ティーポットに入ったお茶すら、シェリが手ずから淹れている。
近くに私物らしきものも転がっているから、本当に直接ここに来たみたいだ。
「そんなにあの村を虐殺したかったのか?」
「違うとも、私をなんだと思ってるんだ」
「わたしのことを騙した人」
かなりの詰み状況に持っていかれた。色々と工夫して解決しなかったら、今もあの村に縛られ続けていたはずだ。
「本意じゃない」
「王に頼まれたとか言ってたけど、これってシェリ自身のことじゃないか?」
そういう邪推もできる。
王と言いつつ「王族であるシェリ」がそれを命じたんじゃないかと。
「君ね……」
「ああ、うん、わかった」
心の底からの嫌そうなシェリの顔を見て、そうじゃないとすぐに理解できた。
一番のトップに立つものがしていい表情じゃない。
横暴なワガママものに振り回されることを、心底嫌がるものだ。
「本当に、困っている」
「何に?」
「王の横暴に」
「大変そうだ」
「そうだよ、本当に大変だ」
カップを傾け、茶を飲み干すその動作にすら、どうしようもない苦々しさが滲んでいた。
「たとえば、私には多くの兄弟姉妹がいた」
「へぇ、そうなんだ」
「ほとんどが死んだ」
瞬間的に、返事ができずにいた。
その声には、怒りすらもなかった。擦り切った疲労が覗いていた。
「私は、道路敷設者だ。この役割が与えられた程度には血は薄い。なのに、今や王族としてこうして王宮に足を踏み入れている。場合によっては派兵軍のトップとしての役割も与えられる。それだけ人材が枯渇しているんだ。馬鹿らしい話だ、本当に」
「なんで、って聞いていいのか?」
「王が横暴だから――いや、違うか。王が、死を求めているからだ」
「……」
「厳法と役割の国、秩序が支配する土地。ハッ、なにもかもが偽りだ」
「つまり?」
「ここは、死の国だ」
+ + +
フェダールという国がある。砂漠の国だ。
けれどここは、かつては緑豊かな土地であり、今よりもっと栄えていた。
それが、時間を経るごとに衰退した。
いや――ミイラ化した。
すべての生命力が、吸い込まれた。
その吸い込まれた力は、一体どこに向かったのか。
「王は絶対だ。絶対過ぎて、誰も逆らえない」
「……」
「王が求めれば、私達は簡単に死ぬことになる。私達の死など、王にとっては朝食につく果実飲料ほどの価値しかない。わかるか?」
じろりとした視線は、わかるはずがない、理解できるはずもないと断じるものだ。
「今朝、仲良く話していた妹が、次の日には亡くなっているんだ。あるいは従者が、長年仕えた忠臣が、道を行く市民が、誰もが」
「……」
「これが自然現象であれば飲み込もう。だが、実際は、王の気まぐれだ。あいつが欲するものを、この国の誰もが提供しなきゃいけない、王族とは、あの赤ん坊じみた王のワガママの望みを叶えなきゃいけない乳母の別名だ」
「なるほど」
「なんだ?」
「シェリ、お前が欲しかったのは、力だ。そういうことか?」
「……そうだ」
「この国で唯一と言っていい逆らう村に目をつけた。もっといえば、そこを守護するスフィンクスを欲した」
「その通り」
存外、素直に頷いた。
「王に意を通せるだけの戦力が必要だった。黙って死ぬばかりでは芸が無い。私は軍を率いて、あの力を我が物にしたかった」
それは決して不可能じゃない。
作成した道を盾にして、時間をかければいい。
飛行できる上位モンスターも、永遠に飛べるわけではない。
「十分な準備は整えた。王の横槍はあったが、それでも計画は実行できた」
「苦労したんだな」
「だっていうのに、その戦力が別のやつに奪われた」
「はて」
「とぼけないでくれるか。いや、それだけなら、まだリカバーできたんだ。君と交渉するなりすれば良かった。だが、そのスフィンクス自身が、自らの戦力を減らした」
いざとなればあのスフィンクスに乗ってどこへでも逃げられる――そうした自由が失われた。
「恨み言のひとつくらは言いたくもなるだろう」
その考えそのものは妥当なんだろう。
シェリ自身は、自分を被害者だとすら考えている。けど――
「あんたやっぱり王族なんだな」
「どういうことだ?」
根本的に価値観が違う。
道理を通そうとする部分はあるけど、相手が何を望んでいるか、何に執着しているか、それをまったく無視している。
わたしであれば自由であることを重視する。
それを脅かしたこの人への好感度は、あんまり高くない。
あのスフィンクスは、あの村を守ることを望んでいた。
人々を守るため、自らの片羽すら捨てた。
シェリの行動は、そうした望みを踏みにじるものだ。
自身の苦境から逃れることしか考えていない。
それだけ余裕がないってことなのかもしれないけど、そもそも自分の発言に疑問すら抱いていない。
根っこの部分が、どうしようもなく支配者だ。
説明しても通じるとは思えない。
「王族として「役割」を押し付けていることしか考えてないからだよ」
だから、それだけを伝えた。
「私は……脅かされたくないだけだ」
「それは、わたしを脅かしていい理由にはならない」
「そうか……」
王族の役割を持つ彼女は、誰よりも「役割」に押しつぶされていた。
誰がそう押しつぶしているかといえば、王とやらなんだろう。
「クレオ」
「なんだ」
「この国を潰す手伝いをしてくれる気はないかい?」
「やだね」
あるいは、出会い方が違えば。頼まれ方が別であれば考えたかもしれない。
だけれど、望まぬ支配をしようとする奴の手助けは意に反する。
「この国のことは、この国の人間が解決するべきだ」
だから、わたしが反乱首謀者になることはない。
「そうか――」
諦めたようにシェリは言い。
そして、王宮のどこかで、何が開いた。
聞こえたわけじゃない、見えたわけでもない。
だけど、確かに「何かが起き上がった」と感じた。
「え」
「あ――」
その確信は、わたしだけじゃなくてシェリも同様だったらしい。明らかに「しまった」という顔をしていた。
「まさか……!」
暗闇が、浸水するかのように床を這いずり来た。




