ep.90 きっとこれはそれくらいの話だ
軍勢はもと来た道へと去って行く。
砂漠を行くその姿は、どこか幻想的だ。
それを見送りながら、わたしはがっくりとその場に腰を下ろした。
さすがに疲れすぎた。
いや、というか、スフィンクスの魔力が流れ込んでぐるぐるだ。
なんか魔力の流れが上手い具合に整わない。
「大丈夫ですか」
「あー、うん」
長身で力強いアマニアが、肩を貸してくれていた。
デスピナという外部魔力の補給路があるとはいえ、根本的にわたしは魔力回復が難しい。
これだけ大量に使用してしまえば、しばらくの間は身動きも取れなくなる。
「くそぅ、せっかく自由の身になれたのに、またベッドに縛られる生活か」
「ぼくの血を飲みますか?」
「……う」
アマニアの言葉は、魔力的な補給の提案だ。
とてもありがたいもののはずだ。
だけれど、わたしに肩を貸してくれているアマニアから、なんかこう、邪悪な雰囲気が醸し出されていた。
「……ぼくはさんざん飲みましたからね、そのお返しです、持ちつ持たれつ、困った時はお互い様、特に深い意味はありません。ええ、本当に」
「なんで早口なんだ?」
「……クレオがぼくの血を飲んでくれたらどうなるか、どのような感覚になるのか、とても興味があるからです」
「うん、やめとくな?」
もう手遅れっぽいけど、これ以上アマニアを変な道に引きずり込むわけにはいかない。
友達同士で血を飲ませ合うような関係は望んでいない。
「そもそも、アマニアの場合、防護を突破して肌に傷をつけるのも一苦労だろ」
「はい、ですから、クレオの八重歯で噛みちぎってくれれば」
「よし、絶対やめよう」
なにが嫌って、それをしたらアマニアが喜びそうなのが嫌だ。
「首筋がいいです」
「だからやらないって言ってるだろうが」
「ガブッと、こう、勢いよくですね」
「話を聞けよ」
軽く頭突きをしたら大人しくなった。
どうして笑顔になったのかは聞かないでおく。
「あるじよ……」
「なんだよ」
デスピナは、より正確にいえばその人形は、真面目な顔でスフィンクスの横にいた。
さすがに片翼を取られるのはダメージなのか、スフィンクスの歩行に支障が出ていた。顔色も少しばかり悪い。
それを補佐し、支えることができる位置にいた。
「知っているだろうか」
「だから、なにをだ」
「そう、このスフィンクスは――吾が後輩なのだ!」
冷徹な人形の顔が「あはー!」という笑顔になった。その肩に乗るネズミはバンザイの格好をしている。
そんなの知ってる、とか言い出せない雰囲気だ。
「ああ、うん、良かったな」
「そう、喝采こそがすべてと考えていたが、これもまた悪くはないものであった! あるいは、そう、ひょっとして、これだけでは終わらぬのではないか!? 神ですら吾が後輩となる日がくるやもしれぬ!」
「無い」
「あるじ」
「なんだよ」
「そうたやすく諦めてはダメだ、吾は、期待している」
「そんなキラキラした目で見られても無理なもんは無理だからな!」
こんなこと、そうそう起きない。
「夢は大きく天界征服!」
「世界征服ですらないのかよ!?」
「そのためなれば、吾はいくらでも力を貸そう」
「なんか動機がだめすぎる!」
片翼を失ったスフィンクスは、コクリと小首を傾げた。
「……ワタシは、先輩と呼ぶべきなのですか?」
「うむ!」
ネズミは即座に頷いた。
「いや、別にこのネズミの言うことは聞かないでいいぞ」
「なぜ!?!???」
「世界が終わったみたいな面すんな」
「この先、かのスフィンクスに「先輩、一緒にごはん食べましょ?」などと言われることは、そうありはしないのだぞ!?」
「そもそもねえよ!」
「妙なことになりました……」
スフィンクスは、どこか呆れたようにこぼしていた。
+ + +
イロイーダ村に「傘」がかけられたことは、大半の住人には好意的に受け止められた。
日中の陽光が遮られたことを歓迎した。
片翼をなくしたスフィンクスのことも、驚きはしたものの受け入れられた。
狂乱し、ときに張られた結界に激突するようにしていた時分に比べれば、今のほうが良いと納得していた。
理性を取り戻した守護者は、子供が笑顔で抱きついても問題ないくらいだ。
「とはいえ、大変です」
「だな」
この村の村長であるイオアンナ・フォトプロスにとっては、むしろここからだ。
村長宅にて、今後のことを話し合う。
わたしは魔力が枯渇しすぎて寝そべる格好だけど。
「到着できないとはいえ、道が通されました、いつでも本国から兵が接近することができるようになっています……」
「悪いな」
「いいえ、これしか解がないことは理解してます、それに、決して悪いことばかりじゃない……」
傘として上に在ることはもちろん、「軍以外は触れない」ことも重要だ。
隣国からのちょっかいや、モンスターに対する牽制になる。
住民たちも触れたらミイラ化するのは問題だけど、実質的には変わった形の城壁が建てられたようなものだ。
「守護者様は、飛ぶことができない……」
「斬ったもんはそう簡単に生えないか」
「いえ、時間をかければ復元するとのことです」
「戻るのかよ!?」
「けれど、それもすぐじゃありません、年単位の時間を必要としてます――その間は、村人で手分けをして、見回りをする必要があります」
この場合、見張るべき対象は、道路敷設者だ。
半端に作成した「道」を延長されたら致命的だ。
どうにかして、これを防がなきゃいけない。
「がんばれ」
「人ごとですね」
「そりゃそうだろ」
「ここは、あなたのための村なのに?」
言葉につまる。
ひょっとしたら、もしかしたら、そうなのかもしれない。
この村の祖先の連中は、そういうつもりでこの村を作成した。だけど――
「知るかよ、ここはもう、お前たちの村だ。わたしのじゃない」
「守護者様は?」
「返すよ」
「否、すでに吾らのものであり、返却はできない」
「てい」
余計なことを言い出すネズミの額をついた。
「ぬぉ!?」とか言ってひっくり返る。まだ起き上がるのに苦労していた。
「色々あったけど、ぜんぶ成り行きだ、別に難しく考えるようなことじゃない」
「それでいいのですか?」
「ああ」
少し考え。
「ここで食ったメシは美味かった、対価は、それだけで十分だ」
一宿一飯の恩を返すために頑張った、きっとこれはそれくらいの話だ。




